タローの休日 お気に入りの街にて

飯田沢うま男

第1話 懐かしい風の香り

 数々の異世界を渡り歩いてきた、自称“ただの旅人”・タロー。どの世界でも特別な肩書きや使命を背負うことはなく、ただ風の吹くまま、興味のおもむくままに歩き続けている。そんな彼が、無数の世界の中でも特に心に残っている街、クレシェの地を久方ぶりに再訪した。


 石畳の広がる大通りには露店が並び、通りすがる人々の笑い声と活気に満ちた音楽が溶け合っている。季節の花が咲き誇る街角の広場では、子どもたちが駆け回り、大道芸人が鮮やかな芸を披露していた。


「んー。この街、以前私が来た時より賑やかになりましたねー。」


 ほのかに全身から漂う神々しいオーラを揺らめかせながら、タローは目を細めて微笑んだ。歩を進めながら、記憶の中の風景と今の景色を重ね合わせ、変わったものと変わらぬものを味わうように眺めていく。


 やがて、馴染みのある角を曲がり、懐かしい看板が目に入った。木製の扉の先に広がる、小ぢんまりとした食堂。タローが前回この世界を訪れた際、ふと入って気に入った店だ。彼は躊躇なく扉を押し開けた。


「いらっしゃいませ!……あっ、タローさん!お久しぶりです!」


 出迎えたのは、以前と変わらぬ明るい笑顔の女性店員・リディアだった。彼女の声には本当に嬉しそうな響きがあり、思わずタローも顔をほころばせた。


「長い間お見かけしませんでしたけど、やっぱりいろんな世界を冒険してたんですか?」


 タローは穏やかに頷きつつ、柔らかな声で答える。


「そうですねー。この世界で経った時間は、数ヶ月くらいのようですが……私の体感では、もう5年くらい旅してましたねー……あっ、クレシェ風肉じゃがくださいな。」


 その名を聞いた瞬間、リディアの目が一層輝いた。


 クレシェ風肉じゃが――それはタローが前回来店した際、リディアと店主と共に考案した、オリジナル料理だった。本来の肉じゃがと同じ具材を使いながらも、クレシェ特産のハーブを加え、コンソメ仕立てにした一皿。思い出の味だ。


「クレシェ風肉じゃが、一丁!」


 リディアが厨房へ元気に声をかけると、「はいよ!」という力強い返事が奥から返ってきた。店内には変わらぬ温かさが満ちていて、心の奥がじんわりと和らいでいく。


 タローはテーブル席に腰を下ろし、周囲を見回した。以前より客が増え、地元の人に混じって旅人や商人らしき姿も目に入る。装飾品や家具も少しずつ変化していて、この街が時と共に歩みを進めていることが感じられた。


「この街も立派になりましたねー。」


 彼は心の中でそう呟いた。そして、リディアの問いかけを思い出す。「いろんな世界を冒険してたんですか?」と聞かれた時、ただ軽く頷いたが――実のところ、その間に見てきたものは、あまりにも多く、語り尽くせないほどだった。


 空を泳ぐ島が浮かぶ世界、魔法が日常に溶け込む王国、機械仕掛けの都市、永遠に夜が続く森――それぞれの世界に、それぞれの出会いと別れがあった。だが、やはり心が引かれるのはこのクレシェの街だった。


「お待たせしました、タローさん!」


 リディアがテーブルに皿を置くと、ふわりと芳しい香りが漂った。湯気の立つクレシェ風肉じゃがは、色鮮やかな野菜と柔らかな鶏肉が美しく盛り付けられている。ひと口すくい、口に運ぶと――コンソメのコクとハーブの香りが絶妙に溶け合い、食材の旨味を引き立てていた。


「いやー、やっぱりこの味ですねー。それに、前より美味しくなった気がしますねー。特に、鶏肉が程よく柔らかく煮込まれてますよー。」


 その感想に、リディアは満面の笑みで応えた。


「あっ、気づいていただけたんですね!実は鶏肉だけ、先に米のとぎ汁で煮込むように改良したんです!そうすると柔らかくなるって、おばあちゃんが教えてくれて……」


「なるほどー。とても立派なおばあさまですねー。私も今度料理作る時は、その技使ってみましょうかねー。」


 食べ終えたタローは、満ち足りた笑みを浮かべながら「ごちそうさまでしたー」と告げ、代金を支払った。


「ありがとうございました、またいつでも来てくださいね!」


 リディアの声に見送られ、タローは再び街の通りへと足を踏み出す。


 この世界も、彼自身も、少しずつ変わっていく。それでも、こんな風に誰かとの再会を喜び、あたたかい料理に癒される時間は、彼にとって異世界を巡る旅の中でも、特別なひとときだった。

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