第34話 彼氏の左頬のたたき《ビンタ》と左脛いため《痛め》④

 長い長い目の前の階段を降って行った先に、その男は居た。


 かつて光を弾き輝いていただろう金の髪は薄汚れ茶色かと見紛うほどの、状況から眠りが浅いのか目の下には濃い隈があり、目線はキョロキョロと落ち着かず彷徨っている。

 小さな音にも反応してビクビクするあたり、鉄格子で区切られた小部屋の中で、度々脅されていたのだろうと窺い知れた。


 長らく風呂に入れていないせいなのか、汚れが酷く据えた臭いが充満しており、アリアは微かに眉を顰めた。



「ブレイン…!よく無事で…っ!」


 アリアの後ろから小部屋の中を覗き込んだヴェロニカが男を見つけて駆け寄った。

 ヴェロニカの反応を見れば、やはりこの薄汚れた男がブレイン・クラークであるらしい。

 地下牢の鉄格子に阻まれて、近寄ろうとしたヴェロニカの足が止まった。

 柵の間から手を伸ばすが、あちらは中で手枷によって拘束されており、こちらに寄っては来れないようだった。


「ブレイン…!」


 ヴェロニカの悲痛な叫びに、小部屋の中でじっと座り込んでいた男が目を見開く。


「ヴェロニカ…?

 ヴェロニカかい?! 来てくれたんだね!

 ああ…、会いたかったよ…。このままもう会えなくなったらどうしようかと思っていたんだ!

 私を捉えた男が、私をいずれ始末せねばと言っているのを聞いてしまって…もう終わりなのかと…。

 私を出してくれるんだろう? 早く逃げないと、男達が戻ってきてしまう。

 さあ、ここを開けて手枷を外してくれ。

 早く君を抱きしめたいよ、ヴェロニカ。」


 口早に語りかけてくる男の様子を見るに、どうやら余り余裕は残っていないらしかった。

 一刻も早くと急かしてくるところを見ると、賊の男が来る時間は、ある程度分かっているのかも知れない。


「…ねえ、ブレイン。

 あなた、どうしてこんな事になったと言うの?

 あなたが隠した書類を盾に、お父様のところにお金の無心に行ったと言うのは?

 …あなたのしてきた事、ここに来ている賊の男達が話しているのを聞いたのです。

 賭博、借金、詐欺行為。…果ては横領までだなんて。

 あなた、自分が何をしているのか分かっているの?

 ブレイン、あなたは厳正なる処罰を受けなければならないわ。」


 ヴェロニカは今にも泣きそうに唇を噛み締めた。

 賊の会話から男の所業を聞かされたとき、どれほど辛い思いをしたのだろうか。

 彼のために見合いを避けたヴェロニカだ。

 想っていた恋人が犯した罪を、こうして口に出すのも相当勇気が要るはずだ。


 しかし男は、ブレインはヴェロニカの気持ちなどお構い無しといった形相で怒鳴り散らした。


「君の父親も関わっているんだぞ!

 私は君の父親が何をしているのか知っているんだ!

 証拠だってある、今は私にしか分からない場所に隠してあるからな…!

 それに、私が死ねば然るべき場所に届くようになっている。

 分かるか、ヴェロニカ?

 私が死ねば、君の父親も君の家も破滅を迎える。

 私を突き出せば、君の父親も自ずと裁かれる事になる。

 それでも君は、私を捕らえさせるというのか…っ!」


 その言い様に、ヴェロニカの瞳から涙が一粒こぼれ落ちた。

 心配の余り休憩も最低限に、無理を押して駆けつけたヴェロニカに対してのこの仕打ちは、アリアには到底許せることではなかったが、今はまだ、部外者であるアリアが口を挟める時ではないとグッと堪えた。


「—…なぜ、そんなことをしたの。」


 ヴェロニカがポツリと呟く。

 ヴェロニカの表情を見て、熱が冷めたのだろう。

 ブレインは少しバツの悪そうな顔をして、話を続けた。


「…済まなかった、ヴェロニカ。

 金で自分の爵位を買うためには、そうするのが一番だと思ったんだ。

 私はただの男爵家出身、それも庶子だ。

 焦っていた。あのままだと私達の結婚は認められず、君が他の男と結婚してしまうのだと思ったんだ。

 せめて私自身に爵位があれば、認めて貰えるかも知れない。

 愛する君と一緒になるには、これしかないと思ったから…。」


「…だとしても。

 犯罪なのよ、ブレイン。

 罪は罪、償わなければならないわ。」


 ついにヴェロニカが両手で顔を覆ってしまう。

 堪えきれなくなったのだろう。

 乱れた感情を見せたくないとする行動は、流石長年淑女教育された令嬢だなといったところだが。


 アリアは思った。

 ヴェロニカは本当にブレインを想っていたのだな、と。

 その性格上、罪を赦せず償うようにと言ってはいるものの、相手の発言を疑ってはいないようで、素直にまっすぐ受け止めている。

 しかしそれは少々盲目的と言わざるを得ず、しっかりとしたヴェロニカにしてはある種の甘さを含むものだ。


 アリアはブレイン・クラークとの対面はこれが初めてとなる。

 故に、完全なる第三者として、今この現状を見つめているアリアは、先ほどのブレインの言葉をこれっぽっちも信じてはいなかった。


 ヴェロニカの心にこれ以上負荷をかけたく無いため口にこそ出さないが、この男は借金の理由を堂々とすり替えた。

 ヴェロニカの口からも賭博という言葉が出ていたのだから、素直に認めればいいものを。

 よりにも寄ってヴェロニカとの結婚のため、などと。


(こんな男にヴェロニカ様を任せられないな。)


 これが何目線での感情かは知らないが、アリアとしては不可の評価を出していた。

 その時である。



「オイオイ、どっから入り込んだんだぁ?このお嬢ちゃんたちぁ…」


 ブレインが大声で叫んでいたからだろう。(アリアの中では全てブレインが悪いという事になった)気付かぬ間に賊に見つかっており、賊達は気配を殺して近寄ってきていたらしい。

 決して無警戒でぼーっとしていた訳ではないが、ブレインが叫んだせいでアリアの気が逸れてしまったのだろう、その隙を突かれたのだ。

 ブレインが叫んだせいで!


 アリアがすっとヴェロニカを背に庇う。

 その動きで、賊の目線がヴェロニカに移る。

 庇われるだけの身分の者だと判断したらしい。


 身分差を即時判断しようなど、この賊が日頃商売相手としている人間の種類が知れるというものだ。

 その辺のただの賊は、身分など考慮しない。


「おい、銀髪のお嬢ちゃん、見覚えがあるぞ。

 玄関先の絵に描かれてる嬢ちゃんだろう。

 …チッ、面倒な事になったな。彼氏を迎えにきちまったってか?」


 男がガリガリと頭を掻く。

 アリアは勝手口から入ったため見ていないのだが、どうやら娘の絵姿を玄関に飾っていたらしかった。

 そのせいで即座に正体がバレてしまった事に頭が痛い。

 親バカも程々にして欲しかった。


「あの、かしら、ちっと良いですか?」


 その時、階段上から呼び掛けてくる声が響く。

 少し焦ったような声だ。

 何か緊急性の高い事情だろうか。


「ああ、直ぐに行く!少し待て!」


 頭と呼ばれた男が返す。


「おい!テメェら、この二人、今は牢にぶち込んどけ!

 侯爵さんに対処を聞かんとどうも出来んからな。」


 頭という呼び方に、指示出しの様子を見るに、ここの責任者はこの男で間違いないようだ。


 階段を上がっていった男を見送り、他の男達がアリアとヴェロニカの腕を掴んだ。

 ヴェロニカはなんとかして引き剥がそうと試みているようだが、アリアは大人しく従った。

 狭い場所だしヴェロニカも居るのだ、魔術で吹き飛ばす訳にはいかなかった。

 今は様子を見て、機会を伺う方が安全だと判断した。


「ヴェロニカ様。」


 アリアがじっとヴェロニカを見る。

 目を合わせたヴェロニカが、何やら言いたそうに口を開けたが、結局何も言わずにそのまま閉じた。


(そう、暴れないで。今は、このまま。)


 アリアの心の声が聞こえた訳はないのだろうが、ヴェロニカは大人しく従ってくれるようで安心した。

 ここの娘と知られた事で一度引いたのだから、今すぐ手荒い真似はしないと思うが、相手は賊だ。

 余り暴れるようなら多少痛めつけておくかと言い出しかねないと思い、心配だったのだ。


 頭とやらはこの牢に入れとけと言っていた。

 この地下牢は鉄格子部屋が一つだけ。

 どの道この後脱出するとして、一箇所に集められるのは都合が良かった。


「大人しくしていろよ!!」


 二人を牢に閉じ込めると、鉄格子がガシャリと無情に閉じる。

 二人を閉じ込めた賊達は、我もと皆階段を目指した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る