第3話 第一階層③

 時間が止まったような気がした。

 僕は思わずぽかんと口を開け、目の前で微笑む少女を凝視した。


「ふむ」


 と、頰に触れる手がするりと動く。

 青い髪の少女はすべすべの指で僕の唇から鼻をなぞり、


「悪くないが、可愛すぎるな。君はもう少し精悍さを身につけるべきだ」

「な──!」


 とっさに身をのけぞらせて少女の手から逃れる。童顔なのは知ってるけど、こんな所で初対面の人間に言われる筋合いは無い。


「まあそんなに怒らずに。これから長い付き合いになるのだから」


 少女は標的を失った手をひらひら振り、


「早速だけど、名前を教えてくれるかな、わたしの王」

「……相馬そうま隼人はやと


 とっさに答えてしまい、我に返って頭上のサイクロプスに視線を戻す。しまった、問題は何も解決していない。デバイスもぶっ壊されてしまった。今すぐエレベーターに駆け込んで地上に逃げないと──


「……は……?」


 思わず瞬き。

 青い肌の一つ目巨人は、石柱を振り下ろした姿勢のまま微動だにしていない。

 それどころか、砕かれた壁の破片が、空中に貼り付けられたみたいに落下の途中で静止している。

 

「『静謐せいひつとばり』。私が単独で行使可能な数少ない権能の一つさ」


 歌うような少女の声。

 慌てて視線を戻す僕の前で、青い髪に青いドレスの少女はダンスでも踊るみたいにくるりと回り、


隼人はやと……はやぶさの人か。なるほど、速そうな名前だ。ぴったりじゃないか、気に入ったよ」

「あ、あのさ……」

「ああ、もちろん言いたいことはわかっているとも」


 少女は僕の言葉を一方的に遮って人差し指をくるくる回し、


「『静謐の帷』が時間を止めている間にこのダンジョンから脱出できないかと言うんだろう? 残念だけど、わたしの権能はそれほど便利じゃない。君があと1メートルでも動けば帷の外に出てしまう。とてもエレベーターまではたどり着けないよ」

「あ、いや、それも聞きたいんだけどさ」


 わからないことだらけで何から聞けばいいのかわからない。だいたい「権能」って何だ。スキルじゃないのか。


 ……落ち着け、落ち着け落ち着け……


 とにかく一回深呼吸。

 あらためて、目の前の少女をしっかりと観察してみる。


 ふわふわした青くて長い髪に青い目の少女。肌は雪のよう、って言うんだろうか。白人にしても白すぎてどうにも現実感が無い。

 身にまとっているのは薄い布を何十枚も重ねて作られているらしい青いドレス。透き通ってキラキラした布地は、スイーツの上にのってる砂糖菓子みたいだ。

 そんなドレスの胸元は……残念ながらぺったんこ。

 アニメなんかの定番だとこういう子はとりあえず胸が大きい物だが、この子は華奢というか幼児体型というか、せっかくとんでもない美少女なのにこれっぽっちも有り難みがない。

 腕とか足とか体のありとあらゆるパーツが細くて繊細──というか風が吹いたら飛んで行きそう。可愛いは可愛いでも、妖精とかそういう感じの可愛さだ。


「君、今とても無礼で、かつこの状況に不要な事を考えているね?」

「考えてません」


 勢い余って敬語になってしまった。

 と、少女は頭上で静止したままのサイクロプスをちらりとうかがい、


「ともかく時間が惜しい。そこでだ。私が今から、君が必要としそうでかつ私に開示可能な情報を簡潔に提示しよう。なに、礼には及ばない。時間効率タイパ重視というやつだ。それがこの次元世界の作法なんだろう?」


 とんっ、と軽やかな靴音。

 小鳥のような足取りで一歩後ろに下がった少女が、右手のひらを胸に当ててなぜかものすごく偉そうな態度で、


「私の名はニミュエ。ブリテンの王アーサーに聖剣エクスカリバーを授けた湖の乙女と同名だが、もちろん本人ではない。年齢は計測法によって複数の定義が可能だが、当面は十四歳としよう。見ての通り女性体だ。身長155センチ体重40キロ。スリーサイズは上から72、48、78。まだ生娘だが、すでに初潮は」

「待って待って待って待って」


 思わず割って入る。

 ニミュエという名前らしい少女は「む?」と不満そうに、


「君のような少年がうら若き乙女を前に必要とするであろう情報をつまびらかにしたが、何か不足が?」

「今じゃないだろ!」


 状況も何もかも忘れて突っ込む。というか、最後の方とんでもないこと言ってなかったか? 僕を何だと思ってるんだ。


「そうじゃなくて! もっと他に話すことあるだろ! あんたが何者かとか、なんでダンジョンの壁の中にいたのかとか、そもそもあの部屋は何なのかとか!」

「その問いには答えられない」


 即答。

 思わず頰を引きつらせる僕に、ニミュエは唇に指を当てて小首を傾げ、


意地悪いじわるをしているわけではないぞ? わたしの王。わたしにはその情報を開示する権限が与えられていない。あの部屋も、本来はこの時間、この場所にあってはならない物なんだ」


 ニミュエがぱちんと指を弾くと、壁の向こうで輝いていたファンタジーの王宮みたいな空間がものすごい勢いで遠ざかる。時間が止まっているはずの世界の中で砕けた石壁が巻き戻って、後には元通りのダンジョンしか残らない。


「あー、もー!」


 全然役に立たない。思わず両手で髪をかきむしり、


「あんた何しに来たんだよ! じゃあ何なら教えられるんだよ!」

「この状況の打開策」


 少女の声。

 は? と目を丸くする僕の前で、ニミュエは悪戯いたずらをそそのかす子供みたいに微笑んだ。


「そのために私が提示可能な契約と、君に付与することが可能な固有ユニークスキルについてだ」


     *


「──端的に言うと、これはわたしが持つ最大の権能だ。王たる資格ありと認めた誰かと契約を交わし、一つのスキルを与える」


 時間が止まった世界の中、ニミュエの細い指が目の前の何もない空間をなぞる。

 指が一つ動くたびに後には光の線が残り、すぐにステータス画面とよく似た構造の小さな四角いウインドウが形成される。


「君が良しと言えばそれで契約は成立だ。期間は君の命が尽きるその日まで。わたしは君と運命を共にし、君の導き手となる。──これが、わたしが君に提供するたった一つの『剣』だ」


 差し出される光の契約書を受け取り、目を通す。

 そこには、こんな内容が記されていた。


『スキル名:大物喰いジャイアントキリング

 パッシブ、永続、消去不可、無効化不可


 効果:

 ① 取得経験値を0に固定。

 ② 自分より高レベルのボスを撃破時、そのボスと同レベルまでレベルアップし、レベル差に応じた希少度レアリティ固有ユニークスキルを習得。

 ③ボスとの戦闘時、導き手ガイドニミュエの承認により特殊領域「レイド・バトル」を展開可能』


「……は……?」


 意味を理解した瞬間、目の前が真っ暗になる。

 思わずその場に座り込みそうになり、歯を食いしばって堪える。


「どうした? 理解できたなら、早く契約を」

「ふざけんな……!」


 光る画面を力任せにニミュエに投げつける。

 ひょいっと首を傾けてかわしたニミュエが、指をくるくる回して画面を自分の前に引き戻し、


「何か問題が?」

「問題だらけだよ!」

 とっさに少女に詰め寄り、

「なんだよ、その効果の一番は! 『取得経験値を0にする』って、出来るわけないだろ、そんなこと!」

 

 たとえばゲームなんかだと経験値とレベルという概念が出てくる作品はたくさんあるが、その扱いは大きく二種類に分かれる。


 一つは「レベル差にそれほど大きな意味がなく、作戦次第でどんな強敵でも倒せる」やつ。

 僕は圧倒的にこのタイプのゲームが好きだ。スキルや装備の構成を綿密に考えるとか、操作の精度をひたすら上げるとか、プレイヤーの工夫次第でレベル差はいくらでも覆す事ができる。


 もう一つは「レベル差が絶対的な意味を持ち、自分より高レベルの敵を倒すのが極めて難しい」やつ。

 こっちは好きじゃない、というかはっきり言ってクソゲーだと思ってる。自分よりレベルが高い相手には何をどうしたってダメージが通らないとか、全ての攻撃が致死ダメージで回避も出来ないとか、こういうゲームを攻略するにはただひたすら、地道に経験値を稼いでレベルを上げるしかない。


 残念ながらダンジョン内のシステムは後者、それもかなりガチガチの原理主義だ。

 自分より1レベル上の雑魚敵を倒すのですら、複数人パーティーによる綿密な作戦が必要になる。ましてボスに挑むなんて自殺行為。

 だから、ダンジョンのボスを攻略する際には周辺の雑魚モンスターを掃討するなりなんなりして地道にレベルを上げ、敵より上か少なくとも同じレベルになってから戦いを挑むしかないのだ。


 このスキルを受け入れるということは、その当たり前の攻略手順が使えなくなるということ。

 パッシブ、永続、消去不可、無効化不可──つまり、スキルを外すことも誤魔化すことも出来ず、そのとんでもないペナルティを死ぬまで受け続けるということだ。


「僕は探索者エクスプローラーだぞ!? こんなスキル付いて、どうしろって言うんだよ!」

「見返りはあるとも」

 ニミュエは光る契約書をもう一度僕の方に押しやり、

「効果の三を読みたまえ。君にはレベル差を覆し、状況を打破する手段が与えられる。……もちろん、君の知恵と勇気と運次第だが」


 言われてもう一度、スキルの説明を読み直す。特殊領域「レイド・バトル」を展開可能。何だそれ、聞いたこともない。

 しかも、どうせロクな能力じゃない。

 チートスキルか何かで問答無用でボスが倒せるなら、最初からはっきりそう書いてあるはずだ。


「この、レイド・バトルってのは……」

「わたしには話す権限が無い」

 ニミュエは大真面目な顔で、

「そもそもレイドの仕様はわたしも理解出来ていない部分が大きい。それは、戦いの中で君自身が解き明かすしかない」


 思わずため息。

 状況が何も改善しなかったどころか、より最悪になった。


 ……経験値を、捨てる? これから一生……?


 あり得ない。そんなことになったら、たとえこの場から生きて帰れたとしても探索者エクスプローラーとしてはお終いだ。諦めて母さんの所に帰って、普通の学校に入り直して普通の生活に戻るしかない。

 いや、それでさえ「勝てたら」の話だ。

 ニミュエの契約を受け入れて、訳のわからないスキルを受け入れて、勝てる保証なんてどこにも無い。


 ……でも、じゃあどうする……


 この止まった時間から外に出て、もう一度サイクロプスに立ち向かうか? デバイスも無しで。勝ち目はない。デバイスがあっても勝てないのに、さっきの弾きパリィでマテリアルが吹っ飛んでしまった。

 死ぬ。

 戦ったら確実に死ぬ。


 たとえば、戦わずにこのダンジョンの中で逃げ回るというのはどうだろう。試験官だって異常事態が起こっているのわかっているはずだ。助けはもうすぐそこまで来ているかもしれない。上手く逃げ回って、出来るだけ狭い場所に隠れて、そうすれば万に一つ、億に一つくらいは──


 頭上で、ほんのかすかな音。

 少しずつ、じっと見つめていなければわからないほど少しずつ、サイクロプスが動き始める。


「帷の効果が切れる」

 ニミュエが息を吐き、

「どうする? 少年。時間はあまり残されていないぞ?」


 それには答えず、僕は自分のステータス画面を開く。

 ただの金属の棒になってしまったデバイスを手の中でくるりと回し、


「……僕がやめるって言ったら、ニミュエはどうする?」

「どうもしない。見込み違いだったと諦めて、その判断の誤りの責任を取るよ」


 家に帰って寝る、とでも言うような気安い口調。

 思わず顔を向ける僕に、青い髪の少女は悪戯を告白するような顔で笑い、


「ああ、心配には及ばない。わたしには姉妹が多くいるからね。わたしが果たさねばならなかった責務は、別な誰かが引き継いでくれるさ」


 そっか、と小さな呟き。

 一度だけ強く目を閉じてから、光の契約書をステータス画面に重ねる。


「隼人……」

「勝たせてくれるんだろ?」


 青い瞳が、可愛らしく瞬き。

 もちろんだとも、とうなずいたニミュエが、両手をのばして僕の頬を押さえる。

 

「では、契約の証をここに」


 妖精みたいな可憐な顔が素早く近づく。

 声を上げるより早く、唇に暖かくて柔らかい感触が押し当てられる。

 春の花畑みたいな、そよ風みたいな爽やかな香り。目を丸くする僕の背中を両手で抱きしめて、少女が閉ざした瞼をかすかに震わせる。


「……ファーストキスだぞ?」


 ややあって、ニミュエがゆっくりと唇を離す。

 青い髪の少女は頬を赤らめてぷいっと視線を逸らし、


「もちろんわかっているとも。この次元世界では初めてのキスを捧げた相手と生涯を添い遂げ」

「いや、そんなルール無いけど」

「なんだ、つまらない」


 いきなり素に戻ったニミュエが肩をすくめる。

 くすりと、小さな笑い声。

 少女はダンスを踊るようにくるりと回り、両手を頭上の高くに差し伸べた。


「では始めようか。覚悟は良いな?」


     *


 周囲を取り囲んでいた帷が、解ける。

 空中に貼り付けられていた無数の瓦礫が、ゆっくりと落下を始める。


「──湖の乙女ニミュエの導きにより王への道を開く」


 青い髪の少女が厳かに告げる。石畳の地面に光が走り、少女を中心にした図形を描く。

 中央には複雑な紋様が記された大きな丸い円。

 その周囲に等間隔に、座席か何かを表す十二個の白いシンボルと一つの黒いシンボル。


「これなるは選定の剣に選ばれず、冠もいただかぬ非才の我が伴侶。されどその手は世界を掴み、その足は真理に至る。……天は地に、地は天に。ことわりは反転し、小人こびとをもって神代の巨人を打ち倒す」


 サイクロプスの一つ目が眼下の二人を凝視する。巨大な腕が壁から石柱を引き抜き、ゆっくりと振りかぶる。


「知恵ある者に祝福あれ。勇気ある者に祝福あれ。力無き者はさいわいである。困難を超克し、不可能を可能とする喜びを知る者はさいわいである」


 溢れる光。

 不敵な笑みを浮かべたニミュエが僕に向かって両手を差し伸べ、


「これより、大物喰いジャイアントキリングを開始する。──わたしの王よ、どうか武運を」


 そうして、世界がひっくり返った。

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