彼我輪転
天瑶
第1話 死相(前編)
友人に、霊感があるっていう人がいるんです。
生きている人間とそうでないものと、区別がつきかねるくらい、はっきりくっきり見えると。それ以外は、いたって普通の人間なのですよ、彼女。
僕が知っている怖い話──というか、奇妙で不可思議な話は、ほとんど彼女から聞いたものです。
彼女、不自然にならない程度にさっと目をそらしたり、本を読むふりをして顔を俯かせたなりしばらく動かなかったり、そういったことがままあるんですよ。あまりに自然で、僕ぁ最初、まったく気づいていなかったわけですが……。
その友人によりますと、歩いている人を見るともなく見ていたりなんかするとね、実にいろいろな人がいるんですって。あー、明らかにありゃア、トンでもなく悪どいことやらかしたな……ってのとか、血やら因果やらで呪われてるな……ってのとか、たまァにいるらしいんですよねえ。僕にゃ、全然分かりませんでしたけれども。
数年前になりますけれど、知人を招いた食事会があったらしいです。そうしたら、そいつの知り合いの、そのまた知り合いの──ってなると、ほぼ他人ですがね、ははは。
ええ、その知人が連れてきた人がですね、一目見て分かるくらい明らかに異様だったってんで。どう異様だったのかって尋ねると、全身汚れていたって。赤茶の液体で、頭から服から濡れそぼち、珈琲の雨にでも降られたような有様だった。でも他の知人らは、何も見えていないように──実際何も見えていないのでしょうね、特に言及するこたァなかった。
その人、何事もなく帰って行ったそうですけれど、その数か月後に逮捕されたんです。殺人罪で。痴情のもつれで殺めちまった恋人を、バラして山中に埋めたんだって……いやいや、本当ですって! 僕もその新聞見ましたから。
友人はその記事を見て、気がついたそうです。今にして思いや、ありゃ返り血だったんじゃないか、ってね。あっはっは。……
あとは、首がやたら細長い子どもが、若い男性の周りを、衛星みたいにぐるぐる回っていたり。蝋でできたようにも見える真っ白い指が二本だけ、ハンガーのように肩口にかかっていたりするそうで。
……ううん、そうですね。彼女が言うには、子どもは水子だって。だからその男性が、お相手の身ごもった子を、おろさせたんじゃないかって。お相手が妊娠すると、都合が悪かったのじゃないですかねえ……ただの推測ですが。「おとう、おとう」と呼んでいたらしいですし。母親でなく、父親に原因があったのでしょうよ。
指の方は……よく分からんが、溺死体らしいです。今もまだ溺れているのを、助けてほしいとすがっているとか。
まあ、そういった理外の存在を、友人はいつも見ないふりをして生活しています。でも、生きている人間と区別できないくらい鮮明に見てしまう人ですから、危険な目にあったこともあるらしいです。
あとはそうだな……死神を背負った人を見たことがあるってのも、言っていましたね。死神って、骸骨の印象がありますよね。でも実際には老婆の姿をしているらしいですよ。知ってました?
友人は、街中で死神を見たそうです。すれ違った人が、
そこまでいくと、もう長くないらしいです。もって数日だとか。怖いですねえ、死神がずっと恋人みたいにべったりですよ。
そういった存在を作り出している大本って、人間ですからね。作り出しているというか、原材料というか。結局のところ、人間が一番怖いってことなんですかねえ。
……あいや、失敬。今のは聞かなかったことに。一番っていうのは語弊があるかもしれない。憑りつかれた人とか呪われた人も危ないけれど、一番厄介なのが、神に愛された人間だって、彼女は教えてくれましたから。
僕はぴんとこないですけれど、ごくたまにいるんですって、神の寵愛を受けた人が。その多くが、まだ物心つく前の子どもで……ほら、七つ前は神のうちって言いますでしょ。そういう子はすぐに儚くなってしまう。
しかし、「いとし子」は子どもに限らないんですよ。どうにかこうにか七つまで生き抜いて成長した「いとし子」も、稀にいるようではあります。稀ですけど。
この人たちの何が怖いって、ちょっとしたことが神の怒りに触れる可能性があるってことです。加護を受けた存在は、決して手を出してはいけない。誤って干渉したりすると、こちらも大変な不幸をこうむったり、下手をすると死んでしまったりするらしいんです。怖いですよねえ。人間の尺度でははかれない、神様の愛ってやつでしょうか。
友人は一度、その「いとし子」を街中で見かけたことがあるとか……。はい、僕は半信半疑でしたが。生きているように見えて、死んでいる子だったそうです。おそらく、幼いころに一度向こうへ行ってしまって、なんの偶然か戻って来たんだろうと。
その子にべったりだったんだそうです、どす黒い影が。底知れない、光を吸い込む地獄の入り口のような、深い影が。しかもその子、ごく普通に何気なく、家族みたいに話しかけていたというから……ええ、驚きですよね。それって「いとし子」によくあることなのかなと思ったら違うらしくて、友人にとっても初めてのことだったらしいです。
日頃から友人は、彼らを視界にも入れないように、よくよく注意しているのですがね。あまりに衝撃的で、思わずまじまじと見ちゃったんです、それを。
影と目が合ったと悟ったその時ばかりは、いくら豪胆な友人といえども、死を覚悟したそうです。あれは本物だったって彼女は言っていました。人間などでは到底及ばぬ、
そんな存在が、街中ですれ違ったり、洋食屋で隣のテーブルに座っていたり、あるいはカフェの女給さんなんかに、盲導犬みたいにぴったり寄り添っているかもしれないってんだから、いくつ命があっても足りねえや。魚雷が隣を歩いているようなものでしょ。
いやだって、考えてもみてください。たとえばですけど、満員電車で人ごみに揉まれながら、僕の隣でじっと耐え忍んでいる女性が、いとし子だったとしましょう。……ん、いや、たとえばの話ですよ。たとえば。
彼女が神に寵愛されていたとして、僕らはそんなこと、普通に生きていりゃ知る
話がそれました。あれっ、何を話していたのだっけ……そうそう。彼女にぶつかった時、それが罰するに値する行為か否か、全ては神様の裁量次第ではないですか。
「これは……セーフ!」ってなるなら良いですけど、「うん、アウトだな!」ってなった時に、ちょっとした不運な出来事が重なるくらいならまだしも、命に関わるような重大な事件が起きた日には、たまったものじゃないですよ。
その日のうちに脳卒中で死んじゃったりして、電車の中で女性にぶつかったのが直接の原因だなんて、誰が思い至りましょうか。なぜ殺されたのか、誰が殺したのか、そもそも殺されたっていう事実自体、一切つかめないんです、誰にも。
こりゃもう、完全犯罪ですよ。まったく恐ろしいことです。かの高名なホームズにも、ポアロにも、金田一にも見抜けません。現代の警察の高度な技術──指紋などから犯人を割り出すらしいですけれど──あれらの素晴らしい技術をもってしても、真相は暴けないでしょう。まさか神様が指紋を残していったり、なさらないでしょ。
そんなわけで、僕は理由もわからず、檻の中のネズミみたいに死んでいくと。それでいて、命を散らした真の理由は、まさに神のみぞ知るってね。友人曰く、大人の「いとし子」はめったにいないということなのですが……可能性がなくはないということでありますから、安心なんかできませんし。
こういう話を聞くと、見える人って大変だなあって、他人事みたいに思いますけれど、一概に、あなたも無関係とは言い切れないんですよ。──特にあなたみたいな、怪談を好き好んで集めているお人じゃアね。
と言いますのは、僕もね、友人の話を聞くうち、何か理の外のものたちが、薄ぼんやりと見えるようになってきたように思うのですよ──なアんてね。へへ、へへへ。……いやいや、脅かすつもりはなかったんですよ。そんなビビらんでも。
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