第12話「停止した回答」

昼休みのチャイムが鳴った。


午前中の国語と英語を終え、生徒たちはざわめくように教室を出ていく。

だが、瀬川レンは教室に残っていた。

空腹はあった。でも、それよりも、頭の奥がぐらぐらと揺れていた。


(あれが、俺の答えなんだな)


くずし字だらけの古文。

Shadowでは何の助けにもならなかった問題たち。

それらを、自分の頭で解いたという実感が、まだ指先に残っていた。


緊張もあった。手応えがあるとは言えなかった。

でも、不思議と“後悔”はなかった。


「よ、瀬川くん」


芽衣が弁当を持ってやってきた。


「一緒に食べようって言ったのに、逃げたでしょ」


「……いや、考え事してただけ」


芽衣は笑った。


「それ、きっと“考えたことある人”の顔だね」


レンは少し照れながらうなずいた。

ふたりは向かい合って、机をくっつける。


「古文どうだった?」


「……苦しかった。でも、全部自分で解いた。……たぶん、初めてだよ」


芽衣は嬉しそうに目を細めた。


「それって、すごいことだよ。点数なんて関係ないって、私、そう思う」


午後の科目は数学。

レンにとって、最も苦手な科目だった。


今までShadowに最も依存していた分野。

計算手順、公式の自動挿入、間違えた式の補正――

それらをAIがやってくれていた時間は、今や“空白”に変わっていた。


(解けなかったら、どうしよう)


(何も書けなかったら、俺、“無力”だったってことになる)


そんな恐れが、再び胸の奥からじわじわと広がってくる。


でも――


「それって、すごいことだよ。点数なんて関係ないって、私、そう思う」


芽衣の声が、耳の奥で小さく繰り返された。


(俺はもう、逃げる理由をAIのせいにはしたくない)


試験開始。


問題用紙を開く。


第1問。確率の計算。

レンは、手を止めずに条件を書き出していく。


いつもなら、Shadowのガイダンスに頼っていた解法。

でも今は、自分で選び、自分で判断しなければいけない。


途中で間違えた。

一度解いてから、計算が合わないと気づいて戻った。


だが――その“戻る”という行為すら、今日は怖くなかった。


(だって俺、考えてる)


書いて、考えて、消して、書き直す。


その繰り返しが、少しずつ「自信」の芽を育てていく。


「正確さより、“理解”が先に来るときもある」


かつて咲が言っていた言葉だ。

その意味が、ようやく分かってきた気がした。


咲はその頃、監視室で画面を眺めていた。


レンの筆記速度は、前回に比べて30%遅い。

だが、目の動きはぶれず、手は一定のリズムで動いている。


《EX-17:記述密度 安定/平均消去回数3回/ALIS評価:自律学習中》

《補助アラート=非発動》


「彼、ちゃんと“自分の声”で解いてるわ」


咲はそう呟いた。


試験終了のチャイム。


レンは鉛筆を置いた。


問題はすべて解けたわけではない。

空欄もいくつかあった。

途中の計算が合っているかどうかも、わからない。


でも、今はそれでいいと思えた。


(俺は、考えた。悩んで、動かして、最後までやった)


Shadowがあれば、もっと正解できたかもしれない。

でも、今日の答案には「俺の思考」が詰まっている。


それが、何より誇らしかった。


帰り道。

スマホに通知が一つ届いていた。


📩【GhostCoder】

「数式の答えより、行動の答えを選んだか。

お前は、それで満足できるのか?

――次は、本番だぞ」


レンは、通知を閉じた。


画面を消して、代わりにノートを開いた。


今日、自分が間違えた問題を、その場で復習するために。


(間違えたっていい。わからないなら、調べる。

……だって、俺はもう、“考える人間”でいたいから)


夕日が、帰り道の窓を染めていた。

その光は、もう“影”ではなく――“輪郭”を照らしていた。


▶次回:第13話「告白 ―屋上の空―」

模試を終えた夕暮れの屋上。レンはついに、天野咲に“あること”を告白する。過去の過ちと向き合う勇気が、次の扉を開く――

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