トダマ・ハイスクール ―AIがつむぐ20の青春読解ファイル―
Algo Lighter アルゴライター
プロローグ
夕焼けが差し込む倉庫の窓は、誰かが閉じ忘れた原稿用紙のように、風にふわりと揺れていた。
埃をかぶった金属棚、黄ばんだ段ボール、ひび割れた床。そこに踏み込んだ瞬間、藤崎逢人(ふじさき あいと)は、言葉では形容しきれない“空気の厚み”を感じた。
ここは、私立言祝(ことほぎ)学園の旧新聞部室。
そして今は、「物語研究会」の名で細々と活動を続ける部の、引っ越し作業の真っ最中だった。
「ねえ逢人くん、その箱……なんだか重くない?」
声の主は逢沢琴音(あいざわ ことね)。演劇部の脚本担当で、彼女とは最近、記事のネタ探しで一緒に行動することが多くなっていた。目の前の段ボールを開けたとたん、ふわっと舞い上がる紙の匂いに、ふたり同時に小さなくしゃみをする。
その箱の底に、妙に冷たい金属の光が眠っていた。
「なにこれ……小型テレビ? いや、パソコン……?」
角ばったフォルム。古びた画面。今となっては時代遅れのデザインだけれど、どこか品がある。前面には、銀色のプレートに「KOTOHA」という名前が刻まれていた。
「言葉……“コトノハ”?」
琴音がそっとつぶやく。
その響きが、倉庫の埃っぽい空間に、どこか柔らかい余韻を残した。
思えば、彼女はいつも“言葉”に敬意を払う。台詞を「ただの文字じゃない」と言い切り、脚本に何十回も修正を入れる。彼女にとって、言葉は“魔法”なのだ。
「これ、たぶん……国語教育用のAI端末じゃないかな。昔、うちの学校が実験導入してたって、古い記事で読んだことある」
逢人が言うと、琴音は目を輝かせた。
「まだ動いたら……素敵だよね。文字を読むだけじゃなくて、“読めるようになる”AIなんて!」
彼女はまるで舞台の幕を開けるような手つきで、そっと電源ボタンに触れた。
すると、倉庫に満ちていた静寂が、ごく微かに変わった。かすかな“気配”のようなものが、空間の底からゆっくりと立ちのぼる。
何も話さないのに、声が聞こえた気がした。
何も表示されていないのに、文字が浮かんだ気がした。
それは、音でも映像でもない。まるで言葉そのものが“目に見える”ような、不思議な感覚だった。
「……こんにちは」
と、誰かが言った。けれどその声は、倉庫のどこから聞こえたのかわからなかった。
逢人と琴音は思わず顔を見合わせた。
「今……だれか……?」
「たぶん……この機械よ。生きてる」
そう言う琴音の表情は、怖がるよりも、わくわくしていた。まるで、ずっと前からこの瞬間を待っていたみたいに。
逢人はそっと、端末の側にしゃがみこみ、手のひらで静かに触れた。冷たい。けれど、どこか懐かしい冷たさだった。
「君の名前は……?」
しばし沈黙のあと、声にならない“答え”が、頭の中に滑り込んできた。
――コトノハ。言葉の葉。言の端。
人が書き、人が読み、人が忘れていった、すべての“区切り”の記録者。
逢人は、はっと息を飲んだ。
そのとき――
「そういえば、さっきの廊下の貼り紙、見た? “ここではきものをぬいでください”って書いてあったの。あれ、絶対おかしいよね?」
琴音が笑いながら言った。
「履物(はきもの)を脱ぐのか、着物(きもの)を脱ぐのか……言葉の区切り次第で大違い」
「それが……最初の謎、なのかもな」
逢人の胸に、小さな火がともる。
それは文章の奥に潜む“意味の迷路”に、自分から飛び込んでみたくなるような、そんな好奇心の炎だった。
「《コトノハ》、君は……物語を書けるのか?」
問いかけた瞬間、倉庫のガラス窓が夕焼けで真っ赤に染まった。
空の端が、そっとめくられる。まるで世界が、新しい一行を始めるように。
――この日、僕たちは出会った。
句読点ひとつで意味が変わる、言葉の迷路と。
そして、そこに灯る“声なき語り手”と。
ここから先の一文を、どこで区切るかは、僕たち次第だった。
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