24.お姫様支え


 しかし、心が挫けようとも続きゆくのが現実というものだ。


 ファウストがいなくなり、緊迫感のいくばくか解けた部屋内にはやはり当惑が蔓延している。フィフリーネももちろんその一人だった。


 状況を整理するに、どう言うわけか命は助かった訳だが、それで事は終わりではない。窮地を救ったのがこれまた別の窮地だと言うのなら、依然として状況は好転などしていない。寧ろ悪い方、予期しない方に流転している可能性さえある。異世界に転生してからと言うもの、何かずっと転がり続けているような気がする。転がる人生。略して転生。そんな訳あるか。


「おい」


「は、はい?」


 考え事をしていたフィフリーネは、声をかけられ慌てて顔をあげる。苛立ちの募った顔で、グランが美麗を台無しにしながら腕組みの姿勢でこちらを見下している。


「本当に、お前は自分の【魔眼】について何も知らないんだな? 嘘はないだろうな」


 グランが訝しんで吐き捨てるように言う。


「はい。誓って、嘘はありません」


 氷のような瞳に怖気付く心を震わせながら、目を逸らさずに答える。

 気圧された訳ではないだろうが、グランは眉根を寄せてはぁ、と一つ溜息を零し「それもそれで困る」と小さく呟いた。


「まあいい。ファウスト様がああ言っていたのだから、それは俺の計り知る事じゃない」


 と、自分に言い聞かすように続けて、グランは肩の力を抜いた。


「あ、あのぅ」


 気が緩んだのを見計らって、硯は恐る恐るとグランに声をかけた。


「何だ?」


「……先ほどの、ファウスト様のお話なのですが……えぇと、少々飲み込み難い部分がございまして、あの具体的に申し上げるのであれば……「犬になれ、か?」そう! そこです!!」


「何も難しい事ではない。その言葉通りの意味だが?」


「い、いえ? わたくし、一応自認としては人間のつもりなのですが……」


「ファウスト様が犬になれと言えば犬になるしかないだろう」


 横暴の質が違うだろ。

 どんな独裁政権でも、人の形を失い別の生物となることを己が裁量で為せとは言わないだろうが。


「ど、どうやって……?」


 しかし異世界。それも貴族重視の圧倒的縦社会。自認から改めろと言うこともありえるのかもしれないが〜転生したら犬になる事を強要されたので、犬真似を始めました〜のサブタイトルを冠す、そんな物語の主役は務めたくない。できれば。


「冗談だ」


 あなたの場合、冗談は事前に申請して欲しい。などと言えるわけもなく、フィフリーネは目を伏せた。


「おい、顔を上げろ」


 グランが言うのでフィフリーネは再び顔を上げる。


「──ッ?!」


 グランの顔が自身の顔スレスレに在った。


 思わず、身体を後ろに引く。

 いや。引こうとした、が正しい。

 

 現在、フィフリーネが取らされている体制は両手をまとめて後ろに縛られての膝立ちである。当然、身体の稼働領域は狭い。そんな姿勢のまま無理矢理後ろにのけ反ろうとするとどうなるか、そう、腰が砕けるのだ。決して眼前に美形の男の顔面があったから比喩的に砕けたのではなく、普通に、骨とか関節とかの限界と言う理由で。


 とはいえ倒壊に向かう身体を支え直すほどの屈強な腹筋および背筋はフィフリーネには備わっておらず、フィフリーネの腰は終焉に近づく──それを阻む手があった。


 その手はフィフリーネの倒れそうになっていた頭と、崩れかけていた腰を支えた。仰向けに仰け反ろうとしていたフィフリーネの目が捉えたのは、自身の薄い灰色の髪と混ざり、グラデーションを作るような濃い紫の髪。間違いない、グランの髪だ。


「……何をしているんだ」


 倒れるのを待つばかりだったフィフリーネの身体は、グランによって支えられ大惨事を免れていた。お姫様抱っこの姿勢にも見えるが、足は微妙に地面に付いているので差し詰めお姫様支えと言うのが言い得て妙だろう。


「あり、がとう、ございます?」


 そもそもの原因は急に顔を寄せてきたグランにあったが、フィフリーネはせめてもの礼儀としてお礼を言う。礼節を欠いてはいけない。


 グランは特別気にした様子もなく、呆れ顔でフィフリーネを見下ろしている。

 濃い紫の髪の奥から、金色の瞳がフィフリーネを覗いていた。


「礼など要らん。寧ろこの方が都合がいい」


「え?」


 グランが言いながら更にフィフリーネに顔を寄せる。反射的に目を瞑った。

 まつ毛が何かに触れている。その感覚でまた反射で目を開く。

 その瞬間、金色と薄灰色は相対した。

 グランの眼光がフィフリーネの瞳の奥を覗き込んだ。刹那、それは何かを知ろうとするみたいに瞬き、フィフリーネがその光にこれまた目を瞑り開いた時には、グランの顔は離れていた。


「今のは……一体?」


 尋ねてみたが、グランは口を一文字にしたまま開かない。用済みだとでも言うみたいに、途端にフィフリーネに対して一瞥もくれないままだった。

 上体を起こされ、そのまま両手の拘束を解かれると晴れて自由の身となったフィフリーネは、態度を持ってして部屋から出るように促された。


「もしや……【魔眼】……?」


 フィフリーネがその見解に辿り着くまで、さほど時間はかからなかった。

 返事はないが、おそらくきっとこの推測には間違いはないだろう。


 半ば確信しながら、フィフリーネは部屋を後にするためにドアに手をかけて腕を伸ばす。


「あ、痛っ」


「あ」


 内心の確信に自信を持つがゆえに勇足だったために、勢いつけ扉を押してしまった。結果、外側にいた人物を図らずも攻撃してしまっていた。


「し、失礼しました」


「あ……いやぁ、その。おかまいなく」


 それは気弱そうな青年だった。歳はフィフリーネより少し上に見える。同じ白色の制服を見に纏い、若干の猫背で、何かに怯えるようにして部屋の中へと入っていった。


 パタン、と扉が閉じられてフィフリーネは廊下に一人きりとなった。


「結局、犬になれってどう言う事……?」


 呟いてみれど、答えは無かった。

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