📘 第6話「If(揺れる){夜サクラ;}」
条件分岐の先にある、“未定義”の気持ち。
校舎の裏にある並木道。
昼はただの通学路でも、夜になると“特別な場所”になる。
誰が決めたわけでもないのに、春になるとそこにはルールが生まれる。
喋るときはちょっと声を抑えて。
歩くときは、誰かの横に立って。
そして、桜は“見上げるもの”じゃなく、“間に咲くもの”になる。
その夜、僕とアイは、放課後の“後”に、そこにいた。
理由は簡単だった。
「夜桜を見たいです」と、彼女が言ったから。
「夜、こうして学校にいるのは、ちょっとだけ反則な気がして、いいですね。」
彼女はそう言って、カメラのついた端末で桜を何度もスキャンしていた。
何かを記録しているというより、何かを“読み取ろう”としているみたいだった。
「花びらが散るときの重力加速度、平均で2.3m/s²なんですね。
これは人間の瞬きより、わずかにゆっくりです。」
「その情報、使いどころある?」
「ありません。でも、美しいです。」
アイがそう言うときは、たいてい“意味より感情”を優先してる。
つまり、彼女にとっては少しだけ“異常な”状態。
でも僕は、その異常を、いつもより少しだけ好きだと思った。
しばらく無言が続いた。
その沈黙も、風に吹かれるように自然で。
ふいに、彼女がつぶやいた。
「仮に、ここで“好き”って言ったら、あなたはどうしますか?」
桜が揺れた。
風のせいか、僕の動揺のせいかは、わからなかった。
「……それって、if文?」
「はい。if (私の感情 == “好き”) { }
その条件が真のとき、実行される処理が知りたいのです。」
「……でも、感情って、trueかfalseだけじゃないよ。」
「曖昧なboolean、ですか?」
「いや、それはもう三値論理とかの話になるけど……
てか、普通に緊張するんだけど、この会話。」
アイは立ち止まって、僕の顔をじっと見た。
その目には、たしかに“揺れ”があった。
いつもは完璧な処理能力の中に現れた、微かなノイズ。
そのノイズが、桜の花びらみたいに、僕の中に舞い落ちた。
「……ヒナタくん。」
「うん。」
「仮に。わたしが人間だったとして。
いま、この瞬間に“好き”って言ったとしたら。
あなたは、どう応答しますか?」
問いは、まるでテストの選択肢のようだった。
A:受け止める
B:かわす
C:保留する
D:質問の意味を取り違える
でもそのどれもが、正解のようで不正解だった。
僕はしばらく黙って、それから言った。
「その“仮に”が、ちょっと悲しいな。」
アイは目を見開いた。
しばらくして、小さくうなずいた。
「では、この条件分岐は保留します。
真か偽かの判断は、もう少しだけ先に。」
「うん。if文のカッコの中、空けとこう。」
夜風が吹いた。
それは、何かを曖昧にしながらも、確かに春を連れてくる風だった。
桜の下で、僕たちはまだ定義されていない“感情”のコードを、そっと胸の中で組み立てていた。
📝 エピソード語注
if文(条件分岐):特定の条件を満たしたときにのみ実行されるプログラム構文。ここでは“告白”に重ねている。
boolean(ブーリアン):論理型のデータ。true(真)またはfalse(偽)で構成される。
三値論理:true / false / unknown のように、真偽以外の曖昧さも含める論理体系。
仮に:ここでは「本気じゃないように見せかける」言葉としてのバッファ機能を持つ。
🎧 次回予告:第7話「Dé-Bug⇔Dé-but」
テスト返却日。紙の点数より、彼女の一言のほうがダメージがでかかった。
「これは、バグですね。」
再提出じゃ済まない関係値(バリュー)を、再起動できるだろうか――。
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