第24話 呪道具、そしてラファエルと――


 地下室へと続く階段は、予想以上に暗く、底の見えない闇が私たちを待ち構えていた。


「……全然見えないね」


 ラファエル様の囁きがすぐ横から聞こえる。

 階段を一歩下るたびに、空気がひんやりと冷たくなっていくのを肌で感じた。


「ちょっと待ってくださいね」


 私は掌を前に掲げ、小さな詠唱を呟く。


「『ファイアライト』」


 手の中に生まれた小さな火球が淡い橙色の光を放ち、階段の闇を静かに照らし出した。

 薄暗い灯りの中でラファエル様が微笑んだ。


「助かるよ、セレナ嬢」

「これくらいは、できますよ」


 慎重に、一歩一歩下りていく。

 古びた石の階段は微妙に段差が不揃いで、足を下ろすたびに神経がすり減った。


「気を付けてね」

「はい、大丈夫で――」


 そう返した瞬間、次の一歩で私の足が僅かに滑った。


「あっ――!」


 思わず小さく悲鳴が漏れ、身体が前につんのめる。

 その刹那、ラファエル様の腕が私を素早く引き寄せ、転倒寸前で抱き留めてくれた。


「大丈夫か、セレナ嬢!」

「は、はい……ありがとうございます……」


 再び彼の腕の中にすっぽり収まってしまい、さっきの横抱きを思い出して一気に恥ずかしくなる。

 彼の顔が目と鼻の先で、吐息すらも感じ取れそうな距離だ。


「あの……大丈夫?」


 彼もまた気まずそうに目を逸らしながら尋ねる。


「す、すみません……またご迷惑を」

「いや、僕は全然構わないんだけど……」


 二人の声が徐々に小さくなり、沈黙が落ちる。

 さっきもこういうことがあったばかりだというのに――いや、だからこそ気まずいのかもしれない。


「と、とりあえず、先を急ぎましょうか!」


 恥ずかしさを振り払うように明るく言うと、ラファエル様も苦笑しながら私をそっと離した。


「ああ、そうだね」


 また慎重に階段を下りていき、ようやく階段の底に辿り着いた。

 正面には重厚な鉄製の扉が鎮座している。


「ここが地下室の入り口ですね」

「間違いなさそうだ。じゃあ開けてみようか」


 私たちは扉の取っ手に手をかけると、重く軋む音と共にゆっくりと開いた。


 その瞬間――生ぬるい空気と共に異臭が鼻を突いた。

 吐き気を催すような腐敗臭。


 無意識に手で口元を覆った。


「これは……っ!」


 ラファエル様も顔をしかめ、目を細めて室内を見回す。

 火魔法の灯りを高く掲げてみると、そこは想像より広い空間だった。


 壁は無骨な石で覆われ、装飾も一切ない簡素な部屋だ。


「この空気、闇魔法の反応だね……間違いない」

「やっぱり、ミランダがここで闇魔法を使っていたんですね……」


 壁際には、明らかに訓練に使われたと思われる的が置かれていた。

 木材は朽ち、黒ずんで歪んでいる。


 これが闇魔法の腐食効果かと思うと、背筋がぞっとした。


 そして、その隣には――。


「うっ……!」


 思わず声が漏れた。

 犬か猫か、動物と思われる死骸が無造作に放置されている。


 腐食が進みすぎて原型を留めておらず、正視できないほどだった。


「まさか……動物で実験までしていたのか?」


 ラファエル様の声にも嫌悪と怒りが滲んでいた。


 アルティア様も魔物に攻撃を当てていたけど、あれは正当防衛だし猫や犬のような害のない動物とは訳が違う。


 ミランダはただ実験をするがために、猫や犬に魔法を当てたのだろう。


 的に当てた時の効果を見れば、動物に当てればどうなるかわかるはずなのに。


 悲しさと怒りで胸がいっぱいになる。


 ミランダの残酷さが、改めて身に沁みて感じられた。


「セレナ嬢、大丈夫か?」

「……はい、なんとか」


 気分は最悪だったけれど、ここで立ち止まるわけにはいかない。


 私は深呼吸して気持ちを整えた。

 室内をもう少し見回すと、部屋の隅に頑丈そうな鉄製の箱が置いてあった。


 箱の上部には複雑な模様と鍵盤のような装置が付いている。


「あれ、怪しいですよね」

「ああ、何か厳重なものを保管しているようだ」


 二人でその箱に近づき、観察する。

 鍵盤のような装置には数字と文字が刻まれていて、どうやらパスワードを入力するタイプらしい。


「パスワードか……困ったな。ミランダが設定したなら、僕たちには見当もつかない」


 ラファエル様が難しい表情を浮かべる。


 しかし、私はふとゲームでの記憶を思い出した。

 ミランダが主人公の時、周りが彼女を讃える時によく使っていた言葉。


 この世界では自分でもよく言うような言葉。


(もしかしたら、あの言葉なら……)


「少しだけ、試させてください」

「ああ、もちろん」


 私は緊張しながらも鍵盤に手を伸ばし、ゆっくりと入力していく。


 ――祝福されし者。


 ゲームでミランダがよく口にしていた、自分を示す言葉だ。


 入力が終わると、箱は一瞬沈黙した後、小さな音を立てて開錠された。


「開いた……!」


 ラファエル様が驚きの声を上げる。


「どうしてわかったんだ?」

「え、えっと……彼女が考えそうな言葉かな、と。ほら、いつも自分を『天に祝福されている』って言っているから」

「ああ、確かにね……君は本当にすごいよ」


 ラファエル様は感心しつつ、優しく微笑んだ。


 後ろめたいけれど、さすがにゲームのことは言えないので適当に誤魔化しておくしかない。


 箱の中には、一本の杖が横たわっていた。


 細い銀色の杖で、柄には漆黒の宝石が埋め込まれている。


 見るからに禍々しい魔力が感じられた。


「これが……呪道具でしょうか?」

「間違いないね。この魔力反応、明らかに闇魔法だ」


 私たちは互いに顔を見合わせ、小さく頷いた。


「これがあれば、アルティア様の冤罪を晴らせます……!」

「ああ、これが証拠になる。この一手で完全に逆転できるはずだ」


 ラファエル様の声にも、確かな希望と喜びが滲んでいた。


 心臓が激しく打つ。

 ここまで来るのは本当に大変だったけれど、ようやく光明が見えてきた。


「ラファエル様、本当にありがとうございました……!」

「僕のほうこそ、セレナ嬢に感謝したいくらいだよ」


 二人で静かに微笑み合う。


 この呪道具を持ち帰れば、きっと全てが覆る。


 アルティア様を救える道が開けたのだ。


「無事に帰りましょう」

「ああ、そうだね」


 私たちは再び静かに頷き合い、地下室を後にするべく出口へ向かった。



 地下室から出て塀の外に出て、私は深呼吸をした。

 頭上には満天の星空が広がり、まるで私たちの行動を祝福してくれているかのようだった。


「無事に出られて良かったですね、ラファエル様」

「ああ、思ったより上手くいったな」


 塀を超える際は慎重に行動した。


 侵入したときとは違って、ジェラルド様に気付かれるようなこともなかった。


 塀の外に降り立つと、私は懐から慎重に杖を取り出した。


 銀色の柄に嵌め込まれた漆黒の宝石が、月光の下で異様に光っている。


「やっぱり禍々しいですね……」

「うん、明らかに闇魔法の気配だね。これなら証拠になる」


 私は静かに頷いた。


 念のために、ミランダが地下室に戻ってきてもすぐには気付かれないよう、あの箱には代わりの魔道具を入れておいた。


 しばらくの間は、彼女も盗まれたことに気付かないはずだ。


「本当にありがとうございます、ラファエル様。あなたがいなければ、こんなに上手くはいきませんでした」


 私が改めて感謝を伝えると、彼は照れたように微笑んだ。


「いや、僕は手伝っただけだよ。むしろセレナ嬢が勇気を出してくれたから、こうして証拠を掴めたんだ」

「いえ、あなたがいなかったら侵入すらできませんでしたよ。ジェラルド様に気付かれないほどの魔法の腕前、さすが公爵家の嫡男ですね」

「褒めすぎだよ。でも、セレナ嬢にそこまで言われるのは嬉しいかな」


 私はそっと笑った。

 彼の表情は月明かりの下でとても穏やかで、いつもとは少し違った魅力を感じる。


「このお礼は、いつか必ずさせてくださいね」

「お礼か……」


 ラファエル様が何かを考えるように少し沈黙した後、思いがけないことを言った。


「じゃあ、今度、一緒にデートでもしようか」

「えっ?」


 突然の提案に、私は思わず間の抜けた声を出してしまった。


「わ、私とですか? アルティア様とのデートをセッティングしてほしい、ということじゃなくて……?」

「……はは、まだ気付いていないんだね。そろそろ限界かもな」


 ラファエル様は苦笑しながら小さく呟くと、突然その場で膝をついた。

 そして私の手をそっと取ると、手の甲に柔らかな口付けを落とす。


「えっ――!?」


 予想外のことに驚いて固まってしまった。

 心臓が一気に跳ね上がり、頬が熱くなるのを感じる。


「僕が好意を抱いているのはアルティア嬢じゃなくて、君だよ――セレナ嬢」


 ラファエル様は穏やかな笑みを浮かべているが、その瞳は真剣そのもので、冗談を言っているようには見えなかった。


「え、えっと……」


 私は動揺して言葉がうまく出てこない。


 彼は私の様子を見て、優しく笑った。


「すぐに答えが欲しいとは言わないよ。でも、これ以上勘違いされるのはさすがに嫌だからね。……僕の気持ちは伝わった?」

「ほ、本当なんですか?」

「もちろん」


 ラファエル様は私の手をゆっくり離しながら立ち上がると、優しい表情で微笑んだ。


「今すぐ答えなくていいから。ただ、僕の気持ちが伝わったのなら、それで十分だ」


 そして私の手から呪道具をそっと受け取り、胸元にしまう。


「これは僕が保管しておくよ。危ないからね。じゃあセレナ嬢、また明日学校で」

「あ、はい……また、明日」


 私はまだ動揺したまま小さく手を振った。

 ラファエル様が去っていく背中を呆然と見送りながら、心臓がうるさいほど高鳴り続けていた。


(まさか、ラファエル様が私のことを……)


 家に帰ってベッドに横になった後も、私はずっと胸がざわついていた。

 彼が私に好意を持っているなど、夢にも思わなかった。


 ようやく実感が湧いてきて、恥ずかしくて布団をかぶって悶えてしまう。


「ど、どうしよう……!」


 そんな私の動揺は、翌日になっても全く収まらなかった。

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