第25話 見え始めた「手の彼方」、次なる戦場への号砲

村瀬翔太七段の勝利は、単なる一局の勝敗を超えて、桐山慧の心に大きな波紋を広げていた。

自分が生み出した綾香の棋譜が、人間の棋士の感性と融合し、新たな将棋の可能性を切り拓いた。

その事実は、慧にとって何よりも大きな喜びであり、同時に、AI開発者としての責任の重さを改めて自覚させるものだった。


「見たか、桐山。村瀬七段、やったぜ」

佐伯が、興奮した様子で慧に話しかける。

彼のPCモニターには、村瀬七段の勝利を伝えるネットニュースのヘッドラインが映し出されていた。


「ああ…」

慧は短く頷いた。

その表情は穏やかだったが、瞳の奥には確かな熱が灯っている。

「綾香の指し手が、人の心を動かし、そして結果を出した。これ以上の証明はない」


新生「綾香」の力は、もはや疑いようもなかった。

オンラインレーティングサイトでの圧倒的な成績。

そして、プロ棋士による実戦での有効性の証明。


慧は、自室のモニターに、綾香と「不動」との過去の対局棋譜を映し出した。

あの大会の決勝戦。

終盤で力尽き、苦杯を嘗めた、忘れられない一局。


「今の綾香なら…」

慧は、無意識のうちに呟いていた。

「今の綾香なら、あの時の『不動』にも、勝てるかもしれない」

いや、と彼は心の中で首を振る。

勝てるかもしれない、ではない。

勝てる。

そして、もっとその先へ行けるはずだ。


佐伯が、慧のその言葉に力強く頷いた。

「ああ、間違いない。今のこいつは、本物だ。化物だよ」

彼の声にも、絶対的な自信が満ちている。

「なあ、桐山。次は、もっとデカい舞台で、こいつの実力を見せつけてやろうぜ」


その言葉は、慧が考えていたことと完全に一致していた。

綾香は、もはや個人の趣味や、小規模な大会で満足するレベルの存在ではない。

将棋AIの歴史に、その名を刻むべき存在へと成長しつつある。


慧は、決意を固めた。

「佐伯。次の目標は決まった」

その声は、静かだが、揺るぎない力強さを秘めていた。


「…『世界AI将棋グランプリ』だ」


世界AI将棋グランプリ。

それは、年に一度開催される、将棋AI開発の世界最高峰の大会。

世界中のトップクラスのAIと、その開発者たちが集い、文字通り「世界一」の座を賭けて激突する、最も権威のある舞台。


佐伯の目が、カッと見開かれた。

「…マジかよ、桐山! いきなり世界か!」

驚きと、それ以上の興奮が、彼の全身から溢れ出している。


「今の綾香なら、十分に戦えるはずだ。いや、頂点を狙える」

慧の言葉に、迷いは一切なかった。


佐伯は、ニヤリと笑った。

「面白い。面白くなってきたじゃねえか!」

彼は立ち上がり、慧の前に立つ。

「よし、乗った! やってやろうぜ、桐山! 世界一、獲ってやろうじゃねえか!」


二人の拳が、固く打ち合わされる。

それは、新たな挑戦への号砲だった。


慧は、世界AI将棋グランプリの公式サイトを開き、エントリーフォームへと進む。

プログラム名:AYAKA。

開発者名:桐山慧、佐伯樹。

一つ一つの項目を、確かめるように入力していく。


そして、最後に、「送信」のボタン。

慧は、一瞬だけ目を閉じ、そして、静かにそのボタンをクリックした。

カチリ、という小さな音が、部屋に響く。


その瞬間、慧の脳裏には、奨励会時代の挫折、綾香との出会い、佐伯との再会、そしてこれまでの苦闘の日々が、走馬灯のように駆け巡っていた。

だが、今はもう、過去を振り返る必要はない。

目の前には、綾香と共に目指すべき、新たな地平が広がっている。


「手の彼方」に、何が見えるのか。

その答えを確かめるための、最も大きな挑戦が、今、始まろうとしていた。


慧の心は、静かな高揚感と、微かな、しかし心地よい緊張感に包まれていた。

窓の外では、いつの間にか夕日が沈み、深い青色の空が広がっている。

その空のどこか遠くに、まだ見ぬ戦いの舞台がある。

綾香と共に、必ずそこにたどり着いてみせる。

慧は、固くそう誓った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る