第14話 綾香の衝撃、予選という名の奔流

「予選第一局、対局開始してください!」


アナウンスと共に、会場のあちこちでAIを起動する音が響き渡る。

慧と佐伯も、綾香のプログラムを起動し、最初の対戦相手との接続を確認した。

モニターに映し出された初期配置の将棋盤。

そこから、まだ見ぬ戦いが始まろうとしている。


慧は固唾を飲んで盤面を見守る。

心臓の音が、やけに大きく聞こえた。

佐伯は、隣で冷静にログを監視し、綾香の思考プロセスに異常がないかを確認している。

その落ち着いた様子が、慧の緊張を少し和らげてくれた。


先手は綾香。

初手、▲2六歩。

ごく普通の、飛車先の歩を突く一手。

しかし、数手進んだところで、早くも綾香は人間的な常識から逸脱した手を指し始めた。


まだ序盤の駒組みが始まったばかりだというのに、いきなり自陣の守りの要であるはずの角を、敵陣深くに睨みを利かせる位置へと進出させたのだ。

通常なら、まず自玉を固め、戦いの準備を整えるのがセオリーとされる場面。

あまりにも大胆で、無謀とも思える一手。


「おいおい、マジかよ……」

佐伯が思わず声を漏らす。

慧も息を詰めた。

もし人間がこんな手を指せば、解説者からは「何を考えているんでしょうか」「無謀としか言いようがありません」と酷評されるに違いない。


ネット中継のコメント欄も、この一手で騒然となっていた。

『なんだこの手!? AI特有のバグか?』

『いや、でも評価値はプラスになってるぞ…』

『解説はよ! プロでも理解できんのか?』

『これがディープラーニング型AIの感覚か……』


会場の他の開発者たちも、何人かが綾香のモニターに注目している。

その表情には、困惑と、そして微かな興味の色が浮かんでいた。

先ほど会話を交わした白鳥未来も、少し離れた席から身を乗り出すようにして、綾香の盤面を食い入るように見つめているのが分かった。

彼女の目が、きらりと輝いた気がした。

「すごい……あんなところに角を……!?」

小さな、しかし興奮を抑えきれないといった声が、慧の耳にも届いた。


しかし、綾香はそんな周囲の動揺など知る由もない。

淡々と、計算によって導き出された最善手を指し続ける。

その後の展開は、慧や佐伯の想像を遥かに超えていた。


あの無謀に見えた角が、絶妙な位置で相手の駒の動きを制限し、盤面全体の主導権を握る起点となっていたのだ。

相手AIの構想は、この一手で完全に狂わされたように見えた。

その後も綾香は、人間には到底思いつかないような、しかし恐ろしく合理的な手を次々と繰り出し、あっという間に優位を築き、そのまま押し切ってしまった。


「……勝った」

終局の表示と共に、慧は安堵の息を漏らした。

佐伯は「すげえ……」と呟きながら、興奮した様子で対局ログをスクロールしている。

「あの一手、常識じゃ考えられないけど、結果的に盤面全体が引き締まって、相手の攻め筋を完全に潰してたんだな……恐ろしい大局観だ」


白鳥未来が、いつの間にか彼らのすぐ後ろに来ていた。

「見ましたか、今の一局! 特に中盤のあの一手、普通なら絶対に悪手に見えるのに、数手先で盤面全体を支配してる……! 一体どういう評価関数を使ってるんですか!? あの局面、うちのAIだったら、真逆の手を指してますよ!」

彼女は目を爛々と輝かせ、矢継ぎ早に問いかけてくる。

その熱量に、慧も佐伯も圧倒されながら、悪い気はしなかった。

綾香の将棋が、これほどまでに他の開発者の心を揺さぶっているのだ。


綾香の快進撃は、そこから始まった。

第二局、第三局と、対局を重ねるごとに、その特異な棋風は会場の注目を集めていく。

人間の棋譜に一切依存せず、数億、数十億という自己対局のみで将棋を学んだ綾香。

その指し手は、時に静かな水面に一石を投じ、盤面全体の力関係の波紋を一変させるような一手であり、時に相手の思考の死角を突く、見えない角度からの奇襲のようでもあった。


ある対局では、序盤の早い段階で、自陣の守りの要である金を、敵陣攻略のために前線に送り出すという、常識外れの作戦を見せた。

その瞬間、会場のあちこちから、どよめきとも感嘆ともつかぬ声が漏れた。

観戦していたアマチュア高段者らしき男性が、「あんな手、人間には怖くて指せんよ……だが、理に適っているのかもしれん」と唸るのが聞こえた。


綾香は、まるで人間が長年かけて築き上げてきた将棋のセオリーを嘲笑うかのように、自由奔放に盤上を駆け巡る。

しかし、その手は決してデタラメではなく、恐ろしいほどの計算と合理性に裏打ちされていた。

それは、まさしく「異質な知性」が紡ぎ出す、新たな将棋の形だった。


慧と佐伯は、綾香のモニターに表示される評価値と盤面から目が離せなかった。

緊張と興奮が交互に押し寄せる。

綾香が優勢になれば安堵し、少しでも形勢が揺らげば息を飲む。

それは、かつて自分が盤の前で感じていた勝負の緊張感とはまた違う、開発者としての、産みの親としての祈りに近い感情だった。


予選は、10チームが決勝リーグに進出できるスイス式トーナメント。

綾香は、その独創的な将棋で次々と白星を重ねていった。

もちろん、危ない場面が全くなかったわけではない。

相手AIの鋭い反撃に、一瞬ヒヤリとさせられることもあった。

だが、そんな時でも綾香は冷静さを失わず、的確な対応で危機を脱し、勝利を手繰り寄せた。


そして、ついに。

「予選最終局、終了しました! これにて、予選全対局が終了です!」

アナウンサーの弾んだ声が、会場に響き渡った。

モニターには、予選の最終結果が表示される。


プログラム名「AYAKA」――その横には、見事な成績と、予選突破を示す文字が輝いていた。


「やった……!」

慧は思わず立ち上がり、佐伯と固い握手を交わした。

「やったな、桐山!」

佐伯の顔も、満面の笑みで輝いている。


綾香は、そのベールを脱いだ初陣で、鮮烈な印象と共に予選を突破した。

だが、本当の戦いはこれからだ。

決勝リーグには、さらに手強いAIたちが待ち構えている。

慧は、高鳴る胸を抑えながら、次なる戦いへと意識を集中させた。

綾香の奔流は、まだ止まらない。

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