第11話 夢々パニック
鋭い音と共に、グラスが夢さんの足下で砕け散った。
散らばる破片。飛ぶ水しぶき。
大きな音に、喧噪で満ちていた食堂が一瞬静寂に包まれる。当然、周りの視線も音がした方――即ち、俺の方に向くが、そんなものは視界の端にも入らなかった。
「大丈夫か? ケガとかしてないか!?」
「……。」
俺は乱暴に席を立って彼女の方へ近寄ると、白い肌を手に取り確かめる。
珠のように白く、滑らかな肌。
「――よかった、傷は付いてないみたいだな」
「……。」
なぜか無言の夢さんを差し置き、俺はほっと胸をなで下ろす。
よかった。本気で焦った。
と、その拍子に彼女の足下に目が行く。ケガはしていないみたいだが、床に落ちたグラスから飛び散った水しぶきで、膝の下辺りまでが濡れていた。
靴下もぐっしょりだろうから、このままだと気持ちが悪いだろう。
「このままだと風邪引くな。一応ハンカチ貸すから、自分で拭いておいて――」
俺はそう言って、顔を上げようとする。
「っ! や、みないで!」
不意に、悲鳴に近い掠れた声が夢さんの喉から漏れる。
だが、そのときには既に手遅れで――
「あ」
彼女と、目が合った。
怪我をしていたとか、そういうわけじゃない。ただ、顔が茹だったように真っ赤だった。
「どうしたの?」
「い、いや、これはその……あの……うぅ」
何かを言おうとして、そのたびに目を泳がせて、最終的には口を噤んで俯いてしまう。
この慌て方――なるほど、姉にそっくりだ。
「もしかして、どこか怪我をしてるとか? それとも、体調が――」
「だ、だいじょう、ぶ! です! 心配要りません! あ、あたしもう食べ終わったし、そろそろ行きますね!」
上ずった声で一方的にまくし立て、夢さんは立ち上がり――
「っ! ダメだ!」
そんな夢さんの肩を強く掴んで、強引に席に押し戻す。
至近距離で見つめ合う俺達。
「なっ、これ、えぇ!?」
肩をガッシリと掴まれ、身動きを封じられた夢さんが目をグルグルと回す。
「あ、あの、これ、ど、どどど、どういうちゅもりで……」
「今は動くな。じっとしてろ」
「ひっ! そ、そんな強引な……あわ、あわわわ」
若干過呼吸気味になりつつある夢さんへ顔を近づける。
原因はわからないが、少しパニックになっているらしい。なるべく状況が伝わるように、しっかりと目を見て、伝えるべきことを伝える。
「まだグラスの破片が散らばってる。今動いたら危ないだろ、だから俺が片付け終わるまで動くな」
「……え? グラスの破片?」
不意に、我に返ったらしい夢さんが足下を見る。
? 他に何があるというのか。
「あ、あ~、動くなってそういう……あは、は、あはは」
夢さんは乾いた笑いを浮かべながら、天を仰ぐ。
俺は首を傾げつつ、グラスの破片を片付け始めた。途中、夢さんが手伝うと言ってくれたが、断っておいた。
嬉しいけど、こういうところぐらいでしか、俺は役に立てないからな。
――。
「あ、あの……あ、ありがとうございました。先輩」
「いいけど、一つ聞かせてくれ」
「え? なんです? もしかして、あたしのタイプとかですか? それはお金持ちでイケメンで、先輩とは似ても似つかない――」
「いや、君のタイプはどうでもいいけど、なんで窓際の観葉植物に話しかけてるんだ?」
ひとしきり片付いたあと、またこうして話しているわけだが、なんかいろいろとおかしい。
ひどく夢さんがよそよそしくなった気がする。今とか、俺の方じゃなく真横のサボテンに話しかけてるし。
「いや、これはあれですよ。先輩はもはやサボテンと同類というか、サボテンの先輩にはあんま大差ないですから」
「おい、俺とサボテンを一緒にするな。サボテンに謝れ」
「いやそこまで言います!? 自己肯定感どうなってんですか!?」
思わずツッコまざるを得なくなった夢さんが、俺の方を向く。
が、すぐに顔を赤くしてぷいっとそっぽを向いてしまった。
どうやら、話すにしても日を改めた方が良さそうだ。
「――それじゃ、俺はそろそろ行くから。あ、割れたグラスの代わりに、俺が持ってきた水飲んで良いぞ。友達用に用意したんだが、アイツ結局こなかったからな」
去り際にそう言ってから、俺は席を立つ。
「先輩」
「ん?」
立ち去ろうとした俺の背中に、ややぶっきらぼうな声が投げかけられる。
振り向いた俺の視界には、やはり窓辺のサボテンを見つめたままこちらに背を向ける夢さんの姿があって。
「さっき……と昨日は、助けていただいて、ありがとうございました」
「どういたしまして。それじゃ」
俺は、素直にお礼を言ってくれた少女に笑いかけると、席を後にするのだった。
ところで――
「お、おおお、お前! どういうことだ! なんで妹さんの方とも仲良くなってんだよ!」
トレイを片付けにいったところで、親友の宗也に捕まって質問責めに遭った。
「なんでって言われても……ていうかお前、見てたんなら声かけろよな。二人きりでちょっと気まずい瞬間とかあったぞ」
「ば、バカ野郎! 女子と男子が二人きりで仲良くしてる空間に踏み込めるかよ!」
「平気でナンパしたりスマイル要求できるヤツが今更なに言ってんだよ」
意外と初心な反応をする親友に、辟易することになるのだが……それは別の話だ。
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