第20話 神、スイカ割りで世界樹を破壊す

エレボスが「スイカ割り大会に出てみない?」と誘われたのは、前回の甘味裁判の翌日のことである。

たまたま通りかかった広場で、子供たちがわいわい騒ぎながら棒を振り回していたのを見て、「なんだか平和そうでいいなあ」と思った、それがすべての始まりだった。


「よし、じゃあ私がやってみようか」


軽い気持ちだった。

まさかあんなことになるとは、エレボス自身、夢にも思っていなかったのだ。


「エレボス様が!? まさか、神が遊戯に参加なさるとは……!」


「これは神事だ。儀式として記録せよ!」


「お、おいやめろ! スイカ割りだぞ!? ただの!!」


すでに周囲では巫女が舞い始め、神官が祝詞を読み上げていた。


「南南東! 二歩前! そこです!」


「はいはい……えいっ!」


その瞬間。


エレボスがスイカと思っていたものは、何故か近くの庭園にあった装飾用の“世界樹の実”。

非常にデリケートな魔力のかたまりであり、迂闊に衝撃を与えると時空が歪むという代物である。


バキィッッ!!!


空間が、裂けた。


「いやああああああああああああ!!??」


「天が開かれた……神が次の世界を創造なされた……!」


「しっぽりと遊びに来ただけなんだけどぉおお!!」


歪みから顔を出した謎の空間生物(バナナっぽいフォルムの生命体)が、なぜかエレボスを見て頭を垂れた。


「カミ……カミ……カミ、キタ……」


「ちょ、なんでそんなに神扱いされるの!? 今回は完全に事故だよ!? 完全にスイカが悪い!」


「いや、割ったのエレボス様だから」


「いやそこだよ!? そこが問題なんだよ!? なんで納得しちゃうの!?」


結局、異空間への穴は“神の意志によって”開かれたことにされ、

バナナ生命体は「バナナー族の大使」として王都に移住。

「神に使役されし果実の民」として奉られた。


そしてエレボスはというと――


「え? なんで王都のスイカ割り大会、国家神事に格上げされてるの……?」


「来年から国民全員参加です」


「怖すぎるよこの国……」


「なお、バナナー族から“供物”として送られた謎のフルーツは、現在魔導研究所で“神果”として保管中です」


「やめて! もうそれ以上、神話作らないでええええ!!」


---


こうして、またひとつ「神話」が増えた。


エレボスの心には、「次は普通のパン屋にでも寄って、静かにクロワッサンでも買って帰ろう」という静かな希望が芽生えていた。


が――


そのパン屋は、のちに「世界で唯一、神の口に入ったパン」を売ったことで、

異教勢力に拉致されることになるのだが、それはまた別の話である。


王都の南端に、ひっそりと佇むパン屋がある。

こじんまりとした店構え、素朴な看板、ややぶっきらぼうな店主――だが、エレボスはこの店が好きだった。


なぜなら、普通だから。


「……クロワッサン、三つください」


「あいよ。今日のはちょっと焼きすぎたかもな」


店主の無骨な返答が心地よい。

エレボスはそれを受け取り、手のひらで軽くあたためながら、パンの香ばしい香りにふっと息を抜いた。


こんな日常が、一番いい。

それがエレボスのささやかな願いだった。


しかしその数歩後ろでは、

パンを買うだけの神事を見届けるべく、王宮から密かに派遣された随行部隊が、静かに礼をしていた。


「本日は、クロワッサン……!」


「穀物の恩恵を選ばれた……!」


「記録しろ。発酵の神としての顕現が濃厚だ」


「ていうか、隠れてるつもりなのに丸見えだぞお前ら」


エレボスはパン袋を小脇に抱えながら、呆れ気味に小声で言ったが、聞こえたのかどうか、

随行たちは神妙な顔で黙礼し、まるで彼が「神にして人、ただし空腹時は割と普通」とでも言いたげな距離感でついてくる。


パンを一口かじって歩くエレボス。

そのちょうど角を曲がったところで、街の警報鐘がけたたましく鳴り響いた。


「え、また? 今度は何?」


「緊急警戒区域、南商業区に未確認魔導兵器が出現! 至急、対応部隊を――」


「うわあああ! パン屋の斜め前じゃん!? 俺の落ち着きスポットがあああ!」


既に商業区の広場では、異形の魔導ゴーレムが火花を散らしながら立ちはだかっていた。

腕はショベル、頭にはミキサー、そして腹部には「なんか間違って取りつけたっぽい食器洗い機」が備わっている。


完全に設計ミスだろ、それ。


「逃げろー!」


「やだやだやだ! まだクロワッサン半分しか食べてない!!」


パニックになる市民の中、ひとり静かに立ち止まる青年――エレボス。


「……ちょっとあいつ、通り道ふさいでるな。早く帰ってコーヒー淹れたいんだけど」


ため息混じりに、エレボスは残ったクロワッサンをひとくちで食べきると、ゴーレムに向かって歩き出した。


そして――何気なく放った“ただの”石つぶてが、ゴーレムのコアをピンポイントで破壊。


盛大な爆煙とともに、金属の巨体はその場に崩れ落ちた。


「…………え? 終わったの?」


「――神の、石投げが……!」


「いや待て、今のどう見ても偶然だろ!? なんならパン食べながら投げてたぞあいつ!!」


「それが神だろ」


「神、怖っ!!」


---


その夜。


王都の記録管理局では、

「偉大なるエレボスによる、クロワッサン儀礼および小型魔導兵器鎮圧の件」

という題名の報告書が提出され、城の上層部は「明日からクロワッサンを国食とするかどうか」で延々と会議をしていた。


当のエレボスはというと――


「トースター、焦げすぎたかな……」


パンの焼き加減に小さく悩む、ごく普通の夜を過ごしていた。


「……クロワッサン、焼きすぎだったな」


その日の昼下がり、エレボスは王都の外れにある自室で、トースターの前に腕を組んで立っていた。

部屋の窓からは、市場の賑わいや遠くの鐘の音が聞こえ、平和そのものだった。


が。


「では次に、先ほどの“偶然の一撃”についての検証を……」


王宮の地下、極秘の戦略会議室では、十数人の高官たちが目の下にクマを作りながら資料をめくっていた。

中央の壁には、エレボスが投げた小石の軌道を描いた図面。

その隣には、「神の導きによるカーブの角度」などと書かれたよくわからない計算式。


──誰もが思っていた。

(偶然……じゃない……気がする……)

だがそれを口に出す者はいなかった。


エレボスの行動には、説明できない“何か”がある。

にもかかわらず、本人はそれにまるで気づいていないのだ。


一方そのころ、エレボスはというと。


「ジャム買い忘れた……バターでいいか……」


食パンに塗るものがないというだけの問題に、全神経を集中させていた。


――そこに、控えめなノック音。


「エレボス様……恐れながら、上層会議より使いが参っております……」


「えっ、また? あの、“重ねて申し訳ないんですけど〜”の人?」


「はい、その者でございます」


前回、七回くらい土下座してた青年官吏が、今日も額に紙を貼りながら小刻みに震えて立っていた。

紙には『本当に申し訳ないのですが』と書かれている。

もはや声に出すのも恐れ多いという段階らしい。


「うーん……まだパン食べてるんだけど……」


「重要案件でして……! このままでは王国の魔導技術局が崩壊の危機に……!」


「魔導技術局って、前も“崩壊の危機”だったような気がするけど……しょっちゅう崩壊してない?」


心のなかでは、(毎週壊れてるなら、それは壊れてないのと同じでは?)という雑な哲学が芽生えていたが、

食パンの片方だけにバターを塗ったエレボスは、結局それをラップに包みながら出かけることにした。


王宮へ到着すると、魔導技術局の面々が深刻な顔で迎え入れた。


「お待ちしておりました、エレボス様。今回の件、我々の技術では対処不可能と判断されまして……」


「また?」


「はい……その、今度の現象はですね、“過去の魔導記録の自己再生による知識汚染”という……要するに、呪文の誤認識による爆発事故が続出しておりまして……」


「要するに、誰かが“バナナ”って言ったら雷が落ちた、みたいな?」


「……まさに、それです」


職員たちは笑ってもいい場面なのか一瞬迷い、

結局一人だけが鼻を鳴らしてから、「は、はは……」と軽く誤魔化した。


(この人、本当に全部わかってて言ってるのか、それとも……)


一同の心には、静かな疑問が渦巻いた。

だがその答えを、誰も確かめる勇気は持っていない。


エレボスは、提示された“魔導知識の崩壊現象”とやらを一目見て、

「……あ、これ順番が間違ってるだけじゃん。逆に読むと落ち着くと思うけど」と言いながら、

呪文の順序をさらさらと修正していった。


結果、暴走していた魔導記録は静かに沈静化。

その場にいた者は、誰一人声を上げずに――


(これが、神の逆読み……!)

(すごい……順番を入れ替えただけで全てが整った……)


と、思い思いに感動していた。


---


その夜、エレボスは帰宅途中にふと思った。


「……あのパン、やっぱりジャムの方が良かったかも」


この日、王国魔導技術局は密かに“文法改革”を実施し、

『エレボス式逆転構文』という名前が生まれたのだが、

当の本人は「ちょっと間違えてたから直した」くらいにしか思っていなかった。


そして何より、誰も彼に「すごいですね」と言わない。

彼の前では、それが無意味だと知っているからだ。


その静かなすれ違いの中で、

“普通”を望む男と、“特異”と信じる周囲の歯車は、今日もまた噛み合わないまま静かに回っていく。


エレボスが朝食の目玉焼きを見つめている時――王都では重大な審議が始まろうとしていた。


「問題はそこではないのです、殿下。エレボス様が“塩を使った”という事実が、既存の味覚観に与える影響が――!」


「バカなっ! 醤油派がそんなことで黙っているとでも?!」


王立議事堂、通常ならば予算案や国防などが話し合われる荘厳な空間にて、

本日は“エレボスが目玉焼きに塩を振った”という出来事について、十数人の議員たちが真剣に論争していた。


「塩は素材を引き立てる……つまり“素材=国民”であると仮定すれば、これは人民重視の宣言とも解釈できるのでは?」


「対する醤油派としてはだな、あの琥珀色の液体こそが伝統であり……何より白米との親和性をエレボス様が無視するはずが……!」


傍聴席には各国の大使まで集まり、通訳たちが「タマゴ」「ショーユ」「アマイアジ」などと訳している。

それらの言葉が、次第に“魔導国家イストレルの外交方針”のように神妙に記録されていく様は、もはや茶番という言葉では足りなかった。


そのころ、当のエレボスはというと、半熟の目玉焼きとトーストを両手に持ち、テーブルの前で小首をかしげていた。


「……やっぱりケチャップでも良かったかな?」


その一言が、結果的に南部自治領を丸ごと巻き込んだ“大調味料論争”の火種となるのだが、

エレボス本人はその一切を知る由もなかった。



そんな静かな朝食の最中、不意に扉が叩かれた。


「エレボス様! 緊急依頼です、今回ばかりは、本当に、真剣に、命運を賭けた案件です!」


「え、昨日もそんなこと言ってなかったっけ?」


「いえ、昨日は“国家級”でしたが、今日は“神話級”です!」


「なんだそのランク……神話の上におにぎり級とか無いよね?」


使者は疲労で目の焦点が合わないまま、震える手で一枚の魔封紙を差し出した。


そこには一行、まるで走り書きのような文字があった。


『大陸横断料理大会、決勝審査員にエレボス急遽召喚。至急対応されたし。』


「…………は?」



かくして、気づけばエレボスは王立大劇場の特設会場のど真ん中、

フルコースがずらりと並ぶ審査員席に着席していた。


「こ、こちらが、魔の迷宮を一言で攻略したと言われる“静かなる伝説”、エレボス様でいらっしゃいます!」


司会者の声が高らかに響き渡ると、観客席が一斉に立ち上がって拍手。

厨房側では、出場者のシェフたちがガチガチに緊張しながらフライパンを振っている。


「……なんで俺が?」


そう小声で呟いたエレボスだが、両隣に座っていた他の審査員――伝説のグルメ魔導士と、三ツ星魔王――は、

まるで弟子のような眼差しで彼を見ていた。


(彼の一言が、料理界の指針となるのだ……)

(我らは、ただその背を追うだけ……)


本人の知らぬところで、勝手に評価は天井知らずに上昇していく。


そして、運ばれてきた一皿目。黄金色に輝くスープ。


「こちら、食材に“幻のレインリリー”を使用した究極のエッセンススープでございます!」


エレボスはスプーンを手にし、静かに口へ運んだ。


「……あっつ!!」


口の中を火傷し、舌を押さえてぴょこぴょこ跳ねる姿に、会場は静まり返った。


が――


「エレボス様が、“熱さの真髄”を示された……!」

「熱いという感覚そのものを“味”として称賛されたのだ!」

「さすが……味覚の天界を旅した男!」


などと、誰一人“ただの火傷”だとは思わなかった。



一方でエレボスは、冷たい水を口に含みながらぼやいた。


「……朝食にケチャップかけたからバチ当たったのかもな……」


だがその小さな呟きが、審査員団のメモ帳にしっかりと記録され、

後日、王国料理協会から新たな格言として発表されることになる。


『ケチャップは、選ばれし者の祝福である』 by エレボス


彼の一言が、またもや一国の食文化を塗り替えることになるなど、

本人だけが最後まで気づいていなかった。

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