第12話 最初の試金石、大会への決意

数ヶ月が嵐のように過ぎ去った。

桐山慧と佐伯樹、二人の情熱と技術が注ぎ込まれたAI「綾香」は、驚異的なスピードで進化を遂げていた。

クラウド上のGPUをフル回転させ、昼夜を問わず自己対局と強化学習を繰り返した結果、その棋力は初期のプロトタイプとは比較にならないレベルにまで到達していた。


「なあ、桐山」

ある日の午後、慧の部屋で綾香の学習ログをチェックしていた佐伯が、不意に口を開いた。

「こいつ、そろそろ外の世界で試してみたくないか?」


佐伯がノートPCの画面を慧に向ける。

そこには、とあるウェブサイトが表示されていた。

「将棋AIチャレンジトーナメント」

年に一度、有志によって開催されている、比較的小規模ながらも実力派の個人・チーム開発者が集う将棋AIの大会だった。


「大会……か」

慧の胸が、微かにざわついた。

その言葉の響きが、奨励会時代の苦い記憶を呼び覚ます。

大勢の観衆の前で、結果という冷酷な現実を突きつけられる場所。

プレッシャー、焦り、そして敗北の味。


「今の綾香なら、そこそこの結果は出せると思うんだよな。それに、他のAIと実際に戦わせてみることで、見えてくる課題もあるはずだ」

佐伯はあくまで楽観的だった。

「いい刺激にもなると思うぜ? 開発のモチベーション的にもさ」


慧は黙って画面を見つめていた。

綾香の実力を試したいという気持ちは、もちろんある。

自分たちが生み出したAIが、他の強豪AIと互角に渡り合えるのか、あるいはそれ以上の力を持っているのか。

開発者として、それを知りたいという欲求は純粋で強烈だ。


だが、心のどこかで、公の場で「勝負」をすることへの怖れが、まだ燻っていた。

あの雨の日の投了が、トラウマのように蘇る。

もし綾香が惨敗したら?

もし、自分たちの努力が、全く通用しなかったとしたら?


「……少し、考えさせてくれ」

慧はかろうじてそう答えた。


その夜、慧は一人、自室でモニターに向かっていた。

画面には、綾香とのテスト対局の盤面。

綾香は、相変わらず人間には理解の難しい、しかし冷徹で合理的な手を繰り出してくる。

その無機質な強さが、今はどこか頼もしくも感じられた。


(俺は、盤の前に立つわけじゃない)

慧は自分に言い聞かせた。

(戦うのは、綾香だ。俺は、ただそれを見守るだけだ)


それに、と彼は思う。

この挑戦は、奨励会時代のそれとは違う。

これは、誰かに強いられた道ではない。

自分自身が選び取った、新たな道だ。


師匠である峰岸の言葉が、ふと脳裏をよぎった。

「将棋の神様は、盤の上にだけいるわけじゃない。お前さんがこれから進もうとしている道にも、きっと新しい盤面と、新しい手が見つかるはずだ」


新しい盤面。新しい手。

そうだ、これは、それを見つけるための戦いだ。

綾香と共に。


翌日、慧は佐伯に告げた。

「……出るよ、大会」


その目には、もう迷いの色はなかった。

佐伯はニカッと笑い、慧の背中を強く叩いた。

「よしきた! やってやろうぜ、桐山!」


二人は早速、大会のレギュレーションを読み込み、参加登録の手続きを進めた。

綾香のプログラムを大会の規定フォーマットに合わせる作業や、持ち時間設定に対する戦略の微調整など、やるべきことは山積みだ。

他の参加予定AIの情報を集め、その棋風や特徴を分析したりもした。

そこには、過去の大会で名を馳せた強豪AIの名前もちらほらと見受けられた。


「強敵揃いだな……」

慧は思わず呟いた。

だが、その声に不安はなかった。

むしろ、静かな闘志が湧き上がってくるのを感じていた。


大会登録の最終確認画面。

プログラム名「AYAKA」。

開発者「桐山慧、佐伯樹」。


エンターキーを押すと、「登録を受け付けました」という無機質なメッセージが表示された。

だが、慧にはそれが、新たな戦いの始まりを告げるゴングのように聞こえた。


「行くぞ、綾香――」


モニターに映る、静かに次の指示を待つ綾香のインターフェースに向かって、慧は心の中で強く語りかけた。

まだ言葉を持たないAI。

しかし、その思考の深淵には、計り知れない可能性が秘められているはずだ。


その可能性を、今こそ解き放つ時。

手の彼方に何が見えるのか、それを確かめるための、最初の試金石。


慧の胸は、期待と緊張で静かに、しかし力強く高鳴っていた。

長い夜が明け、新たな挑戦の朝が始まろうとしていた。

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