第8話・有紗の誘い

 京都は盆地にある。なので熱気が他所へ逃げることがなく、夏は暑い。なぜこんなところに都を置いたのか、とずっと思っていた由衣だが、今ではそれも陰陽師が決めたのではないかと思う。彼らは中世の時代から、方角とか風水みたいなものにこだわるらしい。


 なぜ由衣がそんなことに詳しいかというと、あの件以来、陰陽師について色々と調べたからだ。なんだかんだ言って、由衣は陰陽師や例の連続事件のことが気になっていた。きっと母が絡んでいなければ、最悪の1日として由衣はすぐにでも忘れようとしただろう。


「由衣!由衣!聞いてる?」


耳元で大声を出され、由衣は不快そうに顔をしかめた。そして、自分に非があることに気付いて、すぐに表情を改めた。


「あ、ごめん。また聞いてなかったよね」


「うん、〝また〟聞いてなかったよー」


有紗はわざとらしく口を突き出して言った。由衣が笑う。


「何よー」


「ごめん、有紗かわいいなって思っちゃって」


「なんだよそれ、彼氏かよ」


そう言いつつも有紗は満更でもなさそうだ。嬉しいと鼻の穴が膨らむ癖を、由衣は見逃さない。


「で、ごめん、なんの話だっけ」


昼休みの教室は騒がしかったが、由衣はその喧騒から意識を遠ざけた。


「だからさ、バイトの集まりだよ。由衣に来てほしいの」


「でも私そこで働いてないし」


「みんな友達連れてくるし、由衣かわいいから先輩たちも喜ぶって」


「いやいや」


由衣は苦笑する。


「えーお願い!」


有紗は机に突っ伏して懇願する。


「私一人で行くの嫌なんだよ、うちのバイト先は陽キャ、てか、チャラい大学生多いから絡まれるとウザいんだよね」


「なおさら行きたくないんだけど」


「まああれだよ、普段はみんないい人だよ」


有紗は購買で買ったアイスティーをストローで吸う。


「女の子で固まってたらいいんじゃない?」


「えーそれもやだ」


今度は椅子にもたれかかりながら有紗が言う。長い茶髪が椅子の背もたれを覆い隠す。随分色が抜けたな、と由衣は思う。どうせ夏休みの開始に合わせて染め直すのだろう。


「うち居酒屋じゃん?派手系の子多いっていうか、女子の方も男食ってやるみたいな感じだからさ、特に先輩とか怖いんだよね」


「でも元からそんな感じでしょ、なんで入ったの?」


由依が呆れたように息をはく。


 有紗とは中学の入学式で出会った。小学校からの友達と見事にクラスが別れ、怯えた子犬のような顔をしていた由衣に話しかけてきたのが有紗だった。正反対の性格である二人だったが、お互い、一緒にいるのが楽ですぐに仲良くなった。狭く深くの交友関係を好む由衣と違い、社交的な有紗は友達も多く、高校生になってすぐにいくつかのバイトを掛け持ちした。そのうちの一つが居酒屋のバイトだった。


「私も思ったよ、でも美奈にしつこく誘われたの」


「美奈に?」


美奈は由衣や有紗と同じクラスで、いわゆる一軍女子と呼ばれる人種である、というのが由衣の認識だった。有紗とは近しい距離感だが、由衣はSNSを通して煌びやかなJK生活を見せつけられる以外に交流はなかった。


「そう、でも美奈ほとんどシフト入らなくてさ。私はシゴデキで先輩たちに気に入られちゃって、休めなくなったわけよ。そういうとこ真面目じゃん?私」


「真面目だねえ」


「で、結局辞めちゃったのよ、美奈。店長にメール1通だけ送って」


「辞めたの?有紗を置いて?」


「そー。でも美奈ってそういうことしそうでしょ?」


有紗が笑う。


「まあ、しそう」


由衣も笑った。


「私は同じ居酒屋バイトの浩介先輩が怪しいと思うんだよね」


「え、付き合ったってこと?」


思わぬ恋愛トークに、由衣は少しだけ身を乗り出した。


「そこまではわかんない、浩介先輩、結構女食ってるから」


食う、という表現に少し下品さを感じたが、由衣は指摘しなかった。


「でもなんかはあったと思う。バイト中やけに盛り上がってたんだよねー、2人」


「そういうとこ目ざといよね」


「由衣にだけは言われたくないですねー」


由衣は言い返せず、はにかむしかなかった。


「まあとにかく」


有紗が由衣の両手を握った。


「今度の日曜だから、お願い!」


「えー休みの日?」


「何、どうせ大した予定ないでしょ」


「し、失礼な」


「じゃあ最後にデートしたのいつよ」


「えっと」


そのまま流してくれることを期待したが、有紗は答えを待っている顔だ。由衣は恥ずかしくなって、肩までの黒髪を指先で漉いた。


「最後のデートは悠真くんかな」


「待って、それ高校入ってすぐじゃん!」


「すぐじゃないよ、六月くらい」


「すぐじゃん!」


「うーん」


由衣は首を傾げ苦笑する。たしかに遥か前だ。しかも、全然気になっていない相手だった。高校では心機一転、人付き合いができるかもと期待していたし、顔も悪いわけではなかった。誘ってくれたことも嬉しかった。デートを了承したのはその程度の理由だった。


「でもまあ、悠真くんそんな悪いと思わないけどね、優しそうだし」


「そうだね」


「向こうは由衣のこと好きだったんでしょ?落ち込んだんじゃない?」


「その割にはすぐに彼女できてたけど」


「反動だよ、反動。ショックを癒すために早く彼女が欲しかったんだよ」


「そんな理由で付き合われた彼女、かわいそうだけど」


有紗がストローを咥えたまま由衣を見つめる。


「何よ」


「あんたさ」


有紗が口元を綻ばせる。


「恋愛の話になった途端、卑屈になるよね」


「う、うるさい!余計なことに気づくな」


わかりやすく照れる由衣に、有紗は笑いながら「かわいー」と連呼した。


「有紗ー!」


教室の外に自分を呼ぶ友達を見つけ、有紗が立ち上がった。


「そういうことで、日曜よろしくー」


「そういうことってどういうことだよ」


「あ、場所は鴨川デルタだから!また詳細送るね」


 鴨川デルタとは、下鴨神社の南にある、賀茂川と高野川が交わる場所だ。二つの川に挟まれ、地形がギリシャ文字のデルタに似ていることからそう呼ばれている。公園のようになっており、ある程度の広さと川沿いゆえの居心地の良さからか、休日は家族連れや地元の学生で賑わっている。


「まだ行くって言ってないんですけど!」


由衣の言葉には返事せず、手を振りながら有紗は去っていった。


「もう」


由衣は諦めのため息を吐いた。


 そしてふと、窓の外を眺める。大文字山の緑が、夏の日差しを受けて鮮やかさを増す。『大』の字は、今は土色で目を引かないが、今年もお盆になれば火が灯される。


 毎年見ていても、由衣は送り火が好きだった。顔も知らない母も、あの夜だけは自分のすぐそばで見守ってくれている。由衣はそんな気がしていた。しかし、母の最期と陰陽師であったことを知った今、送り火を見ながら何を思うかは、由衣自身にもわからなかった。


 山の向こうに目をやる。青空に、力強い入道雲が広がっている。由衣は頬杖をついて思う。今年も京都に、夏がやってきたと。

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