今宵もペルソナが溢れる

蒼機 純

第1話 転生先は夜の街 すすきのにて

『今度の日曜日、会いに来るんでしょ? なら千恵美にも言うけど』

『ああ。行く。必ず行くよ』

 昨夜の理彩とのラインを見返して、少し口元が緩んでしまう。

 それもそうだ。一ヶ月ぶりに娘と会えるのだ。嬉しくないわけがない。

 時刻は午前七時五十分。見慣れた札幌駅の六番口乗り場で俺は口から昇る白煙を見つめた。もう十一月。もうすぐ雪も降り始めるだろう。

「・・・・・・」

 理彩と離婚して今日で六年目。離婚した原因は完全に俺に非がある。仕事を優先して、あまりにも家庭を理彩に任せきりにした。理彩とすれ違う生活が多くなり、口論が多くなった。

 当時は千恵美も生まれてばかりで、このままでは良くない結果になると俺と理彩は離婚という結論に行き着いた。

 千恵美が独り立ちするまでの間、生活費は全て俺が出すと理彩には言い切った。理彩はいらないよ、と言ってくれるが俺は意見を押し通した。

 理彩は毎月一回、千恵美に会う場を設けてくれている。俺の立ち位置は【親戚のおじさんA】。父親を名乗るにしてもそんな資格はないし、これは俺から申し出たけじめだ。

一生、自らが父親だと名乗るつもりはない。理彩が許してくれても、俺が俺自身を許せないのだ。

 千恵美の誕生日は十二月。今年で六歳だ。

来月に渡すプレゼントは何にしようか。理彩にもこんな何かプレゼントは渡したい。

 構内に列車が到着するアナウンスが聞こえ、俺は一歩前に足を踏み出す。

「・・・・・・よし。頑張るか」

スマホをポケットにしまい、顔を上げる。そのときだ。

 

 トン、と背中を押されて、体が前に倒れていく。


「――――――え?」


 見慣れた駅構内。

 聞き慣れたアナウンス。

 会釈する程度には顔なじみになったいつも向かい側乗車口に立つ恰幅の良いサラリーマン。

 視界がゆっくりと動く。口から乾いた声が漏れる。

 聞こえるのは驚きの声と、恰幅の良いサラリーマンが何かを叫ぶ姿が見えた。

「――――」

 俺は何もできなかった。両手で宙を掻き、視界の端に光が見えて、近づいてくるのが分かった。光は徐々に力強さを増していく。

 そして、俺の視界が光に飲み込まれると同時に衝撃が体を駆け巡った。肘、頭、背中。もうどこが痛いのかさえ分からない。

 思考が混濁する。真っ暗な視界に浮かぶのは別れた妻と娘の顔。だがそれもすぐに黒く塗りつぶされた。

 死ぬのか、俺はーーーーくそ。理彩。千恵美。

 ・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

「――――ぶへっくしゅん!」

 あまりの寒さにくしゃみをすると同時、おもいっきり空気を吸い込むと肺を突き刺す痛さを感じた。

 視界が光を取り戻し、俺は周囲を見渡す。

「な、なんだ? 何が起こってーーーーぶへっくしゅんっ! 寒っ!?」

 二度目のくしゃみの後、俺は違和感を感じ、自らの姿を見下ろす。

 裸だった。全裸なのだ。そりゃ寒いわけだ。よく見ればぽつらぽつらと雪も降っている。

 股間を手で隠し、周囲を急いで見渡す。

 だがここでようやく違和感を実感することができた。

「ここはどこだ? 駅じゃない? それにどうして生きているんだ?」

 目を擦り、俺は自らがビルとビルの隙間。路地裏にいることに気づく。それに視界に入ってくる明かりは陽光ではなく、人工的な明かりで、賑やかな喧噪も聞こえる。

 股間を隠しながら俺はそっと路地裏から顔を出して、ここが何処か理解する。

『バ~~~ニヤ! バニヤ! 夜職始めるならばバ~~~ニヤ! バニヤ!』

 夜職への勧誘を促す広告を貼り付けた軽トラック。ウィスキーで有名なキャラクターがネオンで光り、路上ではギター片手に演奏をする男がいる。

 太陽も沈んだ夜だというのに、まるでこれが本来の姿だと言わんばかりに老若男女が行き交い、美味い匂いを漂わせている飲食店では酔っ払ったサラリーマンが楽しげに飲んでいる。

「・・・・・・すすきのだ。だが・・・・・・俺が知っているすすきのよりも建物が増えている」

 すすきのは会社の接待でよく利用していたから見間違うはずがない。明らかに建物が増え、新しい大型商業施設もある。煌びやかな電子広告に表示された西暦を見て、俺は声を漏らした。

「二千二十五年十一月二十六日? 嘘だろ? ここは十六年後のすすきのなのか?」

 頭が追いつかず、思わず後ずさりして路地裏に身を隠す。

 どうして俺は死んでいない? 

 ここが十六年後だとすると俺は助かったのか?

 いや、どうして全裸なんだ? 

「だめだ。考えがまとまらない」

 それに寒い。流石に全裸は寒すぎる。カチカチ、と歯を震わせて両手で体を抱く。生きていると実感し始めた途端、寒さで全身に痛みを感じ始めた。

 死ぬ。このままでは凍死する。それとこの空腹感。ずっと何も食べていないような空腹感。

 腹を触ると、声が出た。弛んでいないのだ。あの贅肉がない。

「ちょっと待て。なんだこの体。この骨と皮みたいな体はなんだーーーー誰だ、お前!?」

 路地裏に捨てられていた鏡に映るのは二十歳後半の男だった。四肢は痩せて、無精髭を生やして、長い黒髪を一本にまとめている。そして、全裸だ。

 更に困惑する材料が増え、俺が戸惑っていると、路地裏に新たな音が響いた。

「も、もう駄目。うぅ、おぇぇぇぇ。ゲホゲホ!」

 路地裏の暗闇から出てきたのは若い女性だった。毛皮のコートを羽織り、苦しげに蹲り、吐いている。口を拭って嗚咽を飲み混むが、今度は恨み節が口から零れている。

「うぅ。だから私、焼酎は飲まないって言ったのに。無理矢理飲ませてきて、潰そうとかマジ最悪なんだけど。うぅ、駄目。出る」

 あまりに苦しげな様子に俺は近づき、声を掛けた。

「お、おい。大丈夫か?」

「ゲホゲホっ! うん。大丈夫。吐けば落ち着くと思うからーーーーえ」

「あ」

 苦しげな様子に俺は背中を摩ってみる。確か理彩もつわりが酷いときはこうしていたっけと感慨深い気持ちになっていた自分を殴りたい。

 少女の視線は俺の顔から、下へと向かい、全て見られてしまったのだ。そう。この構図は良くない。第三者に見られたら、まずい。

 少女の顔に恐怖が浮かび、俺は叫び出しそうになっている少女の口を塞ぐ。もがもがと涙目で暴れ出す少女に俺は必死に懇願する。だが少女の抵抗は思ったよりも強く、俺は蹴り飛ばされた。

「ちょっ! ちょっと! この変態!」

「ち、違うんだ! これには事情があるんだっ」

「事情!? こんな寒い日に全裸とか、どう見ても変態でしょ!?」

「そ、それは、言い訳できないんだが・・・・・・ぐぅ」

 俺は呻き、腹を抑えた。ものすごい空腹感だった。水も、食べ物も何も食べていないような、疲労感に抵抗する力も出なくなっていく。それが余計に寒さに拍車をかけているのだ。

 少女は訝しげに俺の様子を見下ろし、溜息を吐いた。

「・・・・・・一応、お母さんとの約束を守るなら、見捨てたら気分悪いしなぁ。おじさん。一緒に警察行こうか」

「け、警察は困る」

「はぁ。そんな格好で行くところは警察しかないでしょ?」

「それはその通りだ。だが行くなら自分で行く。君に迷惑を掛けたくない」

「もう十分迷惑なんですけど?」

「・・・・・・ならもう一つだけ迷惑を掛けてもいいか?」

「え? 図々しくない?」

 俺は顔を上げて、少女の顔を見つめた。

「牛丼を奢ってくれないか?」

「牛丼?」

「空腹で死にそうなんだ。本当にすまん」

 俺の懇願に少女はきょとんとし、吹き出した。あまりにも大笑いするので、路地裏に誰かが来るのではないかと心配する俺に少女は喋りかけてきた。

「初めてだわ、全裸で牛丼頼んできた人とか。いいよ。奢ってあげる。ああ、その前に服か。流石にこのコートは嫌だな。何か買ってくるかそこにいなよ」

「い、いいのか? 本当に? 君の迷惑にならないか?」

「私から言い出しっぺだしね。それに十分迷惑になっているし。まぁ、酔いが冷めたのはいいことかな、うん」

 歩き始める少女はぶつぶつと言い、思い出したように振り返る。

「それと君じゃないから」

「え?」

「私には立派な名前があるの。橘千恵美って名前がある。だから君じゃない」

 にやりと微笑む少女の顔に俺は息を飲む。

 そう。重なったのだ。そして、名前。妻の旧姓は橘だった。


 俺はこのときのことを今でも思い出す。ここから俺が彼女の相棒として一緒に働くと誰も想像さえしていなかったのだから。

 


 


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