第5話 昼食

 近江と接触をした直後の授業中。

 俺の席は窓際の一番後ろ。

 その隣では梶が何やら携帯で調べものをしている。


 俺は俺とて、携帯で芳雄くんと連絡を取っていた。

 二人して机の下で携帯を操作しているのだが、最後列だからバレやしない。

 勉強は後で復讐するとして、今は芳雄くんとの連絡が最優先だ。


 興奮しながら近江と話ができたことを報告すると、彼からすぐに返事がきた。


『だから言っただろ。大丈夫だって。意外とそういうものなんだよ。接点がまったくないナンパだったらもっと確率は下がるけど同じ学校の同級生となると、接点が無いように思えるけど接点があるように捉えるものなんだ。だから相手からすればそこまでの抵抗を感じないものなのさ』


 俺は頷きながら返信をする。

 確かに、他人ではあるが接点が無いわけじゃない。

 それが心理的なハードルを下げたのだろう。

 だから近江も抵抗なく俺との接触を受け入れたわけだ。


 そのことに納得しながら、俺はこれからどうすればいいのかを彼に尋ねる。

 知り合いになれたはいいが、ここから先は未知数の世界。

 芳雄くんのアドバイスは真っ暗な道を照らす光だ。


 不安をぶつけるようにしてメッセージを送ると、時間を有することなく再び返事がきた。


『ポイントを押さえておけば問題無し。後は樹次第だ。失敗しても次がある。それぐらい気楽にいけよ』


 失敗してもいい。

 そんな簡単な言葉であるが、なんだか楽になったような気がする。

 絶対に成功しなければと考えると緊張してしまうが、成功しなくてもいいとなると体から力が抜けるようだ。

 ちょっとの考えの差なのに、ここまで精神に差が出るなんて。

 やることは同じはずなのに、人の思考って不思議なもんだな。


 携帯の操作を止め、授業に集中することに。

 隣では真面目な顔でまだ調べものをしている梶の姿があった。

 長時間携帯を触ってたら、さすがにバレるんじゃないか?


「梶くん。何をしているのかしら?」

「え……何もしてないっす!」

「嘘言いなさい! 何か操作しているでしょ」


 教師にバレ、立ち上がる梶。

 自分がバレなかったことに安堵し、梶の失態に苦笑する。

 

 授業が終わり、昼休みに入ると俺は近江のクラスへと急いだ。

 彼女と昼食を食べる約束をしている。

 それが俺の足取りを軽くし、胸を高鳴らせていた。


「近江、お待たせ」

「ううん。待ってないよ」


 俺の教室は二階にあり、近江のクラスは一階部分にある。

 走って彼女の教室に飛び込むと、彼女はクスクス笑ってそう言った。


 可愛いなぁ。

 こんな可愛い子と幼馴染である大空のことが羨ましくなる。

 

 いやそんな考えは捨てよう。

 俺は彼に勝つつもりでいるんだから。

 相手に羨ましがられるぐらいの気概でいないとどうする。

 勝てる試合も勝てなくなるぞ。


「じゃあどこで食べる?」

「渡り廊下にあるベンチはどうかな?」

「ああ、あそこね」

「うん。意外と人通りも少ないし、普段からもあそこでよく食べるんだ」

「だったらそうしよう。近江がいつも食べている場所で食べよう」


 彼女がクラスメイトたちに手を振り、教室を出て来る。

 怪訝そうな顔をしている近江の友人たち。

 そりゃそうだろう。

 大空ではない他の男と弁当を食べに行くのだから。

 周りからすればおかしな状況だろう。


 近江の隣を歩きながら、芳雄くんのアドバイスを思い出す。


 『単純接触効果』――


 会う機会が増えれば増える程、相手に対して好感度を抱きやすくなる現象。

 ザイアンスの法則とも言うらしく、まるでゲームのような現象だが、実際に心理学であるみたいだ。

 同じ学校、同じバイト、同じ習い事をする人たちが付き合いやすいのはこれが多き理由らしい。


 会う回数を増やして、好感度を稼ぐ。

 本当にゲームみたいで面白い。

 とにかく近江と会う回数を増やして、彼女から好感度を稼ぐのが俺のミッション。

 一日一回どころか、何度も何度も会わなければ。


 教室棟と別棟を繋ぐ渡り廊下があり、そこにひっそりとした空間がある。

 少し大きめの木が生えており、その端には木造のベンチ。

 別棟は授業以外で行く必要はまったくないので誰も通らない。

 近江は本当にいつもここで食事をしているようで、彼女が言っていることは正しかった。


「楠くんはパンなんだ」

「ああ。両親は仕事が忙しいみたいだから、弁当を作ってる暇が無いんだよ。近江は自分で弁当作ってるんだろ」

「何で知ってるの?」

「だって毎日大空に弁当を持って来るじゃないか。あれで作ってないなんてことは無いだろ」


 ベンチに腰掛け俺は袋からパンを出し、彼女は弁当箱の口を開ける。

 彼女が弁当を作っているのは知っている。

 屋上で大空がイジメっ子に手渡し、バカにしていたから。


 ああ、あのことを思い出すと腹が立つ。

 弁当を作ってもらえるだけでもありがたいと思え。


 近江の弁当の中身をチラリと見る。

 美味しそうにできた筑前煮とほうれん草。

 それから卵焼きにトマトとウインナー。

 見ていると涎が出そうな、鮮やかな弁当がそこにはあった。


「美味そうだな……」

「え?」

「え? 変なこと言った?」

「ううん。空くん、美味しそうとか美味しいとか言ったことないから。見ただけでそんなこと言われたから驚いちゃって」

「そうなんだ……近江が作った弁当、美味しそうだよ」


 俺は率直にそう言っただけだったのだが、近江は嬉しかったのか笑みを浮かべながら弁当を食べ始めた。

 俺はクリームパンを口にし、彼女の整った横顔を眺める。


「近江は大空の弁当作ってるみたいだけど、大空の母親はどうしてるんだ? 近江も母親は……」


 無意識でそんな質問をする俺であったが、誰にでも両親がいるわけじゃない。

 家庭の事情はそれぞれで、変なことを聞いてしまった肝と肝を冷やす。


 だが近江は笑顔のまま、穏やかな口調で話をする。


「うちも空くんの両親も忙しくてさ。いつの間にか私が料理を担当することになったの。中学に上がる前からそれが当たり前になってさ……でも空くん、私の料理はそこまで好きじゃないみたい」


 苦笑いをする近江。

 こんな素晴らしい弁当を作ってくれるのに、何に不満があるのか。

 俺は胸のうちにある大空に対する不満をぶつけるようにして近江に言う。


「贅沢なんだよ。これだけの物を食べさせてもらって好きじゃないって。やっぱり近江は自信持ってもいいから。料理が上手いし可愛いし、近江の悪いところなんてないからな」

「……ありがとう」


 やんわりと頬を染める近江はやはり可愛くて……

 彼女の美しさに見惚れる俺。

 

 そこで芳雄くんのアドバイスの一つを思い出す。


 人を褒めろ。

 男だろうか女だろうかそれは関係無い。

 お世辞じゃなくて、本心から褒める言葉は高感度を高める。


 何も考えずに近江のことを褒めたのだが、褒めるというのは効果があるようだ。

 彼女は笑みを浮かべながらこちらをチラチラと見ている。


「楠くんて、これまで会ったことないタイプの人かも」

「そう?」

「うん……私の弁当って本当に美味しそう?」

「うん。嘘じゃない。本当に美味しそうだよ」

「じゃあ、ちょっと食べてみる?」


 俺が頷くと、近江はソッとこちらに弁当箱を突き出してくる。

 その中から卵焼きをいただき、口の中に放り込んだ。


 少し甘くて塩加減も完璧。

 見た目通りの美味しさ……いや、それ以上の美味に満面の笑みを浮かべた。


「美味い! 本当に美味いよ。見た目だけじゃなくてこんなに美味いなんて、大空のやつがうらやましいな」

「……ほめ過ぎだよ」

「そんなことないって。近江が作る料理は美味い。これ事実だから」

「ありがとう」


 まるで感動したような面持ちの近江。

 大空のやつ、どれだけ近江の料理を褒めてないんだよ。

 なんだか彼女が可哀想になってきたな。


 大空に彼女はもったいない。

 そう思える彼女との食事……そして幸せな食事の時間を、俺たちは穏やかに過ごすのであった。

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