1-3.花拾い

第7話 路地裏のねずみたち

 ――花迷宮の再建を誓った俺の前に立ちはだかったのは、3つの課題だった。根本的な経営資源――ヒト、モノ、カネの不足だ。


 この3つのうち、もっとも重要なのは……もちろん金だ。先立つものがなけりゃ、娼婦を雇うことも設備を整えることもできやしない。


 しかし、幸いにも最低限の金は用意できた。


 ――婆さんのヘソクリの金貨300枚だ。婆さんの墓代にしちゃあ多すぎる金額だが、再開店の資金としてはすこし心もとない。


 けどな、配られたカードで勝負しなきゃなんないのが人生だからな。


 カネの次は『ヒト』だ。娼館なんだから、娼婦がいなければ始まらない。しかし半年前まで在籍していた娼婦たちはすでに新しい娼館と契約しており、戻ってきてもらうことはできない。


 とにもかくにも娼婦を募集しないとならないが、そのへんにいる夜鷹をスカウトすればいいというものでもない。


 花迷宮は粒ぞろいの娼婦を揃えていることで信頼を勝ち取ってきた歴史ある中級店だ。その流れを汲んで再開しなければ、客の期待を裏切ることになる。安定したスタートのためには、まずはそこそこ以上の娼婦を集める必要があるのだが――


「おっ、いたぞ! マルー、そこだ!」


 俺が指さしたのはナイスバディの女……ではなく、夕暮れの裏路地を走り回るネズミだ。


「わっ、わわっ!?」


 足元を潜り抜けようとしたネズミに飛び掛かるマルーだが、空しくもその手は宙を掴む。ネズミは馬鹿にするようにマルーをちらっと見てから、そそくさと小さな穴に入ってしまった。


「また逃げられちゃった……」


 マルーの動きはけっして悪くないが、彼女のステ振りは攻撃と防御に偏っている。すばやい小動物をかっさらうようなことは苦手なようだ。


「いや、十分だ。あとはこいつがなんとかしてくれる」


 俺がバッグから白いネズミを出すと、マルーはそのネズミのように小首を傾げた。


「すこし前に捕まえたネズミじゃない。逃がすの?」


「まぁ見てなって。……ほら、出番だアル!」


 俺がそっと地面に置くと、アルは「キュッ」と鳴いて穴に入っていった。そして1分もすると、逃げ込んだネズミの尻尾を引っぱって俺たちの元に戻ってくる。


「よくやった。あとは任せろ」


 俺が捕まえたネズミを革袋に入れると、アルはえっへんと二本足で立って両手を差し出してくる。「ちょうだい」のポーズだ。


 こいつ、誰に似たのかちゃっかりしてんな……。


「ほれ、食え」


 酒のつまみのナッツをひとつやると、アルは大事そうにほおばってバッグの中へと戻って行った。


 その様子を見ていたマルーが、丸っこい瞳をきらきらとさせる。


「か、かわいい……!! アルっていうんだ?」

 

「ああ。アルジャーノンだ」


「まるで猟犬みたい。普通のネズミ……じゃないよね?」


「だな。俺の『紋章術』で強化してある」


 紋章タトゥー用のインクにこの世界のアイテムを混ぜることで、さまざまな効果を紋章に与えるこの能力のことを、俺は便宜的に『紋章術』と呼ぶことにしていた。


 ネズミたちを使って実験を繰り返した結果、『紋章術』の仕組みや機能がいくらか明らかになっていた。


 紋章術の効果はインクに混ぜる触媒――つまりこの世界の魔法のアイテムによって決まる。たとえば回復薬ポーションなら『回復力増加』、毒消し薬なら『毒耐性』『疾病耐性』などだ。


 そしてその効果の強度は紋章のデザインや大きさによって左右されるらしい。基本的には大きければ大きいほど、精緻であれば精緻であるほどに強まる。


 効果は紋章がある限り永久的につづくようだが、なぜか――新しい紋章を彫ると、古い紋章の効果は消えてしまうようだ。これについてはいくつか持論があったが、長くなるのでまた今度の機会にしよう。


 俺はアルをひっくり返して、乳首がたくさん並んだピンク色の腹に彫った紋章をマルーに見せた。


「朝市で買った集中力が一時的に上がるハーブがあっただろ。あれとキツネの紋章を組み合わせたら『知性向上』の効果が出たんだ」


「頭が良くなった……ってこと? ……すごいじゃない!」


「小型犬くらいの芸はできるぞ」


 なぜかくすくすとマルーは愉快そうに笑った。


「すごいのはホリィだよ! ……もしかして、さっき捕まえたネズミにも『紋章術』を試すの?」


「そのつもりだ。まだまだ実験用にネズミが欲しい」


 マルーは立ち上がると、黒いワンピースについた砂埃を払いながら下水臭の漂う路地を睨みつける。


「任せて! つぎは捕まえてみせるから!」


「期待してるぜ、『用心棒』さん」


 そう呼ばれてまんざらでもなかったようで、マルーはにやっと笑って腕まくりをする。その引き締まった二の腕に、つい目が留まった瞬間――


 たっ、たっ、た――と、路地の奥から足音が響く。


「気を付けてホリィ!」


 マルーの表情が変わった。腰を低くして地面を踏みしめると、路地の奥に溜まった闇へと腕を構えた。


 丸い瞳がすっと細くなった、その直後だった。


「――お命ちょうだいっ! とうっ!」


 ふざけたセリフと同時に小さな影が飛び出してくる。曲芸師のような軽い身のこなしで壁を蹴り、俺へと跳躍。角飛びからの鮮やかな蹴りだった。


 しかし、その軌道を塞ぐように立ちはだかる者がいた。マルーだ。


「ふっ……!」


 鋭く息を吐きながら蹴りを払い――がっしりと胸倉を掴んだ。そしてそのまま、腰をひねって狼藉物を叩きつけようとする。


 マルーが得意とする、爺さんからたたき込まれた投げ技のひとつだ。


 だが、俺はそれをあわてて制止する。


「まてっ! 子供だ!!」


 マルーの顔に驚きが走る。


 しかし、もはや止められない――そう思えた直後、マルーは腕を強引に引き寄せた。投げの半径が小さくなって回転が一気に鋭くなる。


 空中でぐりんと1回転すると、マルーは子供の下敷きになるような姿勢で石畳に落ちた。


「いったた……!」


 マルーが身を起こしたときには、すでに子供は脱兎のごとく逃げ出している。


「おいこらっ!!」


 声を上げた瞬間、一瞬だけだが――俺と子供の目が合う。


 南国の太陽を浴びたような褐色の肌に、ざんばらの銀髪。そしてどこか優し気な光が宿る、ブルーの瞳。だぼだぼの服を着ていて男か女か判断がつきにくいが、たぶん男か……?


 ――とにかく、見間違えるはずもない。あいつは俺がこの町に転移した初日に、荷物をひったくっていったあのクソガキだ……!!


 向こうも俺に気づいたようだった。気まずそうに「あれ?」とぎこちなく笑う。妙に愛嬌のある仕草だったが、俺はすでに阿修羅と化していた。


 ――太ぇ野郎だ。捕まえてぶちのめす!


 がむしゃらに追いかけて、角を曲がったときだった。


「きゃっ!?」


 角から出てきた誰かは俺に派手にぶつかって、尻もちをつく。


「すまん! 大丈夫か!?」


 猫っぽい緑の目と薄い唇がエキゾチックな、まだ子供と言ったほうがしっくりくるほどに若い女だ。


「おしりが痛いので、大丈夫かと言えば大丈夫ではありませんが……」


 妙に遠回しな返事をのんびりと返す女を立たせると、俺は路地の奥を睨みつけた。


 ……くそっ、逃げられたか。すばしっこいクソガキめ。


 マルーが走ってきたのは、苛立ち交じりのため息を漏らしたのと同時だった。


「はぁ、はぁっ……。ホ、ホリィ、無事?」


「お前こそ大丈夫か?」


「私は全然だけど……逃げられちゃったね。何だったんだろう、さっきの子供……」


 頭の上に疑問符を浮かべるマルーに、俺はざっくりといきさつを説明する。


「ひったくりなんてかわいいものじゃなくて強盗だよ……! 何考えてるんだか!」


 クソガキが男だったのが残念でならない。もし女だったら花迷宮にぶちこんで、『体で』払ってもらうのだが。……って、まだ子供か。


「まぁ今回はお前のおかげで――」


 荷物も無事だったしな。そう言おうとした俺だったが、口から出たのは間抜けな鳴き声だった。


「あ……!?」


 ――斜めがけにしていたバッグがない。そんなバカなと手で探るが、神隠しにあったように消えてしまっている。


 ぴしりと凍り付いた俺に、マルーが能天気にたずねてくる。


「そういえば誰かとぶつかってたみたいだけど、怪我はしなかった?」


 俺はぎょっとして辺りを見渡す。


 ……いない。俺とぶつかったあの女がいつのまにか姿を消している。


 最初から違和感はあった。泥棒のくせして徒手空拳で正面から襲ってきたことも、派手な足音も、謎の掛け声も。


 あの女の妙にまだるっこしい話し方も、クソガキが逃げるまでの時間稼ぎか……!


「あいつらグルだったのか……」


 俺は思わず拳を固く握る。バッグの中に大したものは入っていなかったが――小さなしもべは別だ。


「アルジャーノン……! くそっ……! あのクソガキどもっ!!」


 2度もカモにされたアラサー男の怒声が、夕暮れの裏路地に空しく響いたのだった……。

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