その十五


    *


 白い鳥居の前で出会った三人は温泉街の一角にある小さな宿屋に泊まることにした。


 案内された部屋はカビ臭い六畳間であったが、気の合う仲間と共に過ごせることを思えば、環境の程度などさして問題ではなかった。


 三人は敷かれていた煎餅布団に飛び込むと、言葉を交わすことなく泥のように眠りに就いた。


 翌朝、三人は日が昇る前に起床した。


 そして、用意された朝餉で腹ごしらえをした三人は真新しい鉄檻を携え、試練の山に挑戦するために再び白い鳥居へと向かった。


「おいおい、こいつら全員挑戦者か?」


 延蔵の制止を押し切り、相変わらず褌姿のまま闊歩する風次郎ふうじろうは鳥居の前にたむろする挑戦者の群集に嘆息した。


 大きな鉄檻を携える若者たちは薄明の空を見上げながら、口々に駄弁を弄していた。


「……あ、あー、挑戦者の皆々様――」


 嗄れた声は、白い鳥居のすぐそばに建つ、車輪の付いた櫓の上から聞こえてきた。


 群衆は一斉に声のする方を見上げた。


 そこにいたのは、絢爛な装飾にまみれた腰曲がりの老爺であった。


「この度は当温泉街にお越しくださり、誠にありがとうございます。当方、この温泉街の町長でございます。旅館が提供する温泉と食事は堪能いただけましたでしょうか」


 老爺は「ヒュウ、ヒュウ」と苦しそうに息継ぎをすると、若い女中に額の汗を拭わせる。


「われわれは日々、試練の山に挑戦する方々へ惜しみなく支援をしております。観光……失礼、この日のために懸命に努力され、この場に馳せ参じた皆々様の成功を祈願し、僭越ながら試練開始の音頭を取らせていただきます……土産屋みやげやは日没後も営業しておりますので、帰郷の際はぜひお立ち寄りくださいませ。では、そろそろ日も昇ってくる時分……」


 老爺は背後の白んだ空を見上げると、「ほれ、いつもの」と、今度は隣に立つ大柄な男に指示した。


 男は小さく頷くと、持っていた大きな法螺貝を口元に構え、叫ぶ。


「さあさあ、これより始まりますは人生を賭した大勝負! 日の出とともに鳥居をくぐり、再び月輪巡るまで、母なる大山駆け回り、捕らえてみせよう宝石のうさぎ!」


 その台詞せりふを合図に、老爺はゆらりと右手を挙げた。


 大柄な男は咆哮する。


「いざ尋常に、試練開始!」


 男が吹いた法螺貝が鳴り響いた。


 山の鞍部から日の光が差し、それを浴びた鳥居は磨かれた鏡面のような輝きを放った。


 この透明な輝きがやむ前に鳥居をくぐらなければならないことを挑戦者の誰もが悟った。


「俺が一番に捕まえてやる!」


 鳥居に挑戦者がなだれ込んでいく。


 先頭を行くのは、褌姿の風次郎であった。彼は延々と伸びる石階段の遥か上方を突風のような走りで駆け上がっていた。


 さっきまで隣に立っていたはずが、あっという間に離されてしまった。延蔵は風次郎の小さくなった後ろ姿を未だ鳥居の前から見上げていた。


「……おハナちゃん、早くしないと。試練はもう始まったんだよ」


 延蔵は言った。


 周囲が血相を変えて鳥居をくぐり抜けていく中、小袖を着た少女は一人だけ見当違いな方を向き、その場に突っ立っていた。


「……いっぱい数えてる。ひい、ふう、みい、よお――」


 おかっぱ頭のハナは「フフッ」と笑った。


 ハナは、櫓の上で談議する老爺たちを眺めていた。


「いつ、むう、なな……見ろ、この溢れんばかりの銭貨の山を! あの小童こわっぱどもがこの場所を訪れるおかげで、わしらは食うに困らんばかりか、そこらの役人より金を稼いどる。飯代、宿代、土産代、『試練の山攻略法』というありきたりな題目で冊子を出したら、それもうまい具合に完売だ……まったくあ奴らはどこまで阿呆なんじゃろうな。試練の山に挑戦したところで早々に諦めて引き返してくるか、山の深い場所に迷い込んで行方ゆくえ知れずになるだけじゃというのに。わしは長いこと町の長をやっておるが、挑戦に成功して山を下りてきた者を未だかつて見たことがないわい……無論、宝石のうさぎもな」


 老爺は嘲った。


 ……この世界には他人の夢を食い物にする奴らがいるのか。


 延蔵の目には掴んだ小銭を弄ぶ老爺が醜悪な老獪に映った。


 この石階段を駆け上がった挑戦者のほとんどは、費やした時間や金銭とは到底釣り合わない悲惨な結末を迎える。


 それでも、試練に挑もうとする夢追い人は相応の覚悟を決めた者か、そんな予測も立てられない阿呆である。


 延蔵は前者であった。彼は幼時から憧れ続けた夢のためにこれまでの人生の全てを捧げたのである。


 しかし、どれだけ覚悟を決めたつもりでいても、部外者の心ない批判は延蔵の足を竦ませるのであった。


 延蔵の額に一筋の冷や汗が伝った。


「――面白かった」


 ハナは呟いた。


 そして、櫓の上でジャラジャラと音を立てる銭貨の山から目をそらした。


「ほら、行こ?」


 ハナは延蔵の手を握ると、透明に輝く鳥居に向かって駆け出した。


 棒のように固まっていた足が一歩、また一歩と地面を蹴り上げていく。


 延蔵は自分の中にある底知れない恐怖心が、繋がれた手の中で溶けていくのを感じた。


 試練の山はそんな二人を粛然と迎え入れるのであった。

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