第6話 芽生える恋心
《三人称視点》
「は? え? コイ? コイって……あの池にいる鯉じゃないよね?」
「今時そんなベタな切り返しする人っているんだ!?」
絶滅危惧種に出会ったとでも言いたげに、夢は目を剝く。
だが、すぐに気を取り直すと、姉の目を真っ直ぐに見つめた。
「いい? お姉ちゃん。今までおめかしに興味を示さなかった人が急に始めるのは、決まって3パターンなの。一つは、容姿をバカにされて悔しくなったパターン。もう一つは、周りが自然に色めきだして自分も乗り遅れないように自然と合わせていくパターン。お姉ちゃんには二つとも当てはまらないよね。元々美人だから容姿をバカにされるなんてないだろうし。周りの目とか気にする性格じゃないしね」
「う、うん。つまり、最後の3つ目が――」
「恋をして、「可愛く思われたい」ってなったパターン」
真剣な顔でそう言われ、咲良は思案に耽る。
いきなり化粧をしようと思った理由を。それは、またあの青年に――浅井達樹に会ったとき、もっとちゃんとした姿で会いたいと、そう思ったからに他ならない。
つまり、つまりはだ。
もし、もしも夢の仮説がこの状況に当てはまるとすれば、咲良はおそらく人生初の――
「あ。これはこれは、ビンゴですねお姉ちゃん」
不意の言葉に顔を上げた咲良の視界に、ニヤニヤと笑う妹の顔が映る。
「び、ビンゴって何が?」
「あたしの言った通り、恋しちゃったってことがだよ?」
「わ、私は別に彼に恋しちゃったなんてことはなくて……」
「へぇ。「彼」ってことは、やっぱ化粧をしたいと思った原因になったのは、男の人なんだ」
「うぅ」
墓穴を掘ってしまい、咲良は顔を真っ赤にして俯く。
「ふむ。となると直近で男の人と出会ったって言ったら、あれかな? コンビニでクレーマーから助けてくれた、浅井先輩じゃない?」
「なぁっ!? そ、そんにゃことは、な、ない――」
「あ、こっちもビンゴ☆」
「んにゃぁあああああ!」
すべからく妹に見抜かれ、咲良はもはや猫語になって吠える。
「な、なんでわかったのよぉ」
「う~ん、まあそれはあたしが血を分けた妹だからだよ。ほら、兄弟とか姉妹はお互いに感覚共有ができるって、それアニメの鉄則じゃない?」
「うぅ……姉妹怖い」
「(まあ、こんな顔を真っ赤にして、わかりやすすぎるだけなんだけどね)」
涙目で頭を抱える姉を見て、夢はおかしそうに笑う。
「まあとにかく、おめでとうお姉ちゃん。人生初、好きな人ができたんだね?」
「す、好き? これが好きって感覚なの……?」
「なんか初めて感情を知ったロボットみたいなこと言い出した!」
初心もここまでくれば呆れるというものだ。
夢は小さく嘆息してから、「いい?」と初めて恋心らしきものを知った姉に近寄る。
「その人にまた会いたい。笑顔を向けて欲しい。可愛いって思われたい。そう思ったら、それはきっと恋なの」
「そう、なんだ……」
咲良は、豊かな自分の胸に手を添える。
正直、生まれて初めての感覚で戸惑うばかりだ。その、異性に対する恋心というものが果たして今胸に思い描いているこれなのか。何一つ、わからない。
わからないが――少なくとも、また彼に会いたいと、そう思う気持ちは嘘ではなかった。
だから。
「私の気持ちを確かめるために、お化粧の仕方、教えてくれる?」
「もちろん。あたしはお姉ちゃんの自慢の妹だよ! どんなことにだって協力するって! お姉ちゃんのためなら、たとえ火の中水の中、牢屋の中だよ!」
「流石に犯罪の片棒を担がせることはしないからね! お姉ちゃんが変なコトしそうになったら止めてよ!」
妹の変わらぬ態度と、心強い返答に咲良は勇気を貰う。
これから先、うまく彼と向きあっていければいいと、強くそう思った。
――。
「はぁ……あのお姉ちゃんが、ねぇ」
姉が去ったあと、夢は側に読みかけの漫画を放り出してベッドに寝転んだ。
華奢な身体をスプリングで弾ませ、部屋の中で唯一無機質な天井を仰ぐ。
すごくめでたいことだ。
姉は、夢の憧れだった。文武両道、才色兼備。
運動も勉強も人一倍優秀で、でもそれを鼻に掛けない高潔さがあって。もちろん、夢にはそれが他者からの評価に自分の価値を依存しない姉の性格を知ってのことだったけれど。
美人なのに飾らないのが勿体ないと思っていて。
せっかくモテるのに彼氏の1人も作らないのを、宝の持ち腐れだと思っていて。
だけど、その分の愛情が自分に注がれているのを、夢ははっきりと理解していた。
欲しいものがあったら買ってくれた。ホラー映画がトラウマになって1人で眠れない夢と、一緒に寝てくれた。ヤンチャして学校の備品を壊したときは、一緒に先生に謝ってくれた。
姉は、今日まで恋を知らなかった。
その分の愛情を、自分が奪ってしまったから。
だから――嬉しい。あの姉がようやく、好きな人を見つけて人並みに女の子らしく歩き始めたことが。
妹として、魂の片割れとして祝福したい。
手放しに喜んで、姉の新たな人生の歩みを、一歩後ろから拍手で見送りたい。
だから――これは気のせいだ。咲良と浅井達樹が、仲良く手を繋いで歩く未来を脳裏に描く度、心がキュッと締め付けられるように痛むのは。
「うん、気のせい。これは、違う」
泣きじゃくるばかりで、あのとき彼にお礼を言えなかった。その後ろめたさからくる胸の痛みだ。
そう自分に言い聞かせ、夢はこの考えは終わりとばかりに、放り出した漫画を手に取る。
根に持たないのが自分の長所だと、自分に言い聞かせて。
でも――
「できることならもう一度会って……そう、あくまでお礼。お礼を言えてないから」
頭の片隅に追いやったはずの青年のことを思いだしてしまった。
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