26.迷子と猫


 そもそもどうして学園内で迷子にならなければならないのか。

 どれもこれもこの学園が広すぎるのだ。

 そのせいだ。


「ここはどこですの〜〜?」


 だから半べそをかきながら草木を掻き分けるのも致し方ないと言うもの。

 第一、迷子になるような鬱蒼とした森を学園の一部として壁に囲っている方がおかしいのだ。こんな今にも獣やらモンスターが頻出しそうな森々を内側に包している方に何の意味がある? むしろ刺客が潜むのにさえうってつけとも言えよう。万全なセキュリティ体制を敷くこの学園としてはいささか不自然な点にも思えた。などと悪態を吐くも、全てフィフリーネの自業自得である点だけは揺るぎない事実だった。


「どうしよう……」


 まさかこのまま学園内でのたれ死んでしまうことになれば、それこそ本当にフィフリーネが浮かばれない。なんとかその不名誉な死だけは避けたかった。

 

 しかし、来た道を引き返そうにも森の中ではもうどこから来たのか、そしてどこへ向かえばいいのかも皆目見当つかない。空でも飛べたらいいのに。

 勿論試した。

 飛べなかった。

 何でだよ。

 この異世界、転生者に対してちょっと冷たいんじゃ無いか?

 

 フィフリーネはとうとう、その場にしゃがみ込んだ。歩き疲れたのも、叫び疲れたのも、そもそも精神的な疲労が溜まって居たのもある。


 なんか、癒しが欲しい。

 猫とか欲しい。

 もふもふの奴がいい。


 その時、フィフリーネの眼前の茂みがガサガサと大きく揺れた。


 ──まさか、本当に!?


「ね、猫ちゃ……! ン゛?」


「フィフリーネ・スーズリ子爵令嬢?」


 茂みを掻き分けて這い出ててきたのは、真っ黒な毛並みを持った一匹の黒猫……ではなく、黒黒とした髪を持った一人の少年だった。


「あ、……いや、まあ、そうです」


 肯定。


「そうですか」


 返答。


 そして、沈黙。


 何だこの面妖な状況は?

 そもそも、何故この少年はフィフリーネの名前を知っているのだ? 知り合いなのか? いや、ならば疑問系で問いただすことは無いだろう。少年はフィフリーネがフィフリーネである事を確認した。と言うことは、少年とフィフリーネに面識は無かったと言うことになる。


「え……えぇと、何かご用事で?」


 とにかく、茂みの中から出てきた少年と森の中で這いつくばっているフィフリーネの格好では様にならないので体制を整える。相対した少年は、フィフリーネより少し高いぐらいの背丈で同年代に見えた。黒い髪は猫の体毛を彷彿とさせる癖っ毛で、右目には髪色と同化していて気がつきにくかったが、同じ色の眼帯で覆われている。左から覗く金色の目が余計に黒猫を思い出させた。無論、フィフリーネが茂みから出てきて欲しかったのは勿論黒猫そのものであって、黒猫の擬人化にお誂え向きの少年を出せとは言っていない。


「ファウスト王子の命です」


「え?」


 フィフリーネは息を呑む。まさか、ここでその名前を聞くことになるとは夢にも思わなかった。いや、別に以外ではないな。あの王子なら普通にこう言う事してくるだろう。


「ファウスト王子曰く、『全く、お転婆が過ぎるよ。私は真っ直ぐ帰れと言ったはずだがね? まあいい。はっきりと言っておくが、君に逃げられる場所なんて無いし悪事を企む隙なんて与えない。これに懲りたら、とにかく早く家にお帰り。分かったね、駄犬』との事です」


「ああ〜。なるほど、ご丁寧にありがとうございます」


 大凡、少年の口から発せられる言葉では無かったが、フィフリーネにはその背後にあの悪魔の若き天使の顔をした王子がはっきりと見えた。これはもう、どうしてフィフリーネの居る場所が分かったのか? を問う気力すらない。どうせあの王子の事だ。あの人はおそらく、全知全能の神に近い。


 最早フィフリーネには助かったと言う気持ちは無く、寧ろ助けてくれと言う気持ちを持ちながら少年の後に着くことにした。


「申し訳ありません。では、案内をよろしくお願いいたしますわ」


 言いながら軽く会釈をして顔を上げると、少年は何故か驚いた顔をしてフィフリーネを見るばかり。


 大きく見開かれた金色の瞳を見て、やはり警戒心の強そうな黒猫が連想された。

 

「どうかしましたの?」


「え……あ、いや……」


 少年は口籠って下を向いた。

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