12.壺
豪華な朝食を摂り終えると、硯は席を立った。扉に向かっていく様な足取りに、ハルニエが続こうとする。しかし硯の足は扉ではなく一直線にアナリーの元へと向かっていた。
「何ですか?」
目の前に聳える様なアナリーから鋭い眼光を頂戴する。相対してみてわかったことだが、かなりの身長差があった。完全に威圧感たっぷりに見下ろされている構図だ。しかし、それに怯むような硯ではない。お腹いっぱいで臨戦体制は整っていた。
「答えてもらうわよ、アナリー」
「何が、何をです?」
鼻を鳴らして、あくまでも高圧的な姿勢を崩さないアナリーを硯は睨み据える。
「何かするって訳じゃないわ。どうしても、ハッキリさせておかなきゃならない事があるの」
硯の意思の強い目に押されて、アナリーが唾を飲み込む音が聞こえた。明らかな動揺。それを見て、硯は口を開く。
「わたくしの部屋の前の廊下にある壺、多すぎではなくって?」
「なっ……何ですって!! 何ですって?……え? …………何ですって?」
「いえ、ですから。わたくしの部屋の前の壺。アレ、多すぎません? 片付けて欲しいのだけれど」
「な、なぜ?」
「ぶつかって割ったら危ないじゃないの」
「何て?」
「だから、ぶつかって割ったら危ないじゃないの」
「え……それだけ? それだけですか?」
「そうよ」
大体、壺を置きたいのだとしてもこんなに屋敷が広いのだから、密集させて置くべきではないのだ。しかもあそこは殆ど人が近づかないのだから置いても無意味というものだ。芸術品や調度品の類は、見るものがいなければ無価値である。
「旦那様の私物ですから勝手に移動させるわけにはいきません」
「あらそうなの。じゃあお父様のところに行きましょう。案内してもらえる?」
「エェッ!?」
アナリーではなく、なぜか壁際で待機していたハルニエが驚きの声をあげた。硯はその様子を無視して推測を続ける。アナリー曰く、あの壺は父親が置いたらしい。誰も通らない通路にまで調度品を飾る目的はなんだろうか。まるで誰かに割って欲しくて置いているかのような……。
硯はそう邪推した。あくまでもこれは邪な目線での推理だ。しかし、壺の不自然さに対して疑問を呈するのは、あながち間違ってもいない気がするのは硯の妄想力および想像力の賜物だろうか。
「旦那様はご多忙です。もう家を出ていることでしょう。お話はそれだけですか?」
冷静さを取り戻したアナリーが言った。父親と会話ができない以上、これ以上の問答に意味はない。それに硯が頷くと、アナリーは一礼をして食堂を後にした。ハルニエは壁の近くから動かずにこちらを見ていたが、扉が完全に閉まり、足音が遠ざかったのを確認してからこちらにドタドタと音を立てて近寄ってきた。
「そんなに気になってたんですかあの壺!」
「ええ」
「どこのお金持ちも壺の一つや二つぐらい廊下に置きますってば」
「そうだとしても、あそこの壺の数は一つや二つではないじゃない。明らかに可笑しいでしょう? 何か特別な意図が無ければ……」
伏線と邪推は中二病の大好物である。何か引っかかるということは、その何かは必ず意味のあることでなければならない。あちらの世界で言う、チェーホフの銃理論だ。硯はあそこに壺がある必然性について説いている。
「もしや……罠?」
「はい?」
「罠! そう、罠だったのね!」
ならば合点が行く。罠。すなわちトラップ。誰かに割って欲しくて置いているならば、そう言うことなのだろう。それもおそらく、フィフリーネを陥れるための罠。
「お待ちくださいフィフリーネ様。そんな罠を仕掛けて、何になると言うのです」
「ほら、あれよ! よくやるじゃない。懲罰する理由づくりとか!」
「懲罰やらが目的なら、直接言いにくるしやるでしょうよ、ここの人たちは。貴女を貶めるのに特別理由なんて要らないんですよ」
「たしかに」
同意するのもどうかと思うけれど、硯は思わず頷いてしまった。確かに。
「じゃあ、転んで怪我しろとか!」
「なら床におけばいいでしょうよ!」
「それもたしかに」
「とにかく、何にもありませんから」
しまった。万策尽きてしまった。でも、やはり何かが引っかかる。
「じゃあ……とりあえず割ってみる?」
硯は気を取り直して、趣向を変えることにした。RPG曰く、壺というものは割れるものなのだ。RPG曰く、壺は割るべきなのだ。善は急げと、硯は食堂を出て来た道を引き返す。
「どこから取り出した「とりあえず」なんですか!? しまってください。ああっ! 行かないで! 割らないでー! 割らないでッ!!!」
後ろから慌てたハルニエの静止の声が聞こえるが、振り切って階段を駆け上がる。
「ハルニエ! 力を貸して!」
ついでに協力も申し出てみた。
「何に協力を求めてるんですか! 共犯にしようとしないでください!」
断られてしまった。
階段を登り終え廊下に出ると、そこには先のメイドたちがまだいて硯の姿を見るなりヒィィッ! と声をあげて廊下の端に寄った。走りやすくなって大変助かるのでこの際悲鳴は気にしない。ハルニエが後ろから迫ってくる音が聞こえるので追い付かれる前に駆け抜ける。
「ま、待ってください! 誰か、誰かフィフリーネお嬢様を止めてくださぁーーいッ!」
悲痛な声が廊下中に響き渡ったが、萎縮しきったメイドたちが身体を動かそうとする気配はなかった。余計な邪魔もなく突き当たりを曲がると異様な壺だらけの廊下が見えた。
硯は手頃な壺を手に取り、力一杯地面に振り下ろそうと振りかぶった──ところで、追いついたハルニエが硯の腕を掴んで止めた。
「離して頂戴、ハルニエ」
「離したら割りますよね?! 強行突破しようとしないでください!!」
息を切らしながら、ハルニエが硯の腕をギュッと握りしめて抑えている。跡がつきそうなぐらいには痛い。本気の止め方だ。
「割らせてほしいのよ、ハルニエ。これはわたくしにとって大事なことなの。確認するためなのよ。いいじゃない、こんなにたくさんあるんだから一つや二つくらい……」
「どこの世界線に壺を割る令嬢がいるんですか……!」
情に訴える作戦もあえなく撃沈した。腕に手がめり込んで痛いので、なんとか離して欲しい。しかし、ハルニエも硯と同じく一歩も引く様子ではないので、しばらく壺を掲げた令嬢とそれを引き止めるメイドという珍妙な膠着状態が続いた。
その沈黙の鍔迫り合いが続いた頃、ハルニエが根負けしたように叫んだ。
「わ、わかりました! 白状します! 白状しますから〜〜ッ!」
「白状?」
硯はハルニエの言葉に、掲げていた壺を下ろした。あげっぱなしだった腕が痺れて、血がじんわりと指先に戻っていくのを感じながら、人質さながらに壺を抱える。
「じ、実はこの壺たちを廊下に置いたのは実はハルニエなのです!」
「え?」
ハルニエからでた言葉に硯は完全に困惑した。その隙を見てハルニエが硯から壺を取り上げた。大事そうに抱えながらハルニエは何かを言い淀んでいる。
「……どういうことかしら」
硯はハルニエに尋ねる。ハルニエはどうして、廊下の両端に狂気的な数の壺を設置するに至ったのだろうか。知りたいどころの騒ぎではない。知りたすぎる。謎すぎて。場合によっては硯もやることやるぞの気持ちで拳を固めた。
「……フィフリーネお嬢様はいつも、廊下の端を歩いておいででした。令嬢らしくなく、自身なさげに肩を落として陰気に歩かれている様を見て、ハルニエは考えたのです。廊下の両端に何かがあれば真ん中を通らざるを得ない、と。ハルニエなりの気遣いのつもりでした。全くの無用でしたけれどね」
「ハ、ハルニエ〜〜ッ!!!」
その言葉を聞いて、硯は自分の握り固めた拳を恥じた。そして今までの邪推及び妄想及びクソ見たいな推測をも恥じた。罠でも、嫌がらせでもなく……こんな気遣いに富んでいたとは夢にも思っていなかった。
「ちょ、抱きつかないでください! 苦しい、苦しい〜〜ッ!」
硯はハルニエに熱い抱擁をした。ハルニエの叫び声が廊下中に響き渡り、メイドたちを再び震撼させていたことは、硯には知る由もない。
「お、お嬢様は一体どうしてしまわれたのですか……」
硯の腕の中のハルニエがげんなりした様子で言う。
「強いて言うなら、生まれ変わってしまったの。でもね……「しまった」訳ではないの。生まれ変わったのよ、文字通り」
「そおですか。……そおですか……はぁ」
「ありがとうねハルニエ。心遣いに感謝するわ。でももう大丈夫。私は廊下の端なんて歩きませんことよ」
硯は感謝を述べてハルニエを抱きしめ続けた。ふてぶてしい人間だと思っていたが、こんなに心優しく気遣いある人間だったなんてと硯は感激で胸がいっぱいである。
硯が頬擦りまでしかけた時に、ぐったりとしていたハルニエがボソッと呟いた。
「片付けるの面倒なんですよねぇ……」
前言撤回。
本音はそれか、ハルニエよ。
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