あの水色の光がそうさせた ―言葉にできなかった想い、名前のない関係はそれでも僕を変えた―

タビサキ リョジン

ハクセキレイの章

第1話

波紋の残る水たまりに国道を通るトラックの明かりが流れ映る。それをぼんやりと眺めながら彼は何事かをモゴモゴと呟いた。

 

友人関係も長く続くと、多少の行き違いや言い合いもある。

最近では、面倒になって、一旦そうなってしまうと距離をとってしまうことも多い。


 けど、彼とだけは、それを、なあなあにせずにきちんと話し合ってきた。

付き合い自体はそれほど長くないが、不思議とそれができる相手だったから。

だからこそ、この関係は続いているのだと思ってる。


 けど、最近の彼はなんだか変だった。

 喧嘩というほどではないけど、細かいことで引っかかる。


ツーカーでやり取りしていた以前に比べて、今はどうにもやりとりが流れていかないのだ。

まるで歯車の中に砂が入り込んだみたい。


 僕の事を考えてくれていると言うことはわかるんだけど、その事を僕に言ってくれないから、認識が微妙にズレる。

 

いつか、ありがた迷惑みたいに思ってしまって、彼を遠ざける事をしたくはなかった。

だから雨は降っていたけど、一緒に夕食を食べに行ったついでに少し遠回りして、夜の公園で少し話す事にしたんだ。

 

僕もあまり話すのが得意じゃないから、変な言い方になっていないか気をつけた。

おかげで、変に緊張してしまって、なんだか告白する前のような、妙な空気になってしまった。


 僕は、そういう時、自分を誤魔化すみたいに、おかしなくらい元気に、ハキハキと喋ってしまう。でも彼は小声でモゴモゴと喋るのだ。

 

雨音が邪魔してなんと言っているのかよく聞こえない。

 

その時も彼の言っている事が聞き取れ取れず、返事に困って彼の顔を眺めていると、彼は少し照れ臭そうに笑って顔をあげこちらをみた。


やがて小さく、でもさっきよりは少しはっきりとこう呟いた。


「理由なんてない……けど」

「けど?」

「そうだな……強いて言えば……」

「うん」

「水色の光がそうさせたんだ」


 沈黙。


それはほんの僅かだったのだろうけど、僕には、とても長い時間に思えた。


なんと言えばいいだろうか?そう思った、丁度その時だった、国道をゆっくりと曲がっていったトラックの電飾の明かりが水たまりに流れ、それが水色に見えた。その水色の光は軌跡を描いてすぐに消えた。

その水色の光が、やけに目の中に残った。


「…………うん」


意味はわからなかったけど、僕は頷いた。


こういう時に彼から意味のわかる言葉を聞ける事は少ない。でもきっと、彼にはとても大事な言葉なのだろう。


 彼はいつもよくわからない変な言い回しをする。質問してもきちんとその答えが返ってくることは稀だ。


でもそれは、いい加減な返事をしているというわけではない、きっと僕よりうんとたくさんの事が目に入っていて、それを投げ捨てたりせずにずっと考えているんだろうと思う。


それに僕は、そういう言葉を選べる彼の感覚が好きだった。それは僕にとって、ある意味で憧れで、いつも『こんなもんだよ。仕方ない』と言って諦めがちな僕には無いものだったから。


しばらく僕たちは言葉もなく佇んでいた。


しのつく雨の中、僕たちは立ち尽くし、しばらくその場を離れることが出来なかった。


ふと、彼が何かに気づいたように顔を向ける。

僕もその視線を追う。少し離れたところに何かが落ちているようだ。


よく見れば、それは小さな鳥だった。

彼はぐったりと横たわる、小さな鳥を、じっと見つめていた。


雨粒が容赦なく鳥の体を打ち付けている。

羽が濡れて黒く見える。


黒く濡れた羽は、光を映してより黒くみえ。こんな場合の感想としては不適切なのかもしれないが、とても綺麗だった。


思えば、ずいぶん長いことそうしていたように思う。


 死んでいるか生きているかもわからない。こういう時に僕はひどく不安定な気分になる。

 気にはなったが触る勇気がでなかった。

 そんな自分を少し嫌いになる。そんな瞬間だ。



 僕はただそれを眺めていて、そこにある死や痛みに寄り添うこともできずにいた。

 それどころか彼と同じものを見つめているという事実をやけに感じていた。

 もう少しで、それを幸福だ。と感じていたかもしれない。


 「鳥…… 」

 

いまさらに気づいたように彼が言う。

 僕の躊躇を嘲笑うかのように、彼はそれが当たり前みたいに、その鳥に近づいていった。

 わかっている。嘲笑っているのは、僕自身だ。


 「なにか拭くものもってる?」

 

彼は、なんの躊躇もなくその鳥を持ち上げると僕にそう聞いた。


 「生きてるみたいだ」

 

足に触れたり、羽を持ち上げたり、怪我がないか調べているようだった。

 その手つきは優しく、とても繊細に見える。意外だなと思ったのは、もう随分前のことだ。

 彼が家で飼っている猫を触る時も、その手つきはとても優しい。


「なんて鳥なんだろ」

 

かばんにあったタオルを差し出しながら僕は言った。

答えを期待していたわけではなかったが、彼は迷いもせずに応える。


「ハクセキレイだ」



「ハクセキレイ?」

「ここは川が近いからかな?都市部にもいるって話だけど」

 

僕はその言葉に応える事ができなかった。

「ふうん」

意外に、一体なんと言えばいいのだ。


きっとハクセキレイは川の近くに住む鳥なんだろう。

 


本当に意外なことに詳しい男だ。

仲良くなってからでも数年。知り合ってからなら、結構長い時間が経つはずなのに、僕は彼の事をずいぶんと知らない事に気がついた。


 彼は僕の渡したタオルで、ぐったりとしたハクセキレイをそっと包んだ。

 ひどく優しい手つきで、ごくごく軽く、トントンと叩きながら水気を吸い取っていく。


 しかし、降りしきる雨が、タオルごと濡らしていく。

 

彼は、忌々しげに、空を睨むと。


 「ちょっと歩こうか」

と言って、歩き出す。


 公園にある東屋を目指しているのだろう。僕は黙って後ろを付いていった。


 ハクセキレイの登場が、彼と僕の空気を少し変えた。

 

助けられた部分もあるし、大事な事がはぐらかされたような気持ちもある。


このハクセキレイが、もしあの場にいなかったら、ぼくらはどんなやり取りをしたかなという事が少しだけ頭をよぎった。

 

しかし、蒸し返して改めて聞くのも、憚られた。


彼の、さっきの言葉の真意を聞くのが、なぜか少しだけ怖い。

何か見ないふりをしていたものを見なくてはいけなくなるような、そんな気がする。


 黙って歩く彼の後ろ姿を傘越しに見ながら、彼がもし、今振り返って僕のことを見たら、どんな目をしているだろうか、と考えた。

しかし、幸いにもその瞬間は訪れなかった。


「羽の付け根を怪我しているみたいだよ」


 雨音にかき消されないようにする為なのか、少し張った声で、彼は背中越しに僕に話しかけてきた。


考え事をしている時にかけられた、思いの外に大きい声に、僕は思わず驚いた。

なぜか咄嗟に、きちんと反応しなくてはと焦った。


「治りそう?」


と、聞いた。


「傷?」

「うん。もしかして死んじゃったりしないかな。」

 

そう言いながら、僕は後悔した。不幸な現実を予測することで、それが現実になってしまうようなそんな気がしたからだ。


  彼は振り返りも、立ち止まりさえせずに歩き続けている。

 

 それは実際は、とても短い時間だったのだろうが、彼が返事を返すまでのその僅かな時間は、僕には何時間にも感じられた。

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