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あくまでも私個人の意見ですが。
善悪や社会への貢献という点において、私たちは3次元的なスペクトルの中にいる、と私は解釈しています。ご存じの通り「スペクトル」というのは光を構成する虹色の配置のことを指しますが、人の世もまた同じだと思うのです。
完全に社会の役に立たない人間が存在しないように、完全に社会の役に立つ人間も存在しません。健常ではない部分がまったくない障害者は存在しないし、死ぬまで健常でいられる人間もいません。善悪についても同様です。私は学生時代にいじめられた人間でしたが、私の言動に傷ついた人間は絶対に存在するし、その人は「私にいじめられた」と感じているかも知れません。絶対の無などありえないし、絶対の有もまたありえません。
もちろん。
だから許すべき、とか、だから排除するべき、ということを言っているのではありません。この他人は、いったい「何色」なのか、「黄色に近い赤」とか「やや青みがかった緑」とか、そして自分のスペクトルとどのくらい離れた色なのか、その他人から見たら自分は何色なのか。合わさったら、離れたら、どのような色になるのか。
そのように、もともと曖昧であり、単純に決めつける事のできないたくさんの色の集合体が「世界」であると思うのです。
ただし、決めつけることはできなくても、生きていくためには決めつけたっていい、とは思います。というか、それしかできないのが人間というものでしょう。それが自分の色ならば。
絶望の色、希望の色、そのどちらも選びうる人間でありたい。
私はそう願っています。
作者からの返信
色で考えたことが、実は私にもあります(9年前になります)。そのときパソコンでRGBとHSLという色の表し方があると知って、さまざまな割合のR,G,Bによって混色させることによって見知らぬ色ができることにハッとさせられたことを思い出しました。
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共感しました。
たとえば、ある会社内で生産性を上げたところで、それは「会社」を巨大化させるだけの話で、そこで働く従業員たちにとっては、給与面で多少の恩恵をこうむるかもしれませんが、疲弊する度合いの方が大きいと思われます。
だとしたら、生産性はほどほどでも、日々楽しく仕事を出来る環境にあるほうが幸せと言えるかもしれません。
「会社の巨大化」ではなく「人間の幸福」を目的とした場合、今の働き方はがらりと変わるかもしれませんね。
考えさせられるエッセイでした。
作者からの返信
会社の巨大化、人間の幸福という2つの言葉が良いなと思いました。私はそれらの均衡点を私は探っていたんだと気づきました。コメントありがとうございます😊