第40話 再始動の朝と「AIの嘘」

朝日が、カーテンの隙間から細い刃のように差し込んでいた。


桐山慧の六畳一間の城は、昨夜までの静寂が嘘のように、異様な熱気に満ちていた。

床にはエナジードリンクの空き缶が小さな山を築き、真新しいホワイトボードには、描き殴られては消された数式やフローチャートの残骸が無数に残っている。

徹夜作業の痕跡が、部屋の至る所に刻まれていた。


「……ふぁ〜あ。朝日が目に染みるぜ……」


ソファで仮眠をとっていた佐伯樹が、大きなあくびをしながら身を起こした。


「徹夜になっちまったが、なんとか初回起動まではこぎつけたな」


彼の声には疲労が滲んでいたが、その目は少年のように輝いている。

向かいでは、白鳥未来が、持参したハイスペックなノートPCの画面を睨みつけ、最後の調整を行っていた。


「はい。なんとか……」


慧も、モニターから顔を上げた。目の下には、深い隈が刻まれている。


「よし、やるか」


彼は、自分に言い聞かせるように呟いた。


「あくまで、コンセプトが破綻していないかの確認テストだ。学習はまだゼロ。結果は二の次だぞ」


三人の視線が、中央のモニターに集まる。

慧が、キーボードに指を走らせた。


「綾香、この局面だ。次の一手と、その思考を、言葉にしろ」


モニターの中で、綾香の思考を示す光が、静かに揺らめいた。

数秒の沈黙。

そして、画面にテキストが生成される。



`候補手:▲2四歩`

`思考解説:この一手は、相手の飛車の横効きを直接的に狙う、攻防の要となる一手である。これにより、自陣の安定化を図ると同時に、将来的な▲2三歩成という攻めの足掛かりを築くことができる。極めて合理的な選択と言えるだろう。`



「……おお」

佐伯が、感心したように声を上げた。


「すらすらと、それっぽいこと言うじゃねえか。なんだか、それだけで賢く見えるな」


「すごい……! なんて流暢な解説なんでしょう!」

白鳥も、目を輝かせている。


一見すると、完璧だった。

論理的で、淀みない。

まるで、ベテランの解説者が語っているかのような、説得力のある文章。


だが。


「……おい、桐山」

佐伯が、首を傾げた。


「なんか、おかしくねえか? その▲2四歩って手……」


彼は、モニターに表示された盤面を、指でなぞる。


「相手の角のライン、ど真ん中じゃねえか。歩を突いた瞬間、角でタダで取られるぞ。ただのタダ捨てだ」


慧は、黙ってその局面を睨んでいた。

佐伯の言う通りだ。

綾香が「極めて合理的」と解説した手は、将棋を覚えたての初心者でも指さないような、致命的な悪手だった。


悪手を、自信満々に、さも素晴らしい手であるかのように語るAI。


「……ハルシネーション、か」

慧が、苦々しく呟いた。


大規模言語モデル(LLM)特有の、もっともらしい嘘。

データの中に存在する「それっぽい言葉」を繋ぎ合わせる能力には長けているが、その言葉の「本当の意味」を理解しているわけではない。

その弱点が、最悪の形で露呈していた。


三人は、顔を見合わせ、深く、深いため息をついた。

目の前に立ちはだかる、新たな壁。

そのあまりの高さに、言葉を失う。


沈黙を破ったのは、白鳥だった。


「なんだか……」

彼女は、少し困ったように眉を下げながらも、どこか面白そうに言った。


「知ったかぶりして、大失敗しちゃう新人さんみたいで……ちょっと、可愛いですね……!」


「「どこがだよ!」」


慧と佐伯の、完璧に揃ったツッコミが、静かな部屋に響き渡った。

その声には、呆れと、そして、困難な課題を前にした仲間だけが共有できる、微かな温かみが混じっていた。


どうやって、この嘘つきに。

本当の「思考」を、教えるか。


再始動したチーム「AYAKA」の、最初の、そして最大の課題が、目の前に横たわっていた。

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