第30話
『朝焼けと夕暮れ亭』に入った俺は、ナターシャに案内されていつもの席へ。道中、他の客からぎょっとした視線を向けられるが、声を掛けてくるような者はいない。
「それじゃあ、料理は何にしますか? グリムさ――イーター男爵」
「これまで通りグリムでいい。料理はそうだな……前言っていた、ナターシャが考案したという料理を出してくれないか?」
「……覚えていてくれたんですね」
「そりゃあ、それを喰うまでは死ねないって具合に、奮起してダンジョン攻略したからな」
この後する話のことも考えて適当にヨイショすると、彼女は僅かに俯いた。前髪の隙間から覗く瞳には、微かに涙が溜まっている。
「どうした?」
「……いえ、その……私、グリムさんのこと、勝手だけど苦労人仲間だと思ってて……貴方が死んだって聞いた時、本当に……本当に悲しかったんです。だから……こうして生きて帰ってきてくれて、それだけで凄く嬉しいのに、そんなことまで言われたら……っ」
「そこまで感極まられると、さすがに照れるな」
分かりやすく茶化してやると、ナターシャは「もう」と頬を膨らませてから笑みを見せた。
「正直、グリムさんが貴族になったって聞いて、もうきてくれないかと思ってました」
「実際、ダンジョンを脱出してから全然顔を出せていなかったからな。すまん」
「いえいえそんな! 忙しかったのは想像できますし……それに、おかげで料理の練習が出来ました!」
むんっ、と力こぶしを作って見せるナターシャだが、非常にぷにぷにしていた。
「ってことは、俺がダンジョンに取り残されてた時はサボってたのか?」
「ちがっ……う、ことはないですけど……。だって、貴方に食べてもらうために練習しようと思ってたのに、その本人がいなくなったんですもん」
「別に、他の奴にも食わせりゃよかったのに」
「……最初に食べてもらうのは苦労人仲間のグリムさん、って決めてたんですよ! まぁ、今はお貴族様になって、苦労とはほど遠いかもしれませんが!」
「そうでもない。まだ見習いだが、充分に大変だよ」
苦笑を浮かべて答えると、ナターシャは口をへの字に曲げながら――。
「じゃあ、まだ苦労人仲間ですか?」
「俺自身その仲間に入っていた自覚はないが……ナターシャと仲間って言うならそうしておいてくれると嬉しいな」
「……分かりました。じゃあそんな苦労人仲間に、このナターシャ腕によりをかけて作っちゃいますよ~!」
そう言って、ナターシャは鼻息荒く厨房へと歩いていく彼女を見送り――待つこと十分ほど。戻ってきたナターシャの手には、見覚えのある肉料理が乗っていた。
「見た目はいつものステーキに思えるが?」
「味が違うんですよ味が」
ナターシャは俺の対面に腰掛けると、ナイフとフォークを使って器用に切り分ける。するといつも中までしっかり火の通っていたステーキに若干赤みが残っていた。
王城の祝賀パーティーで出されていた料理に似たようなのがあったな。
焼き加減を調整した肉料理か。
平民が食べる肉料理と言えば、中までがっつり火を通したステーキが多い。或いは煮るか、香草焼きか。赤身の味を楽しむ肉料理は、少なくともセブルスで見たことがなかった。
「ソースもこだわっているんですよ~。こっちがさっぱりした味で、こっちが濃厚な味になります。お酒にも合うと思うんですけど、いかがですか?」
「まだ食べてないから何とも言えないな」
切り分けられた肉は、高説を垂れるナターシャの手に持つフォークに突き刺さったまま。俺は視覚情報と嗅覚情報でしか料理を味わえていない。
「こ、これは失礼しました。はい、あ~ん」
「……自分で食える」
「まぁまぁ。いいじゃないですか。あ~ん」
幸い、ここは周りから見えない席だ。
俺は小さく息を吐いてから、差し出された肉をぱくり。
もぐもぐ、ごっくん。
うん、美味い。
料理として、これまで出されてきた物の中で、一番俺の口に合っている。
赤身だからと言って火が通っていない訳ではなく、しっかりと温かい。ソースも肉の味にマッチしている。
(材料としての美味さは『人間』に劣るが、調理法だけでこうも化けるとは)
「美味いな。確かに酒にも合いそうだ」
「ですよね~!」
「ソースの考案も一人で?」
「そうですね。と言っても、店で使ってるものをベースにアレンジした程度ですけど」
「いやいや、この肉に合っていて最高だ。ナターシャは料理の天才だったのか」
「そんなに褒めないでくださいよ~」
あはは、と溌剌な笑みを見せるナターシャに、俺は口の中の肉を飲み込んでから、ここを訪れた本題を切り出した。
「実はそんなナターシャに話があるんだ」
「……お話?」
小声で告げると、彼女も一瞬周りを気にしてから小声で返す。
「あぁ、まぁ端的に言うとナターシャをうちの料理人として雇いたい」
「……へ?」
「実は、今雇っているメイドが、家事洗濯は出来るんだが料理が微妙でな。そこで専属の料理人を雇いたいんだが、生憎と伝手もなければ、俺は悪食だろ? 募集してもまともな人がくる保証がない。そこで、ナターシャを引き抜きたいという訳だ」
「で、でも……私、基本給仕ですから、料理はそれこそ普通よりちょっとは上手かな? ぐらいですよ?」
「それでいい。少なくともこうして技術は見た。なら成長してくれればそれでいい。給料に関しても、今よりは確実に多く払うと約束しよう。……どうだろうか?」
問いかけると、彼女はまだ困惑した様子で逡巡し、答える。
「な、なんで私なんですか?」
「人柄は知っているし、何より悪食の俺なんかにも普通に接してくれた数少ない人間だからな。もちろん、迷惑なら他を探す」
「……迷惑では、ありませんけど」
「考える時間が欲しい、と?」
ナターシャはこくりと首肯を返した。
これは想定内なので、何も問題はない。
「分かった。それじゃあ次きた時に返事をくれ。急かすつもりはないし、断ったからと言って何がある訳でもないからな」
俺の言葉にナターシャは「ありがとうございます」と言い――そこへ、別の店員が「サボるなー!」とナターシャを呼びにきた。
「すみません、それじゃあ仕事戻ります!」
と言って立ち去るナターシャに対し、彼女を呼びに来た店員は俺をチラリを見てから、彼女の後を追う。
(もうちょっと、嫌悪感を隠して欲しいね)
彼女を見ると、やはり俺に一切嫌悪感を抱いていないナターシャは特異な存在だ。わざわざ敵を家に招きたいわけではないし、出来ればナターシャに料理人になってもらいたいものだ。
なんてことを思いながら、残りの肉をパクパク、ごっくん。
美味いけど腹は膨れない。
ドレッドを喰ってしばらく経つが、俺の腹は再度グーグー鳴っている。
そろそろ次の人間を喰いたいところだ。
「ごちそうさま」
カウンターで料理代を渡し、店を後にしようとすると、ナターシャが小走りに近付いてくる。
「ありがとうございました、グリムさん」
「あぁ、美味しかった。また来るよ」
そう言って店を出ようとして、一人の少年が入ってきてぶつかった。年のころは俺と同じぐらいか。彼はきょろきょろと店内を見回すと、最終的に俺とナターシャに視線を向け――、間に割って入ってくる。
「エント、なんでここに」
「……ナターシャの知り合いか?」
「はい、幼馴染で――」
「おい、お前」
ナターシャの言葉を遮って、口を開くエント少年。
その口の利き方は、とてもではないが貴族に対するものではない。
今この場で無礼だと言って殺しても問題がないだろう。
だが、俺は「なんだ」と言って先を促した。
少年は俺を睨みつけ、ナターシャを守るように立ちながら告げる。
「悪食の分際で調子に乗るなよ? 貴族が何だ。ナターシャに手を出したらぶっ殺してやる」
「なっ、え、エント!? なに言って――」
これにはさすがのナターシャも同様を隠しきれない様子。
当然だ。
貴族相手に「ぶっ殺す」は「今すぐ殺してください」と同義なのだから。
(まぁ、ナターシャの前で、そんなことはしないが)
俺はエント少年の肩に手を置くと、ギザギザの歯を見せて笑った。
「守るのは自由だが、なら貴族相手にそんな口を聞いてはいけないよ。……じゃあ、俺は行くから。またな、ナターシャ」
少年の嫌悪を受け流し、俺は改めて店を後にするのだった。
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