第9話:解読される暗号と、再会の予感



第九話:解読される暗号と、再会の予感


喫茶店での一件から、二人はさらに深い闇の中へ逃げ込んだ。木村大輔の手配で、郊外にある廃倉庫に身を隠す。人目を避けるには最適だが、静まり返った空間は、追われているという現実を否応なく意識させた。

「大丈夫か?」

孝之は震える菜々美の肩を抱き寄せた。

「ええ…ごめんなさい…私のせいで、こんなことに…」

「君のせいじゃない。君が一人で抱え込んでいた秘密に、僕が踏み込んだんだ」

孝之は、もはや菜々美の過去や「もう一つの顔」を恐れてはいなかった。ただ、彼女を守りたい。その一心だけだった。


手元には、菜々美のノートと、喫茶店のテーブルの傷を撮影した写真がある。希望は、この二つに隠された情報だけだ。

菜々美は、喫茶店のテーブルの傷とノートの暗号を照らし合わせながら、必死に解読を試みる。

「この傷…やっぱり、合図だったんだ。そして、ノートの『FO』の項目にある、この記号…」

菜々美はノートのあるページを指差した。

「これは、貸金庫のロックシステムの解除コードの一部を示してる。あの傷と組み合わせると…」

菜菜美の目が輝いた。

「分かった…! この傷は、貸金庫の場所と、ロックを解除するためのキーコードの一部を示してるんだ!」

テーブルの傷は、単なる傷ではなく、特定の場所と、ロック解除のためのパスワードのヒントを組み合わせた暗号だったのだ。藤堂は、自分が危険になった時のために、この喫茶店で、誰かに情報を伝えるつもりだったのだろうか。あるいは、自分自身のための備忘録として。

菜々美は、ノートの他のページとも照合し、暗号を解読していく。その集中力は凄まじかった。

「貸金庫は…やっぱりあの銀行で間違いない。そして、解除コードは…『〇〇〇〇』…!」

数字とアルファベットの組み合わせ。それが、藤堂義一の貸金庫を開けるためのキーコードだった。警察が持っている鍵だけでは開かない特殊なロックシステムだったのだ。


しかし、貸金庫を開ける方法が分かったところで、問題は山積みだ。銀行に行けば、また森川や組織の人間と遭遇する可能性が高い。そして、警察も菜々美を追っている。

その時、木村大輔から連絡が入った。

『孝之、大変だ。警察が奥さんの行方を公開手配する準備をしてる。時間の問題だ。』

「公開手配…!?」

『ああ。藤堂殺害事件の重要参考人として。現場の女性のDNAと、奥さんの過去の経歴…警察も、奥さんの過去について、ある程度掴み始めている。』

警察の包囲網は、確実に狭まっていた。逃げているだけでは、いずれ捕まるか、組織に始末されるかだ。


「貸金庫に行くしかない…! 警察に捕まる前に、中の情報が必要だ」

菜々美は決意した顔で言った。

「でも、森川がいるかもしれない…」

「組織は、私たちが解除コードを知ったことまでは知らないはずよ。情報ブローカーが裏切ったとしても、暗号の内容までは知らなかった」

つまり、組織は貸金庫に何かがあることは察知したが、それをどうやって開けるかは分かっていない。それが、二人の唯一のアドバンテージだ。


「木村、頼みがあるんだ」

孝之は木村に連絡した。

『何でも言えよ』

「貸金庫のある銀行で、陽動をしてほしい。できるだけ多くの注意を引いてくれ」

『陽動? お前たち、銀行に行くのか? 危険すぎる!』

「分かってる。でも、他に方法がないんだ。警察と組織の注意を逸らしたい」

木村は少し考え込んだ後、ため息をついた。

『…分かった。ジャーナリストの腕の見せ所だな。ただし、無茶はするなよ。』

木村は、自身の情報網と、メディアへのコネクションを使って、銀行周辺に騒ぎを起こす手筈を整えてくれた。匿名の情報提供、怪しい人物の目撃情報、誤報…何でもいい。とにかく、組織と警察の目を逸らすことが目的だ。


翌日未明。二人は廃倉庫を出た。都心の銀行へ向かう。移動中も、菜々美は周囲を警戒し、危険を察知しようとする。彼女の研ぎ澄まされた感覚が、二人を窮地から救うかもしれない。

銀行の近くに到着すると、すでにざわつき始めていた。木村が仕掛けた陽動が効いているのだ。野次馬や警察官、私服の捜査員らしき人物が、銀行周辺に集まっている。

「今だ!」

人混みに紛れて、二人は銀行の裏口に近づいた。菜々美のノートには、銀行の裏口や通用口に関する情報も記されていた。これも、藤堂の裏の連絡ルートの一つだったのだろう。

菜々美は慣れた手つきで裏口のドアを解除し、中に忍び込んだ。

銀行内は、正面玄関の騒ぎとは対照的に、静まり返っていた。警備員も、騒ぎに気を取られているのか、正面玄関に集まっているようだ。

貸金庫室へ向かう。通路を進む間も、菜々美は周囲の音に神経を尖らせている。

そして、貸金庫室のドアの前に立った。厳重なロックがかかっている。

菜々美は、ノートに記された解除コードを、緊張した面持ちで入力した。

暗証番号、生体認証、そして…

最後の認証を終えると、重いドアがゆっくりと開いた。

貸金庫室の中は、ひっそりとしていた。無数の貸金庫が壁一面に並んでいる。

菜々美は、ノートに書かれた貸金庫の番号を確認し、目的の場所へ向かった。

「これだ…」

貸金庫の前に立つ。鍵穴と、解除コードの入力パネルが付いている。

菜々美は木村から受け取った、藤堂の遺留品にはなかった、もう一つの鍵を取り出した。それは、ごく普通の鍵に見えたが、実は特殊な加工が施されたものだった。菜々美の情報ブローカー…裏切られたと思っていた彼が、最後に菜々美に送った情報の中に、この鍵の存在と、それを入手できる場所が記されていたのだ。

菜々美は鍵を差し込み、回す。そして、テーブルの傷から解読した解除コードを入力した。

カチャン…と、小さな音がして、貸金庫の扉が開いた。


中に収められていたのは、一つの書類ケースだった。古びた革製で、ずっしりと重い。

「これだ…!」

菜々美は書類ケースを抱き上げた。

その時、貸金庫室の入り口から、足音が聞こえた。

「見つけたぞ、菜々美」

冷たい声が響く。森川慎二だ。

組織の人間が、陽動にかからずに、裏から回ってきたのだ。

森川の背後には、数名の屈強な男たちが立っていた。

「無駄だ。その書類ケースは、組織のものだ」

森川はゆっくりと近づいてくる。

菜々美は書類ケースを抱きしめ、後ずさりした。

「渡さない! これは…これは、涼子の…!」

「佐々木涼子か。奴はもう関係ない。奴が隠した証拠は、ここで回収させてもらう」

森川の言葉に、孝之は愕然とした。やはり、書類ケースの中には、佐々木涼子が隠した組織の不正の証拠が入っているのだ。

そして、森川は言った。

「佐々木涼子は、もう長くはない。病に伏せっている。証拠は、お前のような人間に渡す価値はない」

涼子が…病気に? そして、もう長くはない…?

菜々美の顔から、血の気が引いた。親友が、そんな状態になっているなんて知らなかった。


「大人しく渡せば、命だけは助けてやろう」

森川が銃を構えた。

絶体絶命。書類ケースを奪われれば、涼子が命を懸けて隠した証拠が、組織の手に渡ってしまう。そして、自分たちの命も保証はない。

菜々美は書類ケースを強く抱きしめた。

「…逃げて、孝之さん! 私が時間を稼ぐ!」

「何を言ってるんだ! 一緒に逃げるんだ!」

孝之は叫んだ。しかし、菜々美は動かない。

「これは…私の問題なの。私が、終わらせなくちゃ…!」

菜々美の目に、悲壮な覚悟の色が宿っていた。


その時、書類ケースの中で、何かが小さく鳴っていることに気づいた。振動のような、微かな電子音。

菜々美は慌てて書類ケースを開け、中を見た。

書類の下に、小さな古いデジタルデバイスが隠されていた。そのデバイスから、微かな音が鳴り、画面に光が灯っている。

そして、その画面に映し出されたものを見て、菜々美は息を呑んだ。

それは、写真だった。痩せ細ってはいるが、紛れもない、佐々木涼子の顔写真。そして、その写真の下に、短いメッセージが表示されていた。


『ななみへ。もし、このメッセージを見ているなら、まだ生きていて、探してくれていたんだね。証拠はここに。そして、私は…』


メッセージはそこで途切れていた。しかし、画面には、ある場所を示す地図のようなものが表示されている。それは、遠い場所ではない。比較的近くの…

「涼子だ…涼子が生きてる…!」

菜々美の目から、安堵と希望の涙が溢れた。

そして、その地図を見て、孝之も気づいた。それは、数日前に菜々美が、買い物に行くと言って一人で出かけた街の、さらに奥にある場所を示していた。

菜々美は、涼子を探しに、あの街へ行こうとしていたのだ。そして、涼子は、組織の目を欺き、この場所に隠れている。

貸金庫の情報は、佐々木涼子の最後のメッセージと、居場所を示す地図だったのだ。


森川は、二人の様子を見て、焦り始めた。

「何を見ている!? さっさと渡せ!」

男たちが、二人に迫ってくる。

菜々美は、デバイスを抱きしめ、孝之を見た。

「涼子に…涼子に会えるかもしれない…!」

希望の光。しかし、その光は、彼らをさらに危険な場所へと導くかもしれない。

「行くぞ、菜々美! 涼子さんのところに!」

孝之は叫び、菜々美の手を引いた。

「逃がすか!」

森川が発砲した。銃声が、貸金庫室に響き渡る。

紙のように崩れ落ちる孝之と菜々美の体…


ではない。


菜々美は、間一髪で孝之を庇い、床に伏せていた。訓練された彼女の反射神経だ。銃弾は、彼らの頭上を掠めていった。

その隙に、二人は立ち上がり、再び裏口に向かって走り出した。

森川と男たちが追いかけてくる。銃声が響き渡り、緊迫感が増す。

逃げろ。涼子の元へ。

真実への最後のピース、そして親友との再会が、すぐそこにある。

しかし、その道は、組織の追っ手によって閉ざされようとしていた。

果たして、二人は涼子の元へ辿り着けるのか? そして、書類ケースに隠された証拠とは?


(第九話 了)


今後の考察要素(読者向け):


貸金庫の解除コードはどのように導き出されたのか? テーブルの傷とノートのどの暗号が結びついたのか?


情報ブローカーはなぜ菜々美を裏切ったのか? 組織との関係性は?


貸金庫にあった書類ケースの中身は、佐々木涼子が隠した組織の不正の「証拠」である可能性が高いが、それは具体的にどのようなものなのか?


デジタルデバイスに残された佐々木涼子のメッセージと地図は、彼女の現在の居場所を示す決定的な手がかりとなるのか?


佐々木涼子はなぜ病に伏せっているのか? 組織によるものか、それとも別の理由か?


森川慎二の執着の理由は? 組織の命令か、それとも個人的な因縁か?


菜々美の訓練されたスキルは、最後の危機をどう乗り越えるための鍵となるのか?


孝之は、この極限状況で、どのような役割を果たすのか?


最終話で、佐々木涼子との再会、そして組織との最終対決が描かれるのか?


第十話(最終話)では、佐々木涼子の居場所への到達、書類ケースの証拠の真実、そして組織との最終対決を描き、物語を収束させます。夫婦の関係性の行方、そして「白い嘘」の本当の意味が明らかになるでしょう。

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