乙女ゲームというものがあったそうです
通いのメイドのダリアに黒のワンピースを着せられ、私は姿見の前に立った。そこには天使のような容姿をしたかわいい5歳の女の子がいた。
髪の色は赤みがかったストロベリーブロンド。この国では「愛し子の色」ともてはやされる、いわゆるモテ髪だ。しかも普通のストロベリーブロンドよりも赤みが強くて、ピンクと言ってもいい色合い。マシュマロのような白さの頬、ぷっくりとした色づきのいい唇。金色の瞳は豊かなまつ毛に縁取られ、くっきりとした二重のおかげでこぼれ落ちそうなほどに大きい。綺麗かかわいいかと言えば……どっちもある。そんな恵まれたきらきらした容姿。顔の造りは美人と名高かった実母に似たとしても、いささか出来過ぎなかわいらしさだった。
この顔の造りを見たとき、もうひとつのありえない記憶が蘇った。
アンジェリカ・コーンウィル。これは日本で流行っていた乙女ゲームとやらの主人公の名前。そしてこの容姿は、二次元のイラストでしか見たことはないが、間違いなくゲームの主人公のそれだ。
ありえないと額を押さえ、ベッドに座り込む。純日本人の牧野絵理子はどこへ行った……。前世の私は一重だし、当然ながら髪も目も黒だった。その名残がかけらもない。
名前や生い立ちの記憶とともに、ある日のビデオ通話先の妹のはしゃいだ声が蘇る。
「もうどハマりしちゃってさ! ほら、おばあさまのうちにいるときはゲームなんて出来なかったじゃない? 専門学校の友達が勧めてくれて、最初はゲームなんて……って思ってたんだけど、これがまたすごくいいの! 一番のオススメはね『トゥルー・ラビリンス』、略して『とぅるらび』。ヒロインはアンジェリカ・コーンウィル・ダスティンっていってね、もともと庶民育ちなんだけど実は男爵家の隠し子だったことが判明して、ひきとられるの。それで貴族が集うセレスティア王立学院に入学して、数々のイケメンと恋に落ちるのよ!」
ほら見て!とご丁寧に共有された画像には、ピンクの髪をしたゆるふわなヒロインとそれを取り巻くきらきらしいイケメンたちが描かれていた。
どうやら我が妹殿は専門学校で乙女ゲームなるものにハマったらしい。
ゲームはもちろん、二次元にも疎い私相手に立て板に水のごとくまくし立ててくる内容は、私にはまったく興味のないものだったが、いつもハイハイと相槌を打ちながら聞いていた。小学生で両親を亡くした妹は、いわゆる女子的な楽しみをほとんど味わわずに育ってきた。祖母は私たちの生活や嗜好に無頓着だったが、離れに暮らす孫たちがゲームや漫画などに散財していると知ればいい気はしなかっただろう。そうした配慮から私たちは極めて質素に暮らしていた。
ゆえに今、それらを取り戻しているのだと思えば十分許せる。聞けば専門学校時代は友達のソフトで遊ばせてもらい、グッズなどを買い漁るようになったのは就職してからとのことなので、祖母のお金を使い込んだことにもならない。
妹に寂しい思いをなるべくさせないよう、愛情を与えてきたつもりだった。でも物質的に寂しい思いをさせたのは事実だ。その妹が充足した気持ちで画面の先で笑っている。人から後ろ指差されるような趣味でもなし。私は微笑ましい思いで妹の話を聞いていた。
妹がプレイしていた乙女ゲームの世界。それが今私が立っているこの世界だ。
ゲームに疎い私が、妹が
私の同僚のアンジェリカ・コーンウィルは白人ではなくアフリカの現地人だ。両親は政府機関で働いていて、彼女自身も海外の大学を卒業している、いわゆるこの国のエリート階級のお嬢様。しかも彼女の出身の町の名前がダスティンといった。ちなみにゲームの中の「ダスティン」は、ヒロインがひきとられる男爵家の家名らしい。妹からこのゲームの話を聞いたとき、思わず飲んでいたお茶を吹き出した。
私の同僚のアンジェリカは、お嬢様とはいえきっぷのよい陽気な人で、酔っ払えば大いびきをかいて眠る豪快な女性だったので、妹が見せてくれた二次元画像とのギャップがあまりにおかしくて笑ってしまったのだ。ためしにそれを本人にも見せたところ、本物のアンジェリカも大笑いして、一時期SNSのサムネに使っていた。
アンジェリカのことを思い出すと胸が痛む。彼女も送別会の場にいたが、余興のダンスの準備があるといって席を外していた。どうか無事でいてほしい。ほかの村人たちもだが、彼女が生きてさえいてくれれば、あの村は、あの産業はまた復活できるはずだ。
そこまで思い出したとき、部屋にノックの音が響いた。私が小さく返事をすると、通いのメイドのダリアが「バーナード様がお嬢様に会いにいらっしゃいましたよ」と扉をあけた。ダリアの隣にいたのは遠縁の伯父様だ。
「アンジェリカ、会いたかったよ。今日は大事な話があって来たんだ」
3日前に母の葬儀と埋葬が終わったばかりだ。月に一度しか来訪しない伯父が何度も来るのは珍しいが、その理由もすぐに想像がついた。
妹から何度も聞かされた話を思い出す。
「アンジェリカ、今まで黙っていて申し訳ない。いろいろ事情があって、どうしても話せなかったんだ。だけど、今ようやく君に話せる状況になった。聞いてほしい」
伯父は人の良さそうな顔を引き締め、私の視線の高さに合わせるようしゃがみこんだ。
「アンジェリカ、私は君の遠縁の伯父と名乗っていたが、本当は違う。私は……君の本当の父親なんだ」
そう言って伯父、もとい父親のバーナード・ダスティンは私の頬にやさしく触れた。
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