第2話 夢

朱い空。夜なのに、血に染まったような色。風が雲を裂き、遠くで何かが燃えている。


私は、空にいた。おかしなことに、足の裏には何もないのに、落ちる気配はない。風の流れを肌で感じながら、空中に浮かんでいた。なぜ飛べているのかは分からない。でも、それを不思議だとも思わなかった。


私は、真剣を握っていた。竹刀にしか触れたことがないはずなのに、重さも構え方も知っている感覚。体が勝手に動き、空を滑るように敵へと迫っていく。


空気は薄く、風は鋭い。切っ先を向ける度に、全身の筋肉が軋む。この高さから落ちたら、きっと無事では済まない。そんなことを思いながら、それでも私は動きを止めなかった。


目の前に、“それ”がいた。仮面をつけた存在。山伏のような衣をまとい、背にはカラスのような翼が広がり、仮面は鳥類のような意匠。


私は剣を振りかぶる。同時に、自分の背に、風が引っかかるような感覚が走った。何かが揺れた気がした。重さが変わるような、翼のようなものがついているような……でも私はその意味に気づかないまま、目の前の存在に意識を集中していた。


斬るつもりだった。それなのに、刃はわずかに止まった。足が動かない。心臓が強く跳ねる。


視界の端から、何かが飛び込んできた。白く光る槍のようなもの。それが私を狙った瞬間、仮面の存在がすっと動いた。


風が裂ける。羽根が、私の前に広がる。


そして、声がした。


「ひかり、どんなことがあろうと、わっちがぬしを護ってみせんす」


その声を聞いた瞬間、胸の奥が締めつけられる。知らないはずなのに、どこか懐かしい。優しくて、哀しくて、なぜか涙が出そうになった。


風が止み、空が白く塗りつぶされていく。その仮面の奥に、黒い瞳が見えたような気がした。




教室の活気に、意識が戻る。新年度、クラス替え早々、教室でうたた寝をしていたみたいだ。


私は窓際の席に座っていた。隣の席にいたのは、見慣れない子。黒髪のショートカット。白い肌。姿勢がやけに綺麗で、セーラー服の襟もぴしっと整っている。


それだけじゃない。教室の喧騒のなかで、彼女ひとりだけが空気の層を隔てているように感じられた。周囲と混ざらない何か、無意識に目で追ってしまうような静けさがあった。


愛宕あたごおくうさん」


出欠確認をする担任の声。あいうえお順に呼ばれるため、その子の名前は一番最初だった。


おくう。まるで江戸時代の、女の人みたいな名前だなと思った。


彼女は、ほんのわずかに顔を上げて、静かに答えた。


「……はい」


その声を聞いた瞬間、夢の中で響いたあの声と重なった。


たった一言だけなのに、心臓が跳ね、耳の奥がじんと熱くなる。夢の記憶が、声だけを鮮やかに呼び戻す。


偶然なんかじゃない。私の中の何かが、そうはっきり言っていた。


周囲は、彼女の返事になんの反応も見せなかった。教室は変わらず騒がしく、後ろの席では軽い笑い声があがっている。


でも私だけが、何かを聞き逃せないでいた。夢と同じ声。仮面の存在。私を助けようとしてくれた誰か。


私は、夢の中で斬ろうとした。それでも庇ってくれたあの存在が、もしかしたら今、隣に座っている女の子なのかもしれない。名も知らない何かへのざわめきが、現実の輪郭に重なっていく。


なぜだろう。気になって、仕方がなかった。

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