第25話 夏の始まり

 父親と再会したが、生活は劇的には変わらない。

 日常というのはドラマとは違い、ドラマチックではない。

 部活もあれば期末テストもある。

 母親が仕事の日は妹のりんと交代で家事をこなさないといけない。

 僕と血が半分しかつながっていないことを知ったりんは三日ほど口をきかなくなった。

 僕や母親の美咲が話しかけてもりんはひたすら黙っていた。

 六月の下旬になったある日のことだ。

 りんは変わった。

 劇的にだ。

 それが良いのか悪いのか僕にはわからない。

 りんはいつもポニーテールか後ろにくくっていた髪をツインテールにしていた。

 そして、いわゆる地雷系のメイクをしだしたのだ。

 チークで頬と目元を赤く塗り、登校前の僕に抱きついてきた。

「お兄ちゃん、りん可愛い?」

 と訊かれた。

 響子を彷彿とさせる甘い声音だ。

 これはどういう心境の変化なのか僕にはわからない。

 しかし、りんは掛け値なしの美少女なのでこういう地雷メイクもとんでもなく似合う。

「うん、りんは可愛いな」

 正直な感想を漏らすとりんは満面の笑みを浮かべる。

「お兄ちゃん、こういうの好きでしょ」

 たしかにりんの言う通り好みの女子のタイプの一つだ。響子のような金髪巨乳グラマーもいいが、りんのような地雷系ツインテールも好物だ。

 ちょうどデシタルクロニクルのキャラクターのシスターマリアンヌのイメージが今のりんに近い。

 りんがもし修道服をきたら、まさしくシスターマリアンヌになる。


「うん、まあ嫌いじゃないかな」

 好きというと何か一線を越しそうな気がしたので、僕は曖昧な返事をする。

 それを聞いたりんはきゃはっとわかりやすい作り笑いをする。

 スポーツ少女であったりんはすっかり変わってしまった。

 ハンドボール部をやめて乙女部という何をするのかよくわからない部を立ち上げたという。

 そして家に帰ってくるとりんはメイド服で僕を出迎えた。

 どこまで僕の性癖を刺激したら気が済むのだ。

 りんは僕が女子として意識しているのを知っている。それは、やはり血が半分だけしかつながっていないことに起因すると思う。

 普通の兄妹きょうだいはどうかしらないが、僕たちの間に思春期がもつ肉親への嫌悪感はあまりない。

 だから自制するのがたいへんであった。


 六年後、ロリータ系モデルとしてりんは李鈴々りーりんりんという芸名でデビューする。だが、それはまだまだ先の未来の話だ。



 期末テスト後の林檎と響子の朗読劇にむけて、僕は邁進していた。

 シナリオは一応は僕と桜子が共同執筆することになっている。だけどメインは桜子に任せた。

 日常生活に支障はないが、まだ僕のメンタルは創作する体力を取り戻していない。

 定期的に人気のない校舎裏や非常階段下で響子に頭を撫でてもらわなければどうにかなっていた。

 レザボア・ドッグスにて父親と再会した次の日、僕はラインで響子をあの校舎裏に呼び出した。

 ここは角度によっては二次元文化研究部の部室から見えるので、死角になるところに響子を呼んだ。

 思えば僕から響子を呼び出すのは初めてであった。

 なかなか切り出せずにいる僕を響子はあのにちゃりとした笑みを浮かべて、待っていた。

「あの……響子……」

 いざ言おうとしたらなかなかきりだせない。

 こんな変態じみた欲求を響子に言ったら嫌われるかも知れない。

 あの時は響子の言わば慈悲の心で僕を抱きしめてくれたのだ。

 もう一度あれをやってくれなんて頼んだら、もしかすると軽蔑されるかも知れない。

「どうしたの?」

 言い出せずにいる僕に響子は顔を近づける。

 響子はいつも通り距離感がバグっているので鼻先が触れ合っている。

 糸のような細い目で僕を見つめている。

 なんだか僕の心を見透かされている氣がする。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫よ」

 響子は僕の後頭部に手を伸ばして優しく撫でる。

 そうするとスッと心の中にあったもやもやしたものが消えていく。

 僕は思いきって響子の胸に抱きついた。

 響子はそのことを咎めずに僕の頭を撫でてくれる。

 ドクンッドクンッと響子の心臓の音が僕の鼓膜を刺激する。

 響子の心臓の音は僕にとっての癒しの音だ。

 僕は響子の胸から離れて、彼女の顔を見る。

 メイクをしていない響子の顔も、とても可愛い。

 どっちかというとこっちの方が気にいりつつある。


「響子、お願いだ。ときどきこうして欲しい」

 僕は意を決して響子にそう頼んだ。

 響子はにちゃりとしたあの笑みを僕に向ける。

 僕はそれを許諾と捉えた。

 再び響子の胸に頭をゆだねると彼女は何度も優しく頭を撫でてくれた。

「いいよ、直人。大丈夫、大丈夫、大丈夫だからね……」

 耳元でささやかれる声は甘美で、中毒性がある。

 ずっと聞いていたい。

 響子の声は美しく、僕の心に生えたトゲを抜いていく。

 ふっと頭が軽くなり、僕は顔をあげた。

「ありがとう響子」

 僕は響子の細い目をみつめる。

「こんなのでいいの?」

 響子は不思議そうな顔をしている。

 僕にとっては嫌われるかもしれないほどの重大な頼みごとも、彼女にとってはそれほどでもなかったということか。

「もっと、いやうんうん。そうね、そうだね。私たちまだ高校生だからこれでいいわね。直人、またこうして欲しくなったら何時でも言ってよ」

 こうして僕は響子の心臓の音を聞く許可をもらった。


 

 期末テストが終わり、一学期の終業式のあとに朗読劇が開演されることになった。シナリオは桜子のおかげでどうにか完成した。

 美々の成績はというと、そこそこ良い点数だったということだ。

 ときどき僕と林檎が美々の勉強をみた成果と言える。とくに世界史の点数が八十点を越えたことは特筆すべきだ。

 これで美々は夏休みを予備校通いに費やさずに済むようだ。予備校には一応通うらしいが、部活には支障はない程度ですむとのことだ。


 こうして僕たちは終業式を終え、二次元文化研究部で朗読劇を開くことになった。

 


 

 

 

 

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