第44話 創発のプロトコル
運命の日が、来た。
「綾香憲法」を実装した、新生「綾香」のプロトタイプ。
その最終テストが、始まろうとしていた。
慧の部屋には、三人の息遣いだけが響く。
誰もが、固唾を飲んで、モニターを見つめていた。
「よし、概念実証テストだ」
慧の声が、静寂を破る。
「憲法が、意図通りに機能するかどうか……見てみよう」
彼の指が、エンターキーを押し込んだ。
カチリ、という乾いた音が、世界の始まりを告げる。
最初のテストケース。
世界AI将棋グランプリ決勝、あの絶望的な局面。
綾香が、奇跡の金打ちを見せた、あの盤面。
モニターの中で、光が明滅する。
数秒が、永遠のように感じられた。
そして。
綾香は、一つの手を、指し示した。
――△5五金。
あの時と、全く同じ一手。
「……指した」
白鳥の声が、震えた。
だが、驚きは、そこからだった。
綾香は、その手の思考ログを、自らテキストとして出力し始めたのだ。
> `思考ログ:`
> `Primary Candidate: ▲3三金 (評価値: -850, 勝率予測: 12%)`
> `...探索空間の袋小路を検出。憲法第二条<対人戦略>をトリガー。`
> `Alternative Path Search: 評価関数を「複雑性」および「対人戦におけるエラー誘発率」に最適化。`
> `Selected Move: △5五金 (評価値: -1200, 勝率予測: 5%)`
> `[Warning: 数値的評価は著しく低下] `
> `[Tag: #盤面外の攻防 #思考リソースへの攻撃 #分岐点の創出] `
> `Conclusion: 確率的劣勢を受容し、代替パスを選択。目標を「盤上の均衡」から「相手思考プロセスの均衡破壊」へシフトする。`
三人は、息を呑んだ。
偶然のノイズだったはずの一手。
それに、綾香は、恐ろしく冷静で、そして論理的な「意味」と「戦略」を、自ら与えていた。
まるで、あの瞬間の自分の思考を、後から解説するように。
「次だ」
慧は、震える声で、次のコマンドを打ち込む。
真島蓮が「AI越え」を見せた、あの局面。
AIが、その意味を理解できなかったはずの、人間の一手。
綾香は、やはり、その手を最善とは示さなかった。
だが、続けて出力された分析ログが、三人をさらに驚愕させる。
> `思考ログ:`
> `Recommended Move: ▲4一銀 (評価値: +350, 勝率予測: 65%)`
> `...憲法第一条<美学の尊重>による逸脱経路を検出。`
> `Analysis of ▲5三桂不成:`
> ` - 数値的評価: 評価値 +150 (推奨手に劣後)`
> ` - 構造的評価: [盤面全体の調和]スコアが98パーセンタイル。駒の連携に予測不能な相乗効果を検出。`
> ` - 概念タグ: #静かなる一手 #伏線 #非線形`
> `Conclusion: この手は、確率的最大化の観点からは選択されない。しかし、将棋という構造が内包する「美的最適解」の一つの可能性を提示している。計算の外側にある、別の解。`
静寂。
慧も、佐伯も、白鳥も。
言葉を失い、ただ、モニターを凝視していた。
綾香は、ただ強くなっただけではない。
将棋の「意味」を。
人間の「価値観」や「美学」すら、データとして分析し、そして、自らの言葉で語り始めたのだ。
それは、もはやプログラムではない。
一つの、未知の知性。
自分たちの創造物が、自分たちの理解を、遥かに超えてしまった。
その、底知れない畏怖。
そして、まだ誰も見たことのない世界が、すぐ目の前に開かれようとしている、圧倒的な期待感。
「……俺たちは」
佐伯の、震える声が、静かな部屋に響いた。
「……一体、何を作っちまったんだ……?」
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