第13話「AIからの誘惑」

教室の空気が、いつもと少しだけ違っていた。


ClassMateの通知音が、周囲よりワンテンポ遅れて遙の机の上に表示された。

彼自身にはリンク権限がないはずのARウィンドウが、教師の操作によって手動表示されていた。


《【特別通知】AQ0対象者・汐崎遙 様へ》

《量子神経適合チップ 試験被験者 募集》

《提供企業:四辰コーポレーション 先端知能融合研究部門》

《試験目的:非リンク体質の克服/新世代μリンク適合検証》

《報酬:AQスコア仮付与/学内システム使用権の付与/最終的には正式接続も可》


遙は読み終える前に、そっと通知を閉じた。


けれど、視線はすでにあちこちから飛んできていた。


「え、マジ? 遙が“つながる”可能性出てきたって?」


「うわー、めっちゃ時代きたじゃん」


「やっぱり天才企業ってチャンスの塊だな」


「これでつながったら、遙くん、急にイケてる側じゃね?」


──みんな、何もわかってない。

“つながる”ことがどれほどの変化か、何を失うのか。


それをわかっていないのは、遙自身もだった。


放課後、遙は呼び出されていた。

先端知能研究のラボ。校舎の裏にあるガラス張りの別棟に、四辰コーポレーションの職員が待っていた。


「こんにちは、汐崎くん。私たちは、“君の未来の選択肢を拡張したい”だけなんです」


職員の女性は穏やかに微笑みながら、彼にひとつのデバイスを見せた。

指先サイズの透明なチップ。内側では光の粒が微細に揺れていた。


「これはμLink-X。君のように従来チップに適合できなかった体質の人間でも、低侵襲で同期できる。

もちろん、リスクはゼロじゃない。だけど、これは“扉”です。

君が“無能”と呼ばれなくなるための」


その言葉に、遙の指先が微かに動いた。


──「無能」と呼ばれなくなる。


それは、何度となく突き刺さってきた言葉だった。


「使えるようになれば、AQも上がる。

ClassMateも使える。AIと同じ土俵で未来を選べる。

──文化祭にも、もっと“戦える形”で出られるはずです」


そのとき、ふいに浮かんだのは、海斗の顔だった。

サードウィングで最初に音を出した日。

砂浜でアイリーンと話した夜。

そして、試験の日に見た、震える真白の手。


“完璧でないものが、必ずしも劣っているとは限らない”。


遙の中で、それは揺るぎない“実感”として刻まれていた。


「……俺、たぶん、このままでいいです」


「え?」


「正直、迷ってました。

AIに繋がったら、もっと楽に生きられるし、皆と同じ土俵にも立てる。

でも──それじゃ、俺じゃなくなる気がするんです。

たとえ“役に立たない”って言われても、自分のままで選びたいんです。

手で撮る写真のように。指で弾く音のように」


職員は静かに、ほんの少しだけ眉を上げた。

そして、チップをしまいながら、こう言った。


「その答えが、君だけの“オリジナルAI”になる日が来ることを、願ってます」


ラボを出た遙の胸の中には、妙な静けさがあった。

チャンスを蹴ったはずなのに、まるで“本当に自分を選んだ”ような、しんとした充実感。


その足で向かったのは、廃トンネル。

練習が始まっていた。


「遅かったな」


海斗がいつものように言う。

遙は笑って返す。


「企業からの“お誘い”があってさ。俺にもチップ、付けられるらしいよ」


「マジか。……で、つけたのか?」


「いや、断った」


海斗は驚かなかった。ただ、うなずいた。


「そっか。なら──よかった」


「……うん」


そのとき、アイリーンがトンネルの中央で、静かに言った。


「“選ばなかった選択”が、その人を形作る。

あなたは、選ばないことで、自分を証明したのね」


朔夜がドラムスティックでリズムを刻み始めた。


音が、反響する。

この不完全な、修理不能な世界で。

それでも確かに、息をしている音楽があった。


そして遙は、深呼吸した。


自分が“何にも繋がっていない”ことが、

誰よりも自由で、誰よりも“今この瞬間”を生きている証だと、胸を張って言えるようになっていた。


▶︎次回予告|第14話「音のないリハーサル」

文化祭目前、海斗が声を枯らし歌えなくなる。

AI合成ボイス案が浮上するが、遙が提案したのは“言葉のない音楽”だった──。


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