第2章 揺らぎ5

 少しの間、会わなかっただけなのになと、尊はステージの上で思う。

 夏の間、地下倉庫に置きっぱなしの三好のギターを爪弾くことが習慣になりつつある。尊がギターを弾けるようになったのは、一時、誰かとつくる音楽に興味を持ったためだった。

 ピアノとヴァイオリンは幼いころから習っていた。中学受験で一度止めたが、進学後も心惹かれるのは音楽ばかりで許される時間の限り楽器に触れた。周囲には部活でバンドをやってる人がいて、一時つのった憧れもあったと思うが自分がそうなれるとは思わなかった。でも、ギターは一人で練習した。

 誰かと演奏したいとはもうあまり思わない。音に触れている間はそれだけに集中できて、自分の心が凪いでいると感じる。人の存在は雑音になる。ただ、三好ならばいてくれても構わない。いて欲しいとは言わないが、邪魔ではないと思う。

 ピアノの前の椅子へと戻る。プログラムは全て演者に任されている。何を弾いても構わないなら、自分が非礼を詫びるにはこれで十分だろうと思う。

 三好はもう、聞き飽きただろうけど。


 イントロがピアノから流れ出した時、尊の威圧的な拍子の音も同時に思い出してしまって三好は笑った。地下倉庫で何百回聞いたか分からないギターの練習曲である。顔色を窺うように寄越された視線が子どもみたいだった。わだかまっていた苛立ちが急速に溶ける。……なんなんだ、お前は。なんだって、こうも振り回されなければならない。

 尊の声が耳に心地よく響く。ステージを降りた尊が無邪気でないことを知ってから、一層演奏中の彼は楽しそうに見える。彼が、彼が望むままに一生ステージから降りなければいいと思う。そうすれば今より少し、何かがつらくはないんじゃないか。ピアノを弾く尊と生活している尊の乖離が、見ていて少し痛々しかった。しかし、皮肉にもその乖離こそが、彼を彼たらしめてしまっていて、人を惹きつける要因になってしまっている。他人にも自分にも、制御不能などうしようもないことなのだろう。

 自分の心を危険に晒して人の心に踏み込むか。こうして三好が悩まされても尊は現状維持を許さない。なぜなら、彼は虎視眈々と縁を切る機会を伺っているからだ。今まさに、より「切り甲斐」のある縁を育む最中なのだ。その証拠に、彼の指には縁の糸が一つも残ってないではないか。

 腹を括ろう。

三好は思った。尊が笑いかけるから、三好もそれに応えて笑う。彼が三好を切って捨てる未来はきっとそう遠くない。その時に繋ぎなおすことを恐れずに、いられるようにあろうと思う。

 やがて曲は終わりを告げて、尊は椅子から立ち上がる。笑顔のまま客へと深くお辞儀をして小さなステージを降りる。慣例のように、糸がまとめて断ち切られる。三好に繋がる一本を残して。

 さて、事件が起きたのはその時だった。

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