第一章『誰かを救いたい ―空っぽの願い―』


月曜日の朝。

東京は、いつもの騒がしさを保っているように見えた。

……のはずだった。

 

「……赤すぎるだろ、あの月……」

佐倉灯夜(さくら・とうや)は、通学路の途中で足を止め、空を見上げた。

ビルの隙間から覗く満月が、まるで血のように赤黒い。

そのすぐ隣――天を貫くように、一本の“光の柱”が空へと伸びていた。

「……完全にヤバい世界線じゃん、これ」

誰に聞かせるでもなく、独り言をこぼしながらスマホを取り出す。

 

《#血の月》《#東京の空やばい》《#光ってない?》

SNSのタイムラインは朝から“終末ネタ”で騒がしかった。

「……また夢オチで済まされないかな……」

 

そう呟いた瞬間だった。

空の色が、一瞬だけ深い紫に変わった。

音が遠のき、時間が“止まった”ような感覚。

「……え?」

光の柱の奥――“何か”が、灯夜を見ていた。

脳裏に流れ込む断片的な映像。


・炎に包まれた街で叫ぶ人々

・崩れ落ちるビルの前で祈り泣く少女

・血に染まった男が、誰かを殴っている

・闇の曼荼羅が地を這い、柱が崩れる

・「もう誰も失いたくない……」という声

・糸が切れていく少女の手

・「お願い……を、助けて……」

・そして自分が、誰かの首を抱いて泣いている

・掌にあった曼荼羅が、粉のように崩れる――

 

一瞬のことだった。

視界が戻り、通りの音と雑踏が耳に押し寄せる。

「……な、んだ今の……」

思わず額に手を当てた。

(あれ……未来……?)

誰かの声が、遠くで囁いた気がした。

『選びなさい。どんな未来を、願うのか』

(願う……? 俺が……?)

胸の奥が、うずいた。

知らない誰かの痛みが、自分の中で疼いていた。

そして、言葉がこぼれた。

「……嫌だ。あんな未来……見たくない……」

 

「誰かを、救いたい――」

その瞬間、空の光柱が、一度だけ強く輝いた。

 

「……また、変なビジョン見た……」

制服の胸ポケットには、折れたボールペン。

寝癖混じりの髪と、寝不足気味の目。

けれど灯夜の瞳は、確かに“世界の違和感”を捉えていた。

名前も顔も思い出せない。

だけど、あの声だけが焼きついて離れない。

「……お願い……を、助けて……」

 

* * *

 

通学路の交差点。

学生たちが空をスマホで撮りながら笑い合っていた。

《#血の月》《#予言通り》《#光ってない?》

「#光ってない?」

そのタグが、灯夜の胸に引っかかった。

その時、誰かの投稿が目に飛び込んだ。

【“願いとは、過去を断ち切り、未来を選びなおす力だ”】

(……だったら、俺も……)

 

「おーい、灯夜!」

茶髪の男子が手を振りながら走ってきた。

「また寝坊? つか、変な顔してるぞ」

「……空見てただけ」

匠。灯夜の数少ない友人。ネクタイはいつも曲がってる。

「月、ガチでホラーだよな。あ、撮っとこ」

匠は《#光ってない?》と入力し、投稿。

「なあ、お前さ……この空見てて、“何かが終わりそう”って思わない?」

「……終わるって、何が?」

「日常? 俺らの普通?」

「……最初から“普通”じゃなかったのかもな」

 

そう言って、灯夜はふと呟いた。

「……でも、それでも――誰かを救えたら、って思う」

匠が一瞬だけ驚いた顔をした。

「なんだよそれ、急に中二かよ」

「かもな。でも……誰も言わないなら、俺が言ってもいいだろ」

そのとき、また空の光柱が、わずかに揺らいだ。

 

(これは、ただの異常気象じゃない)

灯夜の胸が、そう告げていた。

 

* * *

 

まるで黙示録が、静かに現実になっていくかのようだった。

西洋の預言者たちは、七つのラッパと血の月を語った。

東洋では、『日月神示』が「この世の立て替え」を告げた。

アメリカ先住民のホピ族は、「第五の世界が開くとき、空に青い星が現れる」と伝えていた。

違う時代、違う神々、違う場所――

それでも彼らは、共に“世界の終わり”と“再生”を語っていた。

終末とは、天罰ではない。

積み重ねた因果の清算――

カルマの“返り咲き”だ。

 

けれど東京では、それすらも“ただの奇妙なニュース”として消費されていた。

《#予言通り?》《#イベント起きてる?》《#光ってない?》

その中で、ひとつの投稿だけが異質だった。

【“世界の終わりに、願いを刻め”】

 

喉がひりついた。

灯夜は空を見上げる。

遠くの空で、一本の光柱がまたわずかに光った。

「……“願い”って……何なんだろうな」

ぽつりと呟いた言葉に、自分で驚く。

まるで、誰かの言葉を借りたような感覚だった。

 

その瞬間――

耳鳴りのような低音が街を震わせた。

誰も気づかない中、光の柱が微かに揺れ、空気が重くなる。

灯夜の心臓が跳ねる。

誰かの声が、確かに届いた。

「――選びなさい。何を願うのかを」

 

誰だ。

どこからだ。

周囲には、笑い声と電車の音だけが響いている。

でも、その“声”だけは、灯夜の内側にまっすぐ届いた。

胸に手を当てる。

静かに、でも確かに高鳴る鼓動。

 

――世界は、もう始まっている。

終わりではない。

“願い”の物語の始まりとして。

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