鉱石変事ストーンレイズ
ころもやぎ
第1話「俺達の約束」
石ノ谷町。とある小さなその町で、俺……
だが実を言うと、趣味で運動部の助っ人に行く毎日に明け暮れていた所為で夏休み前のテストに惨敗し、俺の夏はもう補習授業と追試で埋まる事が決まっていた。俺の高校二年生の夏休みは、アンハッピーである。
とはいえ、あんまりバアちゃんに心配かけない為にもこの夏は頑張らなければならない。俺が留年なんてしたら、バアちゃんも海外にいる親も困るだろうから。金はなるべくかけたくない! 燃やせジリ貧魂! それが俺の胸に秘めた教訓である。
……しかし、今日も奮起して挑んだ夏休みの補習は全然頭に入って来なかった。外でサッカー部員達が練習をしている風景を見ていたら、いつのまにか授業が終わっていたのだ。その後、俺が上の空だったのに気付いていた先生にめっちゃ怒られた。くそう、次の補習はちゃんと受けねば。
俺はしょんぼりしながらも教室を出て廊下を渡り、入り口にある下駄箱の前に辿り着く。そのまま何気なく靴箱を開けると、靴の上に何か手紙の様なものが置かれていた。何だこれ。俺は首を傾げてその白い手紙を取り出した。
宛名は俺の名前。だが、差出人の名前は書いていない。気になったので、その場でついつい手紙を開けてしまった。中には、二つの紙切れ。綺麗に折りたたまれた紙の一枚を広げてみると……それは、手続きの項目みたいなのがいっぱい書かれた紙。何だこれは……と紙をよくよく見て、俺は絶叫した。
「こ、こ、婚姻届ぇえーッ⁉」
俺の絶叫に、通りがかった生徒達が驚いてこちらを見る。ハッとして、俺はすぐさま手紙を全部ポケットに突っ込んで駐輪場へ走った。自転車に飛び乗ると、全速力で家に帰る。そして、家に到着し小さな庭に自転車を乗り捨てると、俺は襖を開けてバアちゃんのいる居間に飛び込んだ。
「バ、バアちゃんッ!」
「何さね、騒がしいよぉ蒼空ちゃん。どうかしたのかい」
「お、俺! 俺の下駄箱に婚姻届が入ってた!」
「ありゃあ、そりゃめでたいねえ。どれ、バアちゃんにも見せとくれよ」
呑気なバアちゃんに、俺はすぐにぐしゃぐしゃになった婚姻届を見せる。すると、老眼鏡を掛けたバアちゃんは「こりゃアンタ、えらいことになったねえ」と珍しく驚いた声を上げた。
「蒼空ちゃんのお嫁さん、
「し、真珠谷って……あのスーパー金持ちの家かよ⁉」
俺はぶったまげて腰を抜かした。だけどすぐ、「俺が負かしたスポーツ倶楽部のタチの悪い悪戯かも」という考えが過り、俺はもう一枚入っていた紙を開いた。そこには、細やかな美しい字で「瑠璃乃蒼空さん。貴方と詳しくお話をしたいので、明日の午後五時に真珠谷の家に来て下さい」と書かれ……しかも豪勢な判子が押されている。どうやら、悪戯ではない公的な書類だと証明しているようだ。
「ひ、ひえ……ホンモノだぁ……」
俺が震えていると、バアちゃんは「いいじゃないのさぁ。悪い話なんかじゃ決してないよぉ?」と気楽に笑う。確かにバアちゃんの言う通り、決して悪い話ではないと思うけれど……あまりにいきなり過ぎないか? 何か裏があるんじゃないかと考えたが、裏も何も何処にでもいる高校生の俺と結婚するメリットって真珠谷家にない気がする。という事はつまり……。
「俺……一目惚れされたってこと⁉」
何て熱烈なアピールだ。まさか婚姻届まで同封されるとは思わなかったが、それ程俺の事を気に入ったんだろう。とは言っても、俺は真珠谷のお嬢さんこと
確か彼女は俺と同じ高校二年生であり、かなりの美人秀才で金持ちなスーパー有名人だけれど、クラスは別だし話した事も無い。会った事がないとは言えないが、それでも体育の時に廊下ですれ違ったくらいだ。そんな彼女が俺に一目惚れって……。
「俺って結構罪な男なのかなあ~えへへ」
「そうさよぉ! 蒼空ちゃん男前だし、明るくてイイ子だもんねぇ~!」
バアちゃんに褒められて、益々有頂天になる。ついに俺のスポーツマンな所に恋する乙女が現れちまったか。俺はノリノリのまま、バアちゃんのバックアップを受けつつ婚姻届に名前や情報を書いていった。
その夜は眠れず、俺は寝不足で翌日の補習を受けた。だが、頭の中は藍さんこと俺のフィアンセの事でいっぱいだ。先生にまた怒られたが、来る午後五時が気がかりでほとんど聞いていなかった。
先生のお叱りを聞き流して、俺は一旦真珠谷家へ赴く準備をする為に家に帰る。お風呂に入り、バアちゃんお墨付きの菓子折りを持って、この前隣町でお小遣いを溜めて買った服を着ていくのだ。やっぱり、身なりと菓子は大事だからな!
ルンルンで鼻歌を歌う帰りの道中。家に向かって自転車を走らせていると……ふいに公園で遊ぶ小さな少年を見つけた。ぶかぶかのジャージを着た、瞳の青い不思議な子供。
「……あんな子、この近所にいたっけ」
気付けば、自転車を停めていた。公園には少年以外誰もおらず、どうやら一人で遊んでいるのだと察する。ブランコに寂しそうに座る少年に、俺は思わず声を掛けた。
「なあ! 君……一人か?」
俺が声を掛けると、ジャージを着た小柄な少年は顔を上げる。うん……やっぱり、この顔は近所で見た事がない。こんなに色白で、しかも宝石みたいに青い瞳をしている子なんていたらかなり目立つだろう。
俺は怖がらせないように、隣の空いたブランコに座った。少年はざっくばらんに切られた髪を揺らして俯き、黙り込む。
「君はここらへんだと見ない顔だな、最近引っ越してきたのか?」
少年は首を横に振った。じゃあ、ここにいて長い? そんな馬鹿な。俺は一応この地域の子供とほぼ全員仲が良いけど、この少年の話は一度も聞いた事がない。何だか不思議だなと思ったが、俯いてしまった少年を笑顔にしたくなって、いつのまにか「暇なら遊ぼうぜ」と誘っていた。すると、少年は恐る恐るといったように頷く。俺は笑って、まずは少年の乗るブランコを押して遊び、イカ型のデカい滑り台でかくれんぼをしたりした。あと、俺は出くわした子供と投げゴマでバトルするのが好きだという理由故に、いつも鞄にコマを忍ばせているのでそれも使って遊んだ。
気付けば少年は楽しそうにクスクスと笑っていた。言葉は発さないけれど、表情から喜んでいるのが分かって俺も嬉しい。もっと笑ってほしくて、俺は出来ることは何でもやった。
やがて段々日が暮れ始めた公園の砂場、二人でお城を作りながら俺は思う。
「なあ……俺って君と会った事とかないよな?」
何となく聞いてみた。直感というか、昔のおぼろげな記憶で話している。良く分からないが、この少年とは何処かで会ったような気がするのだ。遊んでいくうちに気付いたというか、すごく懐かしい感じがして……前もこんな風に、この子とお城を作って遊んだ気がする。
少年の方を見ると、彼は熱心に手を泥だらけにして遊んでいる最中だった。俺の話、聞いてないな~コイツ。でもそれも許せてしまうくらい、彼が楽しそうにしているのが嬉しかった。この子とずっと遊んでいたいなあ……そう思いながらお城を作るのを手伝っていると、ザッと地面の砂利が踏まれる音がする。
「瑠璃乃蒼空君、一時間二十四分の遅刻よ」
俺は「え」と顔を上げた。振り返ると、まだ絶妙に明るい公園の入り口に学生服を着たショートボブの女の子が立っている。俺がポカンとしていると、女の子は静かな足取りで砂場へと歩いてきて……俺にスマホの画面を見せた。画面には、丁度午後六時二十四分の文字。俺は顔を真っ青にした。
「あ、あの、もしかして……」
ガタガタと泥だらけの手を震わせる。スマホを見せてきた美人な少女は、紺色の鋭い瞳を俺に向けてきた。
「初めまして、蒼空君。随分遅いから迎えに来てあげたわよ」
その台詞を聞いた途端、俺はその場ですぐに土下座した。間違いない、彼女は石ノ谷で名を馳せる金持ち一族の一人……真珠谷藍だ! 俺は何て事をしてしまったのだろう。夏は日が長いから時間経過をついつい忘れていたが、それでも一時間二十四分も遅刻してわざわざ迎えに来て貰ってしまうなんて。俺はとんでもない大馬鹿だ。
「あ、あのッ、し、しし真珠谷ひゃんっ」
思わず舌を噛むと、彼女は感情の読めないクールな顔で「何かしら、蒼空君」と言って立ち上がる。明らかに怒ってらっしゃるよな。俺はほぼ半泣きで砂場に額を擦りつける。
「こ、この度の非礼をお許し下さい! お、おワタクシめは、お嬢様のお手を煩わせるつもりは一切なくぅう……!」
「別にいいわよ。どうせ遅刻するとは思っていたし。貴方が今日と明日の日付を間違える所までしっかり計算済みだから、一時間二十四分の遅刻なんて計算内だわ」
俺の信用度、めっちゃ低いな。どんだけ俺の事を馬鹿だと思ってるんだよこの子。
「それより、早く屋敷へ行きましょう。貴方には大事な話があるから」
彼女の足音が遠ざかる。俺が顔を上げれば、もう公園の入り口にさっさと向かっている真珠谷藍の背中が見えた。俺は震えあがりながらも、そういえば少年はどうしたのかと砂場を振り返る。
「……あれ?」
砂場に少年の姿がない。さっきまで鼻息荒く楽しそうにしていたあの子の姿が。真珠谷藍の覇気で逃げてしまったんだろうか……。そう思いつつ、俺は足元の砂を払ってそそくさと公園の入り口に向かう。
歩きで来たと言う真珠谷藍を自転車の後ろに乗せ、俺は真珠谷の屋敷に向かった。公園からすぐ到着した真珠谷の屋敷はかなり大きな和風の家で、その敷地の広さに唖然とする。俺とバアちゃんの家が三つ分は入るだろうデカさ。もはや城じゃないか、これ。流石は石ノ谷で名を馳せているだけはある。
木の大きな門から美しい日本庭園を抜け、屋敷に入る。見た事がないくらい広い家の中をきょろきょろしているうちに迷子になりかけた。それでも家主である真珠谷藍の背を追いかけて歩いていくと、彼女は大きな和室に入っていく。俺の部屋何個分の広さになるのかもはや計算できない大きさの部屋だ。
そんな大部屋に似合わないチマっとしたちゃぶ台と座布団の置かれた場所に、ドキドキと胸を高鳴らせつつ座る。何故か俺の隣にもう一つ座布団が置かれているが、真珠谷藍は当然の様に俺の向かい側に座った。
「それで、蒼空君。婚姻届は持ってきてくれたかしら」
「え……アッ!」
そうだ。俺、家に戻ってから真珠谷家に向かおうと思ってたから、荷物を全部家に置いて来ているんだった。菓子折りも忘れた。やばい、どうしよう!
「あ、あの……一旦家に帰って持ってきても良いですか、真珠谷さん」
「いいえ、帰る必要はないわよ。どうせ、婚姻届なんて貴方を誘い出す為だけの文句だし。正直あってもなくても、どっちでもいいの。それから、私の事は気軽に絶対藍ちゃんと呼びなさい」
「め、命令形じゃないですか……ってか! 俺を誘い出す為ってどーいう事だッ……ですかッ!」
「はあ、その赤ちゃんみたいな敬語もやめて頂戴。鬱陶しいから」
ひ、酷い! 赤ちゃんは敬語使わないだろ! もしかして藍ちゃんってめちゃめちゃ毒舌? 俺が傷ついていると、藍ちゃんは言う。
「貴方をこの場所に呼び出す事が目的だったのよ。けれど、ただのラブレターだとパンチが弱いし、嘘だと思われても癪だったから婚姻届にしたの。そしたら、馬鹿正直な貴方の事だから断らずにちゃんと来るだろうと思って」
「お、俺の事めっちゃ見下してないか⁉」
確かに藍ちゃんの言う通り、大富豪からのラブレターより大富豪からの婚姻届の方がめちゃめちゃパンチはあるだろう。俺も調子に乗ってウハウハしてしまっていたし。だけど、そんな事をしてまでこの平々凡々な俺に何をしたいというのだろう。これで盛大なドッキリだったら俺はもう二度と学校には行かないぞ。俺が疑問の視線を藍ちゃんに向けると彼女はじっと俺を見る。
「私は確かめたかったの。貴方が本当に……選ばれた使者なのか。でも、確かめる必要も無かったみたい」
藍ちゃんがため息をつく。その途端、何かが腕にぶつかって軽い衝撃が走った。俺がビックリして横を向くと……空いていた筈の座布団の上に小さな少年がおり、俺の腕に抱き着いていた。そのジャージを着た姿を見て、俺は「あ、君はさっきの!」と声を上げた。そう、彼はついさっき公園で遊んでいた少年だ。俺に抱き着いて来たその子は、青い瞳を細めて嬉しそうにする。俺は慌てて藍ちゃんに問う。
「こ、この子、藍ちゃんの家にいる子なのか?」
「ええ……その子はラピス。この一族が管理と保護を任されている鉱石の一つよ」
「……はぇ?」
名前はラピスで、鉱石? 俺は藍ちゃんの言っている事が良く分からなくて首を傾げる。鉱石って、石の塊の事を言うよな。でも、この子は紛れもない人間だ。ただ、ちょっと目が青くて珍しいだけで……。
「それは人間の形を模倣させているだけであって、元はただの青い鉱石なの。ああ、他の一族にある鉱石も同じように人間の姿を模倣しているから……もう何処かで会っているかも」
「ち、ちょっと待てって! そ、その鉱石がどうのってヤツ……町でジイちゃんバアちゃんが語ってる伝説の話じゃあねえの?」
俺は顔を引き攣らせた。実は鉱石の話は、バアちゃんから昔聞いた事がある。この町の東西南北にいる大富豪の一族は皆不思議な力が宿る鉱石を持っていて、その鉱石の力を使って石ノ谷の町を災いから守っている……ってやつ。でも、バアちゃんから聞いた伝説の話だと思ってた。まさか、それが本当なんて事があるのか?
「今となっては、鉱石の役目や能力を知る人間はごく僅か……。町の住民のほとんどは私達一族に課された使命を知らない。その方が今は動きやすいから助かっているけれど、貴方には知って貰わなくちゃ困るの」
「な、何で俺だけ?」
「貴方が、選ばれた使者だから」
ハッキリと言われて、俺は益々困惑した。さっきから藍ちゃんが言っている選ばれた使者って、何だよ。いきなりそんな話をされても困る……と俺が閉口していると、藍ちゃんは言う。
「戸惑うのも無理はないわね。でも、今は非常事態なの。蒼空君に協力してもらわないと、この町が益々危うくなる」
「……危ういって?」
俺達が話していると、部屋の入り口から使用人らしき着物の人がやって来て机に何かを置く。よく見ると、スクラップブックのようだ。片腕にひっついて離れないラピスに困っている俺に代わり、藍ちゃんが身を乗り出して机に置かれたスクラップブックを開いて見せてくれる。どうやら、新聞の切り抜きの様だ。
「最近、石ノ谷で不審者の情報が出ているのは知っているわよね」
「ああ。この頃学校で注意喚起がよく出てるよな」
「じゃあ、学校で流行っている『鉄屑の化け物』の噂も知っているでしょう?」
俺は眉根を寄せた。不審者の情報も、最近生徒達の間でまことしやかに囁かれている鉄屑の化け物にまつわる噂も全部知っている。鉄屑の化け物が不審者の正体だとも言われているけれど、ほとんどは噂に尾ひれがついているだけで信憑性に欠けるものだと思っていた。俺にとって化け物の噂といい、今さっきの鉱石の話といい……何もかもが「おとぎ話」くらいの感覚でしかなかったのだ。なのに……全てが繋がっているとでも言うのか。
「この新聞の切り抜きは、噂になっている鉄屑の化け物であり不審者の正体……通称『ギオン』が起こした可能性のある事故や事件の切り抜きなの。列車の断線から車の事故、自転車やリサイクル工場の廃材が盗難される事件……その全ては繋がっていると考えられている」
「な、何じゃそりゃ? じゃあ田中の自転車が盗まれたのもギオンって奴の所為って事か⁉」
「それは知らないけれど、頻発している金属類の盗難事件にはギオンが関連している可能性があるわ。……もしかしたら、次は人を襲うかもしれない」
俺は、「マジか」と呟いた。本当に、噂で囁かれていた化け物が存在するなんて。でも、俺はその存在を目にした訳ではないし、まだドッキリって可能性もなくはない。とはいえわざわざこんな資料まで見せてきてドッキリなんてあるかな……と俺が悩んでいると、藍ちゃんがスクラップブックを閉じる。
「本当は、危険な存在であるギオンの存在をもっと大々的に注意喚起したい反面……やっぱりどうしても町に大きな混乱を招いてしまうから、あくまでも噂や不審者という形での注意くらいしか流せないの」
藍ちゃんが、初めて少し深刻な顔をする。その表情からして、彼女が本当に困っている事が分かった。クールな彼女が表情を曇らせている事からして……これがドッキリとかではないと馬鹿な俺でも流石に分かる。だから、思わず身を乗り出した。
「そ、それで俺に協力して欲しい事ってなんだよ? そのギオンって奴の似顔絵を描いたチラシ配りとか……ネットで注意を呼び掛ける配信をするとか?」
「……そんなアルバイトみたいな事させる訳ないでしょう。本気で言ってるの?」
「ええ? じゃあ何だよ……あッ、まーさーか! そのギオンって奴と戦えとか⁉」
「ご名答よ」
「はあ⁉ マジで言ってんのかよ藍ちゃん!」
俺は更に身を乗り出し、藍ちゃんは身体を引いて姿勢正しく座り直す。彼女の顔からして、冗談を言っている様にはやっぱり見えない。だが、そんな事俺に出来るのか? 俺はちょっと自慢出来るくらいのスポーツマンなだけで、スーパーヒーローじゃないんだぞ。
「だから、言ったじゃない。貴方は選ばれた使者なの。つまり、ギオンと戦う使命がある」
「し、使命って……何で俺が……ッ」
そこで、俺の記憶が揺らいだ。まるでテレビのチャンネルが切り替わるみたいに、何か映像が見える。だが、全てを認識する事は出来ない。俺は思わず、ラピスを見た。少年は嬉しそうな顔をしているだけで何も言わない。でも、懐かしい顔だと思った。
「君は一体……」
俺が動揺を隠せないままその幼い顔を見つめていると、その唇が動いた。
「午前二時、東の龍、青い審判を下す」
「……へ?」
透き通るような高い声で、そう言われて俺は首を傾げる。いきなり何を言い出すのだろうこの子は。俺がぽかんとしていると、藍ちゃんが動き出した。
「なるほどね。分かったわ」
「な、何が⁉」
「つまり、午前二時に貴方は使者としての任務に就くの。そうと決まればさっさと準備をするわよ、蒼空君」
「な、何を⁉」
俺が頭にハテナマークを浮かべている間に、部屋に使用人の方々がやって来て俺をラピスごと何処かに連れて行く。神輿を担ぐような勢いで運び込まれた第一の場所は風呂だ。身体を洗車するが如く速さで洗われ、ピカピカな新品の制服を着せられた。そのままワッショイワッショイと連れていかれた先では、絢爛豪華という言葉が似合う様な食事がズラリと用意されている。
修学旅行の旅館かよここは! とツッコむ暇も無く、「お召し上がり下さい」という使用人さんの声を合図に俺は食事を始めた。う、美味い! 初めて食べる刺身や創作料理の数々に舌鼓を打つ横で、ラピスも一緒にご飯を食べている。石って普通の飯を食っていいのかなと不思議に思ったが、用意された料理に夢中となり秒速で疑問は吹っ飛んだ。
飯を食べ終わると、またワッショイワッショイと担がれて俺は移動する。次に辿り着いたのは、書庫だ。机と椅子が置かれたプチ図書館の様なその場所には、藍ちゃんがいた。
「食事はお口に合ったかしら」
「おう! めっちゃ美味かった! 今度レシピ教えてくれ!」
「まあ、それも後で教えてあげるけれど……先に蒼空君には、石ノ谷の歴史を学んでもらうわ」
「え……」
俺はラピスを膝に乗せつつ椅子に座ってから固まった。俺、今から歴史の勉強させられるの? ぱちくりと目を瞬かせると、藍ちゃんが古びた分厚い本を机にドンと何冊も重ねて置く。
「貴方は真珠谷を代表する使者になるのよ。まずは貴方が『おばあちゃんの言い伝え』レベルで止まっている知識をもっと深掘りする必要があるわ。私達が代々受け継いできた鉱石の話がただの伝説ではないと認識してもらわないと。少なくとも、午前二時までには最低限の知識を持って貰うから」
「ひょえぇ……」
今すぐ逃げようかな。そう思ったが、膝にラピスが座っているので逃げられない。覚悟するしかなかった。俺、補習すらマトモに受けられないのに……。なんて俺の事情も知らず、藍ちゃんの石ノ谷に関する歴史講座が始まった。
最初こそ「頭に入って来ねえ〜」と思っていたが……藍ちゃんは勉強を教えるのが上手で、段々スラスラと頭に入って来るようになる。分からない所を聞けばすぐに解説してくれるし、難しい所は嚙み砕いて分かりやすい様に話してくれた。そのおかげで大分俺は石ノ谷という土地や東西南北に散らばる一族の事について知る事が出来て、人生で初めて「勉強っておもしれー!」と思えた。これはすごい進歩だぜ!
勉強会はしばらく続き、時計が午前一時五十分を指し示す頃。いきなりラピスが俺の膝から降りたがったので、抱きかかえて降ろしてやる。すると、彼は言った。
「北東、負の軌跡あり」
「……動き出したのね」
藍ちゃんの呟きに「動き出したってまさか……」とよそ見をした隙に、ラピスが走り出してしまう。
「あ、おいラピス!」
俺は立ち上がり、ラピスを捕まえようとした。だがその手をすり抜けて少年は書庫から出て行った。先ほど勉強した事が正しければ、今の言葉はラピスが持つ固有能力である「予言」だ。東に位置する真珠谷家が保護しているラピスには真実を見通す力があり、それが予知能力に繋がっている……と考えられているんだよな。
「って、脳内で復習してる場合じゃねえ!」
俺はすぐさま書庫を飛び出し……あっという間に迷子になった。何処も同じような作りになっててわかんねえ! ここ何処だよ! 俺が右往左往していると、「蒼空君、こっち」といつのまにか現れた藍ちゃんに手を引かれてやっと玄関に辿り着けた。
俺はそのまま庭に適当に停めておいた自転車に飛び乗り、藍ちゃんに言う。
「藍ちゃんはここに残っててくれ。何があるか分かんねーし」
「でも、蒼空君……北東ってどっちか分かるの?」
「そんなの分かる訳ねーよ! でも……ラピスが何処にいるかは、分かる気がするんだ!」
そう言って、俺は自転車を漕ぎ出していた。藍ちゃんが何か言おうとしたのも無視して、俺は豪邸を飛び出す。無我夢中で自転車を漕ぎ、町を走りながら感覚を研ぎ澄ました。不思議と、何処に向かえばいいか分かる。方向音痴な俺なのに……ラピスが呼んでいる場所だけは理解出来た。
辿り着いたのは、今日ラピスと遊んだ公園だ。真夜中、明るい照明灯の下……俺は驚愕して息を呑む。
「あ、あれが……ギオン?」
二メートルはあるであろう、廃材が寄り集まった歪な身体を持つ化け物。あれがこの石ノ谷を騒がせてるギオンなのか。衝撃的で恐ろしいその姿をまじまじと見ていると、ふいにその巨体の前に小さな子供の姿がある事に気付く。
「ラ、ラピス!」
俺は自転車を乗り捨てて全速力で走り出した。既に、ギオンの重そうな片腕がラピスに振り下ろされようとしている。ラピスが危ない! 俺は決死の思いでラピスを抱き上げその攻撃を避けた。間一髪、俺はラピスを庇うようにして地面に倒れ込む。片腕を擦り剥いた傷も気にせず、俺はラピスを抱きかかえたまま走って遊具の影に隠れた。
さて、ここからどうする。公園の中は狭いし、どうせすぐにここにいる事はバレてしまうだろう。ここは俺が囮になって、真珠谷家の大事な家宝であるラピスだけでも逃がすべきだ。
さっき教わった歴史の話によれば、石ノ谷に特殊な結界を張ってくれている鉱石を守るのが選ばれし使者の使命だとされている。ギオンという未知の脅威が目の前に迫る今、まず優先すべきはラピスの無事を確保する事だと思う。それから何とか俺のスポーツマンとしての力を駆使してあの化け物を倒して……って、そんな事が本当に出来るのかよ!
「でも……戦う使命があるって言われたし……くそ、迷ってる暇ねえのに……!」
やっぱ怖い。普通に怖い。だって、相手は意味分かんねー力で動いてる鉄屑の塊だぞ。あんな奴に敵う訳がないだろ。下手したら死ぬぞ、確実に。
「……そら」
か細い声で名前を呼ばれて我に返る。抱きかかえたラピスが俺を静かに見ていた。まずい、不安にさせてしまったか。俺は取り繕うように笑って頭を撫でた。
「わ、悪い……ラピス。今、すげー怖いよな。でも大丈夫だ! お前の事はすぐ逃がしてやるから……」
軽く怪我をした片腕が痛んだ。それでも無理矢理笑うと、ラピスが俺の擦り傷だらけの手を取る。ラピスは手の傷を見た途端、その青い瞳からぽろぽろと涙を零し始めた。
「な、泣くなよラピス! 俺がこんな傷でへこたれる奴じゃないって……知ってる、だろ……」
そこまで言って、俺は目を見開く。あの、脳裏に途中まで再生されかかった映像の続きが見えそうだ。俺が動けずに何とか記憶の扉を開こうとしているうちに、傷口にラピスの涙が落ちて……一気に頭の中でフラッシュバックが起きた。
「そ、そうだ……俺、あの時もラピスの事を……助けたんだ……!」
俺の中に蘇った幼少期の記憶。それはとある夏の日、この公園でいじめられている小さな少年がいた思い出である。俺は、その少年がいじめられている時にたまたま公園を通りかかった。カッとなって、すぐにいじめっ子達から彼を庇いボコボコにされたけど、俺はへこたれずに体を張って彼を守りきったのだ。
少年は青い瞳をした綺麗な子だった。彼は俺の傷を見るとワッと泣き出して、その時も「こんな事でへこたれないから大丈夫だ!」と俺は見栄を張って笑ったんだよな。
それから傷が痛いまま無理して少年と沢山遊んだ。そして……俺は彼が泣き止んで笑顔になるのを見届けてから、帰り際に約束した。
「……俺は、君が助けて欲しい時に……必ずもっと強くなってまた助けに来る……」
気づけば、あの日交わした約束の内容を口にしていた。ラピスは泣いているばかりで何も言わないが、俺はすっかり記憶を取り戻して……何故自分が使者に選ばれたのか腑に落ちる。
「そっか……俺が約束したんだよな。君をまた、必ず助けるって」
俺はラピスの額に自分の額をくっつける。すると、身体に不思議な温かい力が流れ込んでくる感覚がした。同時に、青く淡い光が周囲に溢れていく。
「……おう、分かったぜラピス。なら、いっちょ暴れてやろうか」
俺は遊具の影からゆらりと抜け出した。ギオンは俺達の方に向かってきている最中。どうやら身体がかなり重いらしく、その挙動は鈍い。油の切れたロボットのようなぎこちない動きをするギオンを指差し俺は言った。
「よくも田中の自転車盗みやがったなテメー! 田中も田中の母ちゃんも悔しがってたんだ! 絶対仇は取ってやるぞ!」
指の先端から、俺の身体が変化する。真っ白な肉体に青い血管の走る……不思議な異形の者へ成り変わる。
「テメーには、裁きを受けてもらうぜ」
俺の言葉と共に、ギオンが腕を振るった。既に動きと弱点は読めている。すぐに回避して、俺は青い胸の部分から二本の刃を発現させた。双剣を手にし、ギオンが次の行動に出る前に素早く走り寄って飛び上がる。脚力はバスケットで鍛え済み。スポーツマンを舐めんなよと高く舞い上がり……ダンクシュートを決めるみたいに、ギオンの胸の部分にあると予知された弱点に剣を突き刺した。
金属が擦れるような悲鳴を上げると、ギオンが動きを停止する。俺が着地するのと同時にガラガラと音を立ててギオンの肉体が崩れ、瞬く間に廃材の山が一つ出来上がった。一件落着。俺は剣を胸元にしまうと、深呼吸した。身体が元に戻っていくのを感じる。
「ラピス……」
俺はラピスがまた俺の傍に現れると思って辺りを見回した。だが、ラピスの姿は何処にもない。公園を探し回り、どうしてラピスが現れないのかとやや焦っていると、公園の入り口の方から足音がする。
「ラピスは貴方の光となり、影となったわ」
声の方を向く。現れたのは藍ちゃんだ。もしかしてまた歩いて来たのかよ。俺とラピスは死にかけてたのに悠長過ぎるだろ……とは思いながらも、俺は「どういう事だ?」と尋ねる。
「自分の目で見れば分かるわ」
そう言って、藍ちゃんはスカートのポケットに入れていた可愛らしいコンパクトミラーを俺に差し出してくる。訳も分からずそれを受け取り、俺は鏡を見て……叫んだ。
「な、何じゃこりゃあーッ!」
俺の髪に、お洒落な青色のメッシュが入っている! しかも、瞳はラピスと同じ綺麗な青色になっている! 何で! どうして!
「ラピスと融合している影響で、髪や瞳が変化しているのよ。……当分ラピスは蒼空君の身体から出て行かないつもりみたいだから、しばらくはそのままね」
「そ、そんなあ! 俺、このままじゃ学校行けねーよ! 不良生徒だと思われるーッ!」
「平気よ。貴方の変化は普通の人間には感知できない。だから学校にはそのまま行けるわ」
「な、な~んだ! じゃあ大丈夫……じゃないッ!」
俺はコンパクトミラーを押し返す。藍ちゃんが不思議そうな顔をして俺を見た。まるで何が問題か分からないと言いたげな彼女に、俺は言う。
「俺……確かにラピスを助けるって約束もしたけど……また遊ぼうって約束もしたんだ! だから……」
「……馬鹿ね、蒼空君。もうとっくに、どっちの約束も果たされてるじゃない」
藍ちゃんの言葉に、俺は顔を上げる。そういえば、俺はラピスの事をハッキリ思い出す前に彼と遊んでいた。でも……本当にそれで満足してくれたのかな。少し不安な気持ちでいると、ふいに耳元に温もりを感じる。
「ありがとう、そら」
俺はすぐに振り返る。だが、誰もいない公園が広がっていた。さっきの言葉を聞くと、もう満足してくれた……って事でいいのか。でも俺はやっぱりもう少しラピスと遊びたかった。
妙に切ない気持ちになって拳を握り締めている俺に、藍ちゃんが「蒼空君」と声を掛けてくる。でも彼女が何かを言う前に、俺は静かな紺色の瞳に決意の笑顔を向けた。
「よっし、決めた! 俺、町が平和になったら……ここでもう一度ラピスと目一杯遊ぶ! それまでは、ラピスの力を借りて戦うよ。選ばれた使者としてな!」
「……そう」
俺の決意に、藍ちゃんはそれ以上何も言わずに背を向けた。落ち着いた足取りで公園の入り口へと歩き出した藍ちゃんに、俺は「あ! 藍ちゃん!」と声を掛ける。藍ちゃんは「何かしら」と顔色を変えずに振り返った。
「送ってくよ。またギオンが出てくるかもしれねーしさ」
「あら、気が利くのね。じゃあついでに、家に戻ったら歴史の授業を再開しましょうか」
「ええ⁉ 俺、明日も補習なんだけど……」
トホホ。俺が肩を落としている間に、藍ちゃんが俺の鼻を摘む。何するんだと抗議する前に、彼女は言った。
「精々頑張ってね。実力次第でフィアンセ候補くらいにはしてあげるから」
不敵な彼女の笑みは、真珠みたいに輝いていた。俺は初めて見る彼女の笑顔に息を呑みつつ「精進します……」とだけ返す。
さて、一体これから、俺の夏休みはどうなるのか。きっと、補習もマトモに受けられない俺には全く想像もつかない出来事が待っているのだろう。期待と不安、勇気と恐怖が入り交じる。でも、大事な友達を守る為に俺は戦う。
こうして俺は高校二年の夏にして、町を巻き込む変事に……今、足を踏み入れたのだった。
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