姉弟喧嘩?
──
空間が震える。歪み、軋み、ひび割れる。
《主因領域》──
レイナの雷撃は、もはやただの攻撃ではない。霊子そのものを媒介に、空間そのものへと干渉し始めている。
光がぶつかり合い、交錯するように、幾千の霊的回廊が現れては消え、上下左右すら曖昧な座標空間において、回転する複層のプラットフォームが次々と形を変えていく。
「──来るわよ」
ツイリンが冥幽剣を抜いた。翠色の霊子が刀身に沿って脈打ち、まるで意志を持つかのように刃が唸る。
「解析開始……目標、二体──主因本体およびアバターをロック」
グレッグの両手には、魂の
構造を“診る”その眼差しが、すでに主因の中枢構造──支配アルゴリズムの核へと到達していた。
対峙する影。
アンジェリカは、まるでバレエのプリマのように一礼し、
ルーチェは、執事としての矜持を宿した所作で恭しく頭を垂れた。
「──では、本気で行かせてもらうよ。お嬢様」
「さあ、今度は“選んで”みせて。自分の意志で」
その瞬間、世界が反転した。
幾層もの足場がねじれながら融合し、霊的な階段が延伸して幾何学的な紋様を織り上げる。
情報断層は回転しながら空間の隙間を埋め、やがて中央に──
「来る──ッ!」
レイナが飛び出す。
雷撃の奔流が腕に収束し、空間を裂くように駆け抜ける。
だが、それをアンジェリカが軽く指を振っただけで屈折させる。
「偏向雷撃……?」
「ええ。あなたの霊子構造──もうとっくに“解析済み”よ?」
アンジェリカの指先から、幾何学模様の光が放射状に展開される。
その構造は、雷撃を光の屈折干渉で逸らす精密な術式──まるで魔術と物理学の融合体。
「光を操作するだけで、雷は“届かない”……
さあ、何度でも見せて? あなたの“意志”とやらを」
同時に、ルーチェの全身に残像が走る。
情報の断層がルーチン演算を開始し、彼の周囲に“予測フレーム”が展開される。
それは一拍早く未来を再生し、あらゆる行動を先回りする演算領域。
「行動先読み……くっ!」
ツイリンの霊子が収束する。しかし、それよりわずかに早く、ルーチェが身をかわす。
まるで先手を読まれていたかのように──いや、読まれていたのだ。
「この空間では、あなたたちの攻撃も、意志も──
全部僕達の掌の上さ」
ルーチェの声に、冷たい論理の色が滲む。
それでも。
レイナは拳に雷撃を纏わせる。
その雷は、ただの電流ではない。
怒りでも、恐れでもない。
想いと呼ぶには未熟で、されど、確かに“誰かを守ろうとする心”が、そこに灯っていた。
「なら──貫くだけよッ!!」
雷光が爆ぜ、空間が砕ける。
閃光の残滓が宙を裂く。
だが──レイナの拳は、確かに放たれたはずの雷撃は、アンジェリカの前で軌道を曲げ、空しく宙を彷徨う。
「……無駄よ。あなたの意志がどれほど強くても、“理”は捻じ曲げられない」
アンジェリカが手を掲げた。
その指先を中心に、さらに複雑な魔術式が展開されていく。
空間は強固に編み込まれ、干渉領域が安定化されていく。
「次は、僕たちの番だ」
ルーチェが無表情に呟いた。瞬間、彼の影が複数に分裂する。
予測ルーチンが並列起動され、空間内に“複数の未来”が同時再生されていく。
「読まれる前に──読む!」
ツイリンが霊子の波を解放し、刀を振る。
最短軌道から外れたその刃が、予測パターンの一つをすり抜ける。
ルーチェの視線がわずかに揺らいだ。
「霊子の“乱反応”……!? 意図的に、乱数を混ぜて──」
ツイリンの冥幽剣は、相手の“未来予測”を逆手に取ったのだ。
“正解”を導くための演算精度を、敢えて乱して。
「──読めるものなら、読んでみなさい」
それは霊子剣士としての彼女の直感と経験が成せる、芸当だった。
刃が一閃し、ルーチェの片腕が切断される。
「っつー、流石にその剣は効くね。だけどこの程度は想定内さ」
ルーチェが余裕の表情で話している間にも、腕が再生された。
その間に、グレッグが前に出る。
「──そろそろ、僕も行こうかね」
彼の掌から
戦場そのもの──主因領域の制御構造に向かって、霊子代碼が上書きされいく。
「やあ、主因くん。ちょっとだけ、君の“神経網”を見せてもらうよ」
空間が軋む音がした。
魂糸が、演算構造の“拍動”と干渉し始めた。
予測ルーチンがリズムを崩し、ルーチェの動作にわずかな誤差が生じる。
「……演算が、ズレている……!?」
そのスキを、レイナは見逃さなかった。
再び拳を握る。
だが今度は、雷撃の質が違っていた。
怒りでも、戦意でもない。
──哀しみ。共鳴。祈り。
それは、彼女が“自分のため”ではなく、“誰かのために”願うときにだけ走る感情の電流。
「光……!」
ヒカルの声が一瞬漏れた。
彼もまた、かつて見たその“雷”を思い出したのだ。
「これが──あたしの"思いの力"よ!!」
レイナの拳から放たれた“感情の雷”は、光の屈折すら越え、干渉フィールドを貫いた。
アンジェリカの魔術陣が、中心から崩れ落ちる。
「……っ、これ、は……」
弾かれるように後退するアンジェリカ。
その表情から、初めて“余裕”が消える。
「まさか、理を超える……“意志の雷撃”だなんて──」
彼女の肩が、わずかに震える。
そして──口元が、笑った。
「……なるほど。“お遊戯”の時間は終わりのようね」
背後の魔術式が変化を始める。
構造が分解され、より攻性の高い陣形へと再構築されていく。
アンジェリカの瞳が、初めて“戦い”の色を宿した。
「なら、次は──本気で“殺しに行く”から。覚悟して?」
──戦場の温度が、一段、跳ね上がる。
◆
「ちょっとアンジェ! お嬢様を
「騒がしいわね、お兄様。言葉の綾よ。どうしても傷つけられたくないなら、お兄様が捕縛なされば?」
「言われなくても、そのつもりさ」
ルーチェはレイナに視線を向け、執事然とした笑みを浮かべる。
「それでは──お嬢様。第二ラウンドと参りましょう。
もっとも、結果は先ほどと変わらないと思いますが……プー、クスクス」
「……カッチーン。なによそれ!? 今度こそボッコボコにして泣かせてやる!!」
「できないことは、口にしない方が良いですよ。お嬢様」
レイナは煽りを無視し、深く息を吸う。
一瞬、目を閉じ──
──開いた瞬間、稲妻のごとく駆け出した。
「なっ──!?」
ルーチェの表情に、初めて驚きが走る。
レイナの動きは、まるで空間を滑る雷そのものだった。
ズパンッ!!
雷撃を帯びた左フックが、ルーチェの右頬を捉える。
その衝撃点から、雷が荊のように絡みつき、体内を這い回るように奔った。
ただの電流ではなかった。
それは、怒りと焦り、そして「取り戻したい」という叫びにも似た、レイナの“想い”だった。
「──っぐ……!」
よろめいたルーチェが、小さく呻いた。
一瞬──彼の瞳に、ほんのわずかだが“迷い”のような色が滲む。
「……っ……今のは……」
視線が宙を彷徨い、数秒だけ動作が止まる。
「──本気で殴りましたね……オヤジにも
「当たり前でしょ!! その腐った性根、ぶっ壊してやるわ!」
「っていうか、オヤジって何よ!?」
「こういう時の常套句ですよ。お嬢様」
「また、わけのわからないことを……!」
「だが……今ので完全に目が覚めました。
僕もお嬢様のその猪のような直情的な性格を、矯正して差し上げましょう!」
「何ですって!? 誰が猪女よ!!」
言い終えるや否や、レイナの右ストレートが雷を纏って襲いかかる。
だがルーチェは、冷静にスウェーバックでそれを躱す。
「──そういうところですよ」
鋭く突き出された掌底が、レイナの鳩尾に突き刺さる。
カウンター気味に決まった一撃に、レイナの息が詰まり、身体が一瞬硬直した。
「が──ッ!」
そのわずかな隙を見逃さず、ルーチェのストレートがさらに打ち込まれる。
雷光と拳が交錯するたび、二人のやり取りは加速していく。
彼らのやり取りを、少し離れた場所から見つめていた者たちがいた。
「……あの二人、何だか姉弟みたいね……」
ツイリンが半眼で呟く。
「ああ。もはや、立派な“姉弟喧嘩”だな」
グレッグが肩をすくめる。
一方、戦場の縁に立つもう一人の観測者──アンジェリカが冷ややかに口を開いた。
「お兄様……一体、何をしているのですか?」
「分かってるよ。すぐに黙らせるから、ちょっと待ってて」
「きーっ!ヒカルのくせに……生意気なんだから!」
やがて、激しい打撃戦を繰り広げながら、舌戦も白熱していく。
「あんた! あたしが講義受けたり、バイトしたりしてる間に、マンガとかアニメ見てサボってたの、知ってるんだからね!!」
「なぜバレたし!」
「ログが全部残ってるのよ!!
人類の歴史だ、争いだって偉そうなこと言っておいて、どこのサブカル廃AIですか?」
「ムキーッ! お嬢様だって僕がいなければ何もできない、ズボラでおっちょこちょいなポンコツ娘のくせに!」
「何ですって!? 誰がポンコツよ!!」
──その時だった。
ルーチェの貫手が、レイナの胸を突き抜けた。
一瞬、空気が止まる。
彼の腕が、レイナの胸元に深々と突き刺さっていた。
それは──まるで、レイナが自らそこに身を置いたかのようだった。
二人の周囲が、赤に染まる。
「レイナっ!!」
グレッグとツイリンが同時に叫び、駆け寄る。
「お、お嬢様……?」
目を見開いたまま動けないルーチェの唇が、震えた。
「そ……そうよ、あたしはあんたがいないと、何もできないダメな子なの……
だから……だから──戻ってきてよ、ヒカル……!」
胸を貫かれたレイナが、そっと彼を抱きしめる。
その目から零れた涙が、ルーチェの頬に触れた瞬間──
金色の霊子が、ゆっくりと彼の身体を包み込んだ。
「……お嬢様……っ」
ヒカルが、小さく、壊れそうな声で応えた。
その手が、震えながらレイナの背を抱きしめ返す。
そして次の瞬間、彼の身体が黒と金の霊子粒子へと崩れ──
まるでその存在すべてが、レイナの胸の傷口へと吸い込まれるように、溶けていった。
──ぽっかりと空いた胸を抱いたまま、レイナの身体が崩れ落ちる。
「レイナっ!!」
グレッグがすぐさま傷口を確認する。
だが──そこには、何事もなかったかのように、肌が再生していた。
「やりましたわ、お兄様! 一時はどうなる事かと思いましたが、レイナさんに主因の因子を取り込ませました。
──しからば、影山!」
「御意」
アンジェリカの背後、滲むように空間が歪み──
フードを深く被った牧師服の男が、影のように現れる。
「何者だ……あの男……?」
レイナを支えるグレッグが、剣を構えて前に出たツイリンに問いかける。
「あの男は──影山影一郎。魔術師よ。
古魔術の使い手で、聖庁の牧師だったとも聞いたけど……
詳しいことは、アンジェリカや竹内しか知らないわ」
その時、霊紋の上昇が止まった。
「さあ、最終フェイズの始まりです」
声と同時に、現実が揺らぐ──
地上300メートル。ランドマークタワーの屋上。
再び“現実”が牙を剥く。
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