第8章 永遠の娘、永遠の女④
8.2.3 児童館という社交場
「This way, Sophia. Be careful, ok? こっち、ね?」
私はエントランスのスリッパ棚でしゃがみ、娘の足から靴を脱がせる。
ピンクのスニーカーにはまだ昨日の砂場の砂が残っていて、それがなんだか可笑しかった。
少し成長した、でもまだ甘えたがりの2歳10ヶ月。
子どもらしい靴。
子どもらしい重心。
「ママ、あのこ…あの、トンネルするの?」
Sophiaは、私の隣にしゃがんでいた日本人の女の子を指差しながら、そう言った。
まだ英語が主体だけど、日本語の単語が少しずつ混ざってきている。
鏡のようだった。
私が“混ぜて”見せてきた言葉を、そのままなぞるように発音している。
「Yes, tunnel します. We can go, if you want. 一緒にplayね?」
そう口にすると、近くにいた若い母親が私の方を見て、小さく笑った。
「日本語、上手ですね」と言いたげな目つき。
その目の奥にあるものを、私は見逃さない。
無意識の好奇心、安心、そして「この人は私たちとは違う」という微細な距離感。
その距離が、むしろ心地いい。
私は、完璧に演じていた。
たどたどしい日本語。
単語の順番を崩し、英語の思考回路をトレースするように、わざと文末に迷いを残す。
語尾を柔らかく崩し、日本人の女性が思わず「助けてあげたい」と思う程度の“拙さ”を精密に仕込んだ。
「ここのplay room、えーと……いつまでopen?」
「11時半までですよ。お昼前まで遊べます」
「Ah, thank you so much! わたし、ちょっと、まだ時間の感じ、むずかしい……」
それは完全な嘘だった。
私はその児童館のタイムテーブルを既に3週間分、頭に入れていた。
開館時間、職員の交代のタイミング、他の母親たちの登場時間帯、誰がどの曜日に来るかまで全部、パターンとして把握していた。
Sophiaはトンネルをくぐって、笑いながら他の子と遊んでいる。
日本語だけで会話している。
完璧だった。
その光景は「日本で育つ外国人の子ども」の理想的な一場面として、どこに出しても通用するだろう。
私はその光景の“背景”として、絶妙なバランスで存在していた。
気さくすぎず、孤立しすぎず。
母親同士の会話にも少し混ざるが、深くは踏み込まない。
笑うタイミングは合っているが、ツッコミはしない。
あくまで”外国人”というカテゴリに最適化された、文化的アウトサイダーの演出。
「えっと、今週の、わたし、行きます。なんて言う…ほいくえんの、なんか?」
「入園説明会?」
「Yes, yes!That one. まだ、難しいけど……ママ、がんばる」
それを聞いた一人の母親が、「Emilyさん、ほんとにしっかりしてるよ〜」と笑った。
私が一歩、彼女たちの“輪”に入った瞬間だった。
私は演技の成功に陶酔していた。
「いや、ぜんぜん…Thank you, but…ほんとうに everyday struggle」
言葉を崩すことは、私にとって芸術だった。
文法のミスひとつで、相手の警戒は緩む。
感情の共有は加速する。
何もかもを正確にこなしているより、少し抜けたほうが“好かれる”ことを、私はかつて水商売の現場で骨の髄まで学んできた。
そして何より——
私はその“不完全さ”という虚像の中で、権威を得ていく。
誰もが私を「大変なのにがんばってるママ」
「英語しか話せないのに日本で育児してる外国人女性」として、半ば尊敬のまなざしで見ていた。
現実には、私は完璧にこの社会を把握している。
完全な日本語を操れるし、文化も、制度も、心の機微すらも理解している。
だが、私はあえて「拙い日本語」で、彼女たちの“上”に立っているのだ。
この支配感。
この優越。
この偽りの階段を登る悦び。
育児という舞台でさえも、私は「Emily Grace Williams」として君臨している。
Sophiaが私の方へ走ってきて、抱きついた。
「ママ〜、あのね、ねこさんいたの!」
「Really? Wow! ねこさん?Cute〜!」
私はSophiaを抱き上げながら、その小さな身体の重みに意識を預ける。
この子は、私の仮面の中で育ち、私の“完璧な母”としての演技を受け入れている。
誰にも見破られない。
誰にも、私の正体には届かせない。
——私は、今日も完璧だった。
8.2.4 母という完成形
朝の光は、白いレースのカーテン越しに優しく差し込み、キッチンの床に影を編む。
私はその影の中を、裸足で歩く。
冷たい木の感触が、私をこの現実へと結びつけてくれる。
Sophiaの声が背後から聞こえる。
「Mama, I want… banana pancake. Again!」
「Yes, sweetheart. Pancake, again, again, right? I remember.」
私は振り返り、笑顔をつくる。
声のトーンは高く、語尾を柔らかく落とす。
それは、完璧な「母」の声。
何度も練習した。
鏡の前で、録音して、何度も、何度も。
フライパンにバターを落とし、卵を割り、ミルクを注ぐ。
そのすべての動きが、ある種の儀式のように洗練されていくのを感じる。
この手の所作ひとつひとつが、私の「女」であることの証明なのだ。
母として生きる今の私は、演技などではない。
いや、たとえ演技であっても、それを演技と誰が証明できる?
役割を生きるということは、それ以上の真実があるだろうか?
「Mama, pancake is dancing!」
テーブルの上で、Sophiaが小さな手を上下に振っている。
Eテレの幼児番組のメロディに合わせて、足をとんとんと打ち鳴らす。
私は笑って言う。
「Yes, pancake is very happy! Very very happy!」
彼女は「ママは英語の人」と思っている。
私がわざと間違えた日本語で話すとき、Sophiaはそれを真似る。
でも、近所の子どもたちとは流暢な日本語で話す。
そこに何の違和感もない。
私はただ「英語のママ」で、それ以上でも以下でもない。
「Sophia, くち、wipeする。messy mouth, no noね。」
私は小さなウェットティッシュで彼女の口元を拭く。
その手つきは、母親から娘へと継がれる、千年の所作のように自然で、繊細だ。
何千回も繰り返した動きが、今や反射のようになっている。
美しいと思う。
自分の手が、彼女に触れるその瞬間が。
台所に立つ自分の姿を、ガラス越しに見ることがある。
ノースリーブのトップスに細い肩、胸は静かに盛り上がり、腹部は平坦。
あの肉体の中に、「男だった」過去の欠片など、もう何ひとつ残っていない。
声帯も骨格も皮膚の色さえ。
私の細胞のすべては、この役割のために捧げられてきた。
「私は母であることによって、完全な女であり続けられる」
その言葉が脳裏をかすめる。
でも、それはどこかの本の引用だったか、それとも私自身が編み出した呪文だったか、もう思い出せない。
思考と肉体の境界線はとっくに崩れ、今や「Emily」としての人生は、ただSophiaを愛するために存在している。
Sophiaが床に座り、小さなブロックを積み重ねる。
「Look, mama! This is… pink castle!」
「So beautiful! それ、すごい!Princess live inside, yes?」
「Yes! Mama is also princess?」
私は一瞬、答えをためらう。
そうね、私はプリンセス。
だけどそれは──
「No… mama is queen. For you only, sweetheart.」
彼女は嬉しそうに笑い、私の膝に飛びついてくる。
私はその重さを、体の奥で感じる。
腕の中にあるこの命が、私という存在の意味のすべて。
自己など、もうどうでもよい。
変身したいという欲望も、誰かに見られたいという渇望も、今はもう静かだ。
私の中に燃え盛っていた「なりたい何か」への執着は、ただこの日常の中に溶けてしまった。
家事も育児も、ルーティンとなり、快感でも苦痛でもない。
ただ静かで、安心できる営み。
私はいま、完成している。
Emily Grace Williamsとして、そしてSophiaの母として。
それ以上の「女」が、どこにある?
たとえすべてが演技だったとしても。
たとえそれが、骨を削り、皮膚を引き伸ばし、臓器を切除してまで成し遂げた狂気の結晶だったとしても──
この娘が「Mama」と呼ぶ限り、私は真実だ。
それだけが、私の現実なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます