第2話 赤毛の母娘

日は西へ傾き、空が茜に染まりはじめていた。

隼人は、額に汗を浮かべながらナヤナを背負い、くねくねと続く街道を歩いていた。

カレンはロバのモスロを引きながらその隣を歩く。


『……ごめんなさい……隼人……』


「いいから喋るな。 もうすぐ、何か見えてくるさ」


ナヤナの体は、火が通ったように熱かった。

杖を持つ手も力が入らず、時折、意識が遠のいている様子だった。



「くそっ……街はまだか……!」



 歯噛みしたそのとき、丘の向こうに──

 畑のような開けた土地と、木造の柵、小屋や納屋らしき建物が並んでいるのが見えた。  夕暮れの空に細く煙が立ちのぼっている。


「農場だ……!」


 隼人の声に、カレンも頷いた。


「生活の匂いがする……行ってみよう!」


 二人と一頭は、農場の木柵を越え、敷地内に入った──その瞬間。


「止まりなさい!」


鋭い女の声が、警告のように飛んできた。

納屋の影から姿を現したのは、魔力を帯びた杖を構えた女。

赤毛を後ろで束ね、灰色の瞳が鋭く光っている。

整った顔立ちは端正で、年齢は二十代後半ほどか。


旅の疲れも吹き飛ぶほどの美貌だが、ただ美しいというよりも、毅然とした強さを感じさせる。

胸元から腰のラインにかけて、農場の粗末な作業服でも隠しきれない豊満な体躯をしている。


「また来たの? 今度は三人? しつこいわね……農場は明け渡さないって言ってるでしょ! これ以上近づくなら、丸焼きにしてあげるわよ!」


彼女の叫びと同時に、農場の使用人たちが慌てて出てくる。

鍬や斧、古い槍を手に、一行を取り囲んだ。


隼人は咄嗟に声を上げる。


「待ってくれ! 俺たちは──!」


しかし、杖の先にはすでに魔力が集中している。

このままでは、まずい。

隼人はゆっくりと剣のベルトを外し、地面に落とした。

カレンも鞭と短剣を腰から外し、隣に置く。


「戦う気なんて、毛頭ない……!」


そして隼人は、両膝をつき──そのまま、地に額をつけた。


──土下座。


農場の一同がざわつく。

女主人の目も、訝しげに細められる。

そのとき。


『……この農場の人たちは、悪くありません……訳があるみたい』


ナヤナが、うわごとのように、念話でつぶやいた。

直後、背後の家屋から、ちいさな足音が駆けてくる。


「ママ……この人たち、悪い人じゃないと思う……」


十歳ほどの少女が、女主人の袖をつかみ、そう囁いた。

彼女も母親と同じ赤毛で、鮮やかな緑の瞳が印象的だった。

あどけない顔立ちには、既に母の美貌の片鱗が見えており、愛らしさと聡明さを兼ね備えている。


女主人──シャーリーは、少女の手にそっと触れ、視線を一行に戻す。

剣も持たず、額を泥に汚して頭を下げる隼人。

消耗しきって気を失いかけた少女、そして敵意もなさそうな黒髪の女。


──みすぼらしい。


とても脅威には思えなかった。

シャーリーは長い息を吐いた。


「……一晩だけよ。 泊めてあげる。 でも、怪しい真似はしないで」


その言葉に、隼人たちは顔を上げ、深く頭を下げた。


「感謝します。 ……俺たち、旅の冒険者です。 名前は──」


隼人は一瞬、言葉を探すようにして口を開いた。


「カイト。 彼女はラーナ、そしてこちらがレベッカです」


偽名だった。

だが、それは三人の中で事前に決めていたものだった。


「わたくし……ラーナと申します。 ご恩、忘れません……」


ナヤナも、消え入りそうな声で、はっきりとそう告げた。

胸の奥に、ようやく灯った安心がじんわりと広がっていく。


もう追われずに済む、もう戦わずに済む──

ほんのひとときでもそう思えただけで、心がほぐれていく気がした。

だが同時に、隼人に背負われたままの自分が、たまらなく情けなかった。


(また、迷惑をかけてしまった……)


それでも隼人は何も言わず、ただしっかりと背中を支えてくれている。

その温かさが、今はなによりも痛かった。

だからこそ、ナヤナは名乗る声に決意を込めた。

少しでも、この恩に報いたい。

“ラーナ”としてでも、この場にいられるように──と。


***


ナヤナは母屋の一室に運ばれ、柔らかな毛布の敷かれた寝台に寝かされた。

シャーリーは魔力を込めた両手を額に当て、優しく治療と冷却の魔法を流し込む。


「このくらいなら、大丈夫。 熱も、ちゃんと下がるわ」


隼人は、心底安心したように、深く頭を下げた。


「……本当に、ありがとうございます」


「……ふん、娘が変な顔してたから、仕方なくよ。 ……でも」


シャーリーは、ちらりと視線を向ける。


「あの“土下座”って仕草、なんなの?」


「あれは……俺たちの国で、最大限の誠意を示すときの礼儀なんです」


「……へえ。 おもしろい文化もあるのね」


 ナヤナが目をうっすらと開き、シャーリーに視線を向けた。


「……あなたが、助けてくださったのですね……ありがとう……ございます……」


「……礼を言うには、まだ早いわよ。

  私だって、誰彼かまわず助けるような聖人じゃない」


そう言いながら、シャーリーは立ち上がる。


「……ただね。 ここのところ、農場に無頼の輩が何度も来てるの。

  自称冒険者くずれ、ってとこかしら。 農場の借金がどうとか、

  やたらと騒ぎ立てて……もしかしたら、あんたたちも同じ連中かと思ったわけ」


「そんな……」


「でも──娘が言うのよ。 “この人たち、目が違う”って。

   ……だから、もう少し様子を見てみようと思っただけ」


 カレンが小さく頷いた。


「それなら……事情はわかりました。 

 シャーリーさん、もし何かあったら、私たちも手伝います」


 シャーリーは目を伏せる。


「……余計なことはしないで。 もう、誰かに迷惑かけるのは、十分だから」


 ナヤナが、そっと微笑む。


「迷惑ではありません。 ……恩を返したいだけです」


***


その夜。

隼人とカレンは、納屋の一角に設えられた藁の寝床に腰を下ろしていた。

窓の外には星が浮かび、虫の声が静かに響いている。


「なあ、カレン……」


「ん?」


「この農場……何か、変だと思わないか?」


「うん。 たぶん……何かあるね」


「……助けてやりたい。 きっと、俺たちにしかできないこともある」


隼人は、まっすぐ前を見つめながらそう言った。

カレンは、少しだけ目を細めて、隼人の横顔を見つめる。


「……仕方ないね。 あたしも、シャーリーさんの娘……リラって子、気に入っちゃったし」


静かに風が吹き、ロバのモスロが、小さく鼻を鳴らした。

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