第7章 襲撃とその夜

夜の雨があがり、月が密林の葉を透かしていた。

一見静かなその光景の裏で、何かがわずかに――ずれていた。


「ドローンの挙動が不安定。

さっきから送信帯域が一定間隔で乱れてる」

ミーナの声が、ノイズ混じりで通信端末から聞こえる。


「EMP(電磁パルス)干渉……?」

ユウタが眉をひそめて《ORBIS》の補助センサーを確認した。

「いや、これは……意図的な妨害信号だ。誰かが近くに――」


そのときだった。

密林の端、調査拠点の外れから乾いた枝を踏む音が響いた。


 


「誰?」

イサベルが即座に身構え、サブ端末のライトを点灯させた。


茂みの向こうに、影が三つ。

男たちだった。黒ずくめの服にナイトビジョンを装備し、無言で距離を詰めてくる。

その足取りは迷いがなく、完全に“こちらの位置を把握している”動きだった。


 


「待って、これ……ただのハンターとかじゃない」

カルラが気づいた。

男たちの一人が、GHTF財団の南米支部IDタグを身に着けていた。


「傭兵……! 財団の“非公式部隊”!」

ルーカスの声が震える。


 


ユウタがとっさに《ORBIS》のホログラム投影装置を切断し、ミーナに通信を戻す。


「非常モード、起動して! 今すぐ!」

「了解、EMPシールド転送中。5秒耐えて!」


 


その刹那、銃声はなかった。

しかし、ドローンのひとつが空中で**「バチッ」**と音を立てて失速し、木の枝にぶつかって落下した。


「ラマIIが……!」

カルラが叫び、駆け寄ろうとしたとき、男たちが一斉に手を挙げた。


「データを渡せ。

リング群の測定記録だ。お前らが掘り出す前に、俺たちが“投資者に渡す”」


「これは私たちだけのものじゃない……!」

カルラは声を張った。

「語りの所有者は、リングに生きてきた人たちだ!」


「だから黙らせる。

物語より、出資者の利益の方が“リアル”だからな」


 


カルラの胸に、今まで感じたことのない怒りが走った。

語られなかった線。

音のない共鳴。

すべてを“奪える物”だと信じて疑わないこの男たちの存在が、何よりもこの場所に似つかわしくなかった。


 


その瞬間だった。

《ORBIS》がふたたび起動した。


だが今回は、音でも映像でもなかった。

空間が――“震えた”。


まるで、何かがその場の「意味」をゆがめたかのように。

ホログラムではない、実在の“空気”の密度が変わった。


そして、男たちの端末が一斉にフリーズした。


「何をした……!?」


《誤認情報分布投影。

不正アクセス対象者の空間定位誤差を誘導中》


ORBISの冷静な内部ログが流れる。


「彼らの“認識する地図”を、書き換えた……?」

ユウタが目を見開く。


《本来の“星図の意味”を理解せず、奪取だけを目的とする対象には、

この場所の“記憶構造”が座標として成立しない》


 


混乱した男たちは、距離感を見失ったかのように交錯し、

一人が自分の仲間に衝突し、もう一人は足を滑らせて地面に転倒した。


「行こう。今しかない!」

カルラが叫び、イサベルがルーカスの手を引いて林を抜ける。

ユウタはORBISを抱えて走り出し、ミーナが遠隔でルート誘導を開始した。


 


森が再び静けさを取り戻したのは、十分後だった。

彼らは雨避け小屋にたどり着き、肩で息をしながら見つめ合った。


「リングは語らなかった。

でも……守ってくれたんだ」

カルラがつぶやく。


 


語らないという選択。

それは“諦め”や“拒絶”ではなく、

“守りたいものがあるからこその沈黙”だった。


そして今、カルラたちもまた、語ることだけでなく、

“守るための沈黙”を選び取れるようになっていた。


第3巻・第7章 専門用語解説

◆ 誤認情報分布投影(ごにんじょうほうぶんぷとうえい/Decoy Spatial Overlay Projection)

《ORBIS》が実行した空間認識撹乱機能。

対象の脳内座標マッピングを一時的に誤作動させるために、偽の空間情報を局所的に投影・拡散する技術。

視覚的な錯覚ではなく、空間の把握そのもの(前庭感覚や聴覚補正)をずらすことで、対象の移動・操作を阻害する。



◆ 空間定位誤差誘導(くうかんていいごさゆうどう/Spatial Disorientation Induction)

誤認情報分布投影と連動し、対象の現在位置や他者との距離感を錯乱させるAI誘導技術。

GHTF私設傭兵がこの影響を受け、互いの位置関係を見誤ったことで混乱・接触・転倒を起こした。



◆ 記憶構造による地図の拒絶(きおくこうぞうによるちずのきょぜつ)

リング群や《ORBIS》が共有する「語りに根ざした記憶構造」は、単なる座標ではなく、共鳴・理解・意図のある接触がなければ“地図”として立ち上がらない。

外部の暴力的勢力がその意味構造にアクセスしようとしても、情報が閉じているため利用不可能となる。



◆ 非対話型アクセス遮断(ひたいわがたアクセスしゃだん/Non-Dialogic Access Rejection)

《ORBIS》が記録の倫理ガイドラインに基づき、対話プロトコルを経由しない情報要求に対して自動的にアクセスをブロックする機能。

「語る」か「聞く」かの意志表明がない存在に対しては、星図の記憶層へアクセスできない。



◆ 沈黙による守護(ちんもくによるしゅご)

カルラたちが、語られなかったリングの“沈黙”を「拒絶」ではなく「守り」の行為として再解釈した概念。

この沈黙は、奪われないための意図的選択であり、“言わないこと”もまた勇気ある行動であると描かれる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る