黒い箱の中身
その黒い箱を拾ったのは、偶然だった。
大学の春休みに、友人とふたりで山へドライブに行った帰り道。ちょうど峠を下りたところにある展望台で、景色を眺めながら缶コーヒーを飲んでいた。
そのとき、ふと足元に目をやると、地面に何かが落ちていた。
土埃にまみれた、小さな黒い機械。車の部品のようにも見えたが、よく見ると吸盤とレンズがついていた。
「これ、ドライブレコーダーじゃない?」
そう言ったのは、運転していた友人だった。
本体の形は見覚えがあった。小型で、黒くて、車のフロントガラスに貼り付けるための吸盤がついている。落下したのか、側面に細かいヒビが入っていた。
近くには、砕けたバックミラーの破片が落ちていた。けれど、事故のような痕跡はなかった。
「警察に届ける前に、何が映ってるか確認してみようか」
そう言った友人の提案に、私は少しだけ躊躇した。だけど結局、興味が勝った。
車に戻ってノートパソコンを取り出し、SDカードを接続する。録画ファイルは、ひとつだけ。
ファイル名には日付と時間が記されていた。──“3月8日_01時21分”
私たちがその場所を訪れた日から、ちょうど一週間前の映像だった。
画面に映し出されたのは、夜の山道だった。雨が降っていて、ワイパーが左右に揺れている。
ヘッドライトが照らす先に、細いガードレールとカーブが続いていた。車内の様子はわからない。音声は拾われていたが、エンジン音とワイパーの作動音が聞こえるだけ。
しかし、映像が進むにつれて、異常が現れ始めた。
ナビの画面が、ちらちらとノイズを発し始める。GPSの現在地表示が、何度も更新されては消えていた。
その瞬間、私の背中に冷たいものが走った。
運転者は、やがて“見たことのないトンネル”へと入っていった。
入り口には名前も書かれていない。トンネルの内壁には、赤いスプレーのようなものが見える。解像度が荒く、文字か模様かも判別できない。
そして、映像の中で誰かがつぶやいた。
「……どこだ、ここ……」
その声は男性のものだった。若い、でも少しかすれた声。
トンネルの中に入ると、音が消えた。エンジン音も、ワイパーの作動音も、まるで吸い込まれるように消えていった。
そして、数秒間、完全な静寂。画面がかすかに歪み、映像が波打つように揺れた。
出口が見えたとき、視界の先に立っていたのは──何か“人影のようなもの”だった。
運転者が慌ててブレーキを踏む音が響き、車が急停止する。
その瞬間、画面が一気に崩れる。GPSの座標が消え、周囲の風景がグラフィックのバグのように壊れていく。
そして、道路が──画面の奥に向かって沈み始めた。
地面ごと、ガードレールごと、まるで液体のように“消えていった”。
カメラが大きく傾き、何かにぶつかった衝撃音。
そのあと、わずかに映ったものがある。助手席側から、白いワンピースのような布が揺れていた。
それは、風になびくように現れて、ふっと画面の外へ消えた。
ただ、それが“誰か”だったのかどうか、映像では確認できなかった。
そして、画面は真っ暗になり、ファイルは突然途切れた。
私は手が震えていた。友人も言葉を失っていた。
「……今の、なんだったの……?」
怖くなった私たちは、その日のうちに警察署に向かい、拾った場所と映像の内容を説明した。
だが、警察官はあまり興味を示さなかった。
「そういうのは、落とし物係に回します」──それだけだった。
それから、私は映像に映っていた内容を調べ始めた。
ネットを検索し、「トンネル」「道が消える」「GPS狂う」などのワードを入れ続けた。
そして、あるスレッドに辿り着いた。タイトルは──『通ったはずのトンネルがない』
その投稿には、驚くほど似た体験談が並んでいた。
中には、「赤いスプレーが壁にあった」「抜けたら道がなかった」と語る者もいた。
そして私は、ある投稿者が記していた“車のナンバー”を見て、背筋が凍った。
それは、ドライブレコーダーの映像でちらっと映っていたナンバープレートと一致していた。
つまり──あの映像の中の車は、「通ったはずのトンネルがない」と言っていた“あの人”のものだったのだ。
この話を信じるか信じないかは、あなたに任せる。
でも、私は確かに“あの黒い箱”を拾った。そして、見てしまった。
あの道は、存在する。少なくとも、“存在した”という証拠が、あの映像には残っていた。
もうそのドライブレコーダーは、私の手元にはない。でも、映像の記憶は、今でも私の中に残っている。
もし、あなたが山道で奇妙なトンネルを見かけたなら──
絶対に、入ってはいけない。
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