第4話 人魚の亡骸と男の涙

 ナギサが本殿に入ってから、かなりの時間が経った。

 体感では二十分以上に思うけど、実際は分からない。

 

 人魚の死体が、どんな風に祀られてるんかよく知らんけど、祭壇みたいなところに、箱かなんかに仕舞われて供えられてるとか、そんなんとちゃうんか?

 時間をかけて探さんと、分からんもんなんやろうか。


「なぁ、あの子、遅ないか? 何かあったんとちゃうか?」


「ヤバいやんけ。大人を呼んで来た方が⋯⋯駐在⋯⋯とか?」


「いやでも、あのデブが、ここまで登ってくる頃には夜が明けてまう」


 サトルとツヨシとケンが口々に言った。


 三人の言葉に、不安がどんどん膨らんで、飲み込まれそうになる。


 とんでもないことになったかも知れないという後悔で胸が押し潰されそうになって、冷や汗と震えが止まらない。


「やっぱ、遅いよなぁ。俺、見てくるわ⋯⋯」


 震える足に無理やり言うことを聞かせて、本殿の方へ歩いて行こうとすると、後ろから腕をガシッと掴まれた。


「うわぁー!!」


 恐怖で思わず飛び上がる。


「あかん。まだ言うほど時間は経ってないやろ。アイツの覚悟を無駄にすんのか?」


 腕を掴んで来たのは、お化けではなくて、アキラだった。

 

 覚悟とかなんとかって、良いように言うとるけど、俺の腕を掴む手が震えて、汗もかいとるやんけ。

 自分が一番、不味いことになってるって気づいとるんやろうが。


「もう、いい加減にしてくれよ。頼むから行かせてくれ。ナギサなら大丈夫やから」


 大人に怒られたくないからか、事を荒立てたくなさそうなアキラを安心させるために、支離滅裂な事を言いながら、アキラの腕を解く。

 

 次の瞬間―― 

 

「キャーー!!」


 本殿の方から、ナギサの悲鳴が聞こえて来た。


「うわぁーー!! 出たぁーー!!」


 驚いたアキラは、大慌てで参道を下って行った。

 サトル、ツヨシ、ケンも、アキラの背中を追いかけ、あっという間に見えなくなってしまう。


 おいおい!

 アイツらは、なんやねん!

 ナギサを置いて、とっとと逃げよって!


 自分一人でなんとかするしかないと思った俺は、大急ぎで本殿の方に向かった。

 懐中電灯はナギサが持って行ったから、頼れるのは灯籠の薄明かりだけ。

 

 乱暴に本殿の扉を開けると、床に転がった懐中電灯が目に入り、ナギサのすすり泣きが聞こえて来た。

 

「おい! 大丈夫か!?」 


 声の方に進むと、ナギサは床にうずくまっていた。

 身体を震わせながら、泣いている。

 

 なんで俺らは、こんな小さな女の子に、こんな酷いことをさせてしまったんやろうか。

 ナギサは、自分がどこの誰かも分からんのに、見ず知らずの奴らに馴染もうとして、必死やっただけやのに。

 俺がナギサを守ってやらんと、あかんかったのに。


 ナギサの身体を抱きしめると、血の気が引いたみたいに冷たくなっていた。


「ナギサ、ごめんな。怖かったな。もう大丈夫や。一人で行かせて悪かった。兄ちゃんが悪かった」


「コウキお兄ちゃん! 怖いよ! 人魚が! 人魚が!」


 ナギサは俺にしがみついて、呼吸を荒くしながら叫んだ。


「人魚を見たんか? それで叫んだんか?」


 ナギサは口を閉じ、目をぎゅっとつぶりながら、何度も頷く。


「あっ、あそこに⋯⋯」

 

 ナギサが指さす方向には、墨で人魚の絵が描かれた棺のようなものがあった。

 棺のフタは、ナギサが触ったからか、ズレたままになっている。


 懐中電灯を拾い、ナギサと手を繋ぎながら、棺へと近づく。


 恐る恐る中身を覗くと――そこには、人の形の骨があった。


「うわぁ!! なんやこら!」


 恐怖と驚きのあまり、尻もちをついて、腰を抜かす。

 なんで人魚の死体やのに、足が生えとるねん。

 下半身は魚のヒレと違うんか?


「とにかく帰るで! 今ここで見たもんは忘れろ! ええな?」


 棺のフタを閉め、大急ぎで本殿を出た。



 ナギサの手を引き、全速力で参道を下る。

 途中、ナギサは恐ろしい光景を思い出してしまったのか、突然、道の端にしゃがみ込んだ。  


「おい! 大丈夫か!? いや、大丈夫やから、走れ!」


「コウキお兄ちゃん⋯⋯あれって、人の骨だよね? 誰か死んじゃったのかな?」


「あれは何かの間違いや。俺らの見間違いや」


 あの骨が、いつの時代の誰のものかなんて分からんし、俺らには何の関係もないものなんや。


 怯えるナギサをなだめていると、参道を登ってくる人の気配がした。

 ランタンの光が揺れながら近づいてくる。


「まずいな。隠れるぞ!」


 とっさにナギサの腕を引いて、茂みに隠れた。

 もしかしたら俺らを探しに来た父ちゃんやったかも分からんのに、なぜか関わってはいけない人間やと直感した。


 声にならない悲鳴を上げるナギサの口を手で塞ぎ、抱きかかえるようにして押さえつけながら、気配を消す。

  

 通り過ぎて行ったのは、四十代くらいの男。

 あれは――マモルの父ちゃん?


 今日は母ちゃんの命日やから、マモルと一緒に家にいるはずじゃ⋯⋯


 ランタンに照らされたマモルの父ちゃんの顔は、憔悴しきっているように見える。

 マモルの父ちゃんは、いつもニコニコしながら、役場の受付に立っとるイメージしかなかったんやけどな。


 マモルの父ちゃんは、俺たちのすぐ近くを通り過ぎたあと、参道から逸れて行った。


「追いかけるぞ。静かにな」


 ただならぬ雰囲気に、ナギサの手を引いて、後を追った。



 十分ほど歩いたか。

 マモルの父ちゃんがたどり着いたのは、石碑の前だった。

 

 その場所は、山遊びでも一度も立ち入ったことの無い場所だった。

 山の中にこんなもんがあったとは。


 地面から垂直に立てられた、人の背丈ほどの石碑に向かって、マモルの父ちゃんは、手を合わせたあと、石碑を撫でながら泣き出してしまった。


「ミサキ⋯⋯ミサキ⋯⋯ごめんなぁ。俺が間違ってたんや。やっぱりこの村はおかしいんや⋯⋯」


 マモルの父ちゃんは、苦しそうにつぶやいていた。

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