第38話 物語が届くとき②
秋晴れの空の下、T文科大学のキャンパスは朝からにぎやかだった。
今日は学祭の日だ。
構内は模擬店の匂いや音楽で満ち、通路には「焼きそば 300円」「地域研究ゼミ 展示中!」なんて手書きの看板が並ぶ。中庭にはライブのステージが組まれ、スピーカーから流れるバンドの音が時折、風に乗って遠くまで響いていた。
文芸サークル『言の葉』のブースは、2号館の213教室。
いつも静かな教室が、今日は一転、ちょっとした「お店」になっていた。
「はい、設営完了! 後は売るだけ!」
莉子が、両手を腰に当てて満足げにうなずいた。
机の上には、メンバーがそれぞれ書いた短編小説や詩をまとめた同人誌『言の葉』がずらりと並んでいる。表紙は、絵心のある部員が描いた手描き風のイラストで、淡い色合いが目を引いた。
「……これ、本当に手に取ってもらえるのかな」
ぼくは不安げに声を漏らす。初めて自作の短編小説を公に出すということで、正直ドキドキしていた。
「大丈夫、みんなの作品はちゃんとしてるし、あと私の煽り文句も完璧!」
「『夜に染みこむことば、あなたの中に潜り込みます』……って、ちょっとホラー感ない?」
誰かの言葉に、莉子は反論する。
「詩的表現だよ、詩的!」
部員たちのやりとりを聞きながら、美佐さんは苦笑した。
「うん、みんな、頑張ったから」
準備の段階では正直、不安な面もあったが、こうして形になった冊子が目の前にあると、やっぱり少し感慨深い。
やがて午前10時、学祭が正式に開幕すると、各教室にもぽつぽつと来場者が入ってくるようになった。
「おはようございます。同人誌の販売でぇす」
「どうぞ、手に取ってご覧ください」
ぼくたちは丁寧に声をかける。チラシを配っているのは莉子。買ってくれた人にお釣りを返しているのは美佐さん。
「……何気に緊張するな、これ」
「そりゃそうだよ、自分たちの文章が知らない人の手に渡ってくんだもん」
「やっぱ……なんか、恥ずかしいな」
「……でもさ」
美佐さんが、ふと柔らかい声で言った。
「それでも、読んでみたいって思ってくれる人がいるって、嬉しくない?」
ぼくはその言葉に、うなずいた。
「……うん、嬉しい。私たちの『言葉』が、ちゃんと届いてるんだなって」
午後になって客足が増えると、サークルのブースにも立ち読みする学生や地域の人たちが何組もやってきた。
ステージから風に乗って流れてきたバンドのボーカルが、こんなふうに歌っていた。
「――今を、忘れないで♪」
思わずぼくは、窓の外を見た。
銀杏の葉がまた一枚、空に舞い上がる。
「美佐せんせぇい!」
学童の子らが連れ立ってやってきた。子供たちは、美佐さんの周りに群がる。
「わぁぁっ、みんな、来てくれたの?」
「うんっ!」
「美佐せんせい、何か面白いとこ、なぁい?」
「じゃあ、おばけやしき、行ってみる?」
「行くぅぅぅぅっ!」
「ごめんなさぁい、ちょっと外しまぁす」
美佐さんは子供たちを「おばけやしき」へ連れていく。
「おぉっ、気をつけて」
事前に美佐さんから「子供たちが来る」と聞いていたぼくたちは、快く彼女を送り出す。
子供たちはニコニコと手を繋ぎ合って歩き出す。彼女はその真ん中で、まるでお姉さんのように、あるいは小さなクラスの先生のように笑っていた。
ぼくは、そんな美佐さんの後ろ姿をそっと見送った。
彼女が子供たちに囲まれている時は、どこかまぶしくて、触れてはいけないような感じがしたからだ。
30分ほどして、再びサークルのブースに戻ってきた彼女は、ホッとした顔をしてぼくに言った。
「無事、全員帰還しました」
「……やっぱ、好きなんだね。あの仕事」
「うん。好き。大変だけどね。でも、あの子たちの真っ直ぐな目、ちゃんと見てくれるから」
そう言った美佐の横顔を、ぼくは少しの間、見つめていた。
模擬店の煙が流れ、ステージではまた新しい演奏が始まる。
大学のキャンパスは、まだ熱気と歓声に包まれていた。
夕方近く、日が傾きはじめた頃。
机の上に並んでいた同人誌の山は、だいぶ少なくなっていた。
「……売り上げ、予想の倍いってるよ……!」
莉子が目を輝かせて報告すると、メンバー全員が「おおっ」と声を上げた。
「やったね、みんな!」
「なんだか、ちょっと自信ついたかも」
「来年はページ増やそう!」
和やかな空気の中、ぼくはそっと美佐さんの方を見る。
夕暮れの光に照らされた彼女の横顔は、どこか満足げで、どこか遠くを見ているようだった。
ふと、ぼくの中で言葉が湧いてくる。
――次は、もっと思い切って書けそうな気がする。
夕暮れ時、街に明かりが灯り始める頃。
大学から歩いて数分の場所にある、居酒屋の奥。どこか時間の流れがゆるやかな空間。
「皆さん、今日はお疲れ様でした。『言の葉』、打ち上げ会を始めまぁす!」
鈴木さんが胸を張って宣言すると、メンバーの何人かが歓声を上げた。
「乾杯しよっ! あっ、未成年はウーロン茶で!」
「ウーロン茶で乾杯って……健全だなあ……」
「むしろ青春って感じでいいじゃん!」
テーブルの上には、大学生の財布にやさしい定番メニューが並んでいた。
「じゃ、改めて――学祭、お疲れ様でした!」
「かんぱぁい!」
ジョッキ同士が軽やかにぶつかり合い、にぎやかな笑い声が響いた。
「いやぁ、今年の冊子、正直かなりよかったよな」
「佐藤くんと盛本さんの合作がよかったよ」
「そうそう、二人の作品、なんか意外と『攻めてた』よね? あの最後の展開、ちょっとゾクっときた」
「……あれ、書いた本人がいちばん不安だったやつ」
「でも、文章すごく読みやすかった。地の文が自然で、引き込まれたよ」
「褒めてもらえると嬉しいです……」
みんなの言葉にぼくは頬を少し赤らめながら、ビールを飲む。
隣では、美佐さんがホッとしたような顔で笑っていた。
「悠真くん、書く時、結構悩んでたから……そう言ってもらえると、私も嬉しいです」
みんなの笑い声が、店内に柔らかく反響する。
時計の針は、まだ夜の初め。
それでも、そこに流れる空気は、充実感と小さな誇りに満ちていた。
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