第二十四話:騎士誓罪
リリアンが妹の幻影との痛々しい問答の末、感情の奔流に耐えきれず膝を折ってから、しばらくの時間が経過した。ノアがそっと寄り添い、カイは言葉もなく、ただリリアンの背中を見つめていた。塔が生み出す幻影は、あまりにも残酷に、人の心の最も柔らかな部分を抉り出す。先ほどリリアンに投げかけた「向き合うべき」という言葉の重さを、カイは改めて感じていた。
リリアンがようやく落ち着きを取り戻し、虚ろな表情ながらも立ち上がろうとしたその時、今度はカイの目の前の壁に、新たな光景が鮮明に映し出された。それは、彼が騎士として最も輝かしく、そして最も苦い記憶が刻まれた、かつて仕えた王国の城壁だった。しかし、その城壁は炎に包まれ、内外から鬨の声と悲鳴が響き渡っている。
「…これは…」カイは息をのんだ。忘れようとしても忘れられない、王都陥落の日の光景だ。
そして、壁から抜け出すように、煤と血に塗れた村の民たちの幻影が、次々とカイの前に現れた。彼らは皆、絶望と怒りに満ちた目でカイを睨みつけ、口々に彼を罵り始めた。
「カイ様!なぜ我々を見捨てたのですか!?」
「騎士の誓いはどうしたのです!民を守ると誓ったはずでは!」
「あなたは英雄ではなかったのか!我々の希望だったはずなのに!」
幻影たちの声は、カイの心に重くのしかかる。彼は唇を噛みしめ、その非難の言葉を一身に受け止めていた。
さらに、血染めの鎧を纏った、威厳ある壮年の男の幻影が現れた。それは、カイが命を賭して守ると誓った、亡き主君の姿だった。
「カイよ…お前は、本当に最善を尽くしたのか? わしと共に最後まで戦い、民と運命を共にすることこそが、真の忠義ではなかったのか? それとも、お前の言う『再起』とは、結局のところ、死への恐怖から逃れるための言い訳に過ぎなかったのではないか? その選択が、どれほどの魂を絶望の淵に突き落としたか、理解しているのか?」
「…またこれか…」カイは苦悶の表情を浮かべ、両手で頭を抱えそうになった。「何度、この悪夢を、この問いを、俺に繰り返させるのだ…! 俺は…俺は、間違っていたというのか…!? あの時、玉砕を選ぶべきだったとでも言うのか!? それが、貴公の望む『騎士』の姿だったというのか!?」
その様子を、少し離れた場所からリリアンが見つめていた。彼女の表情は、先ほどまでの動揺が嘘のように、再びいつもの冷静さを取り戻していたが、その瞳の奥には、カイの苦悩に対する複雑な感情が揺らめいていた。
「ヴァルデン殿、それはあなたの罪悪感が作り出した幻影です」リリアンは、努めて平坦な声で言った。「しかし、その罪悪感こそが、あなたの行動を縛り、冷静な判断を鈍らせている。ここでそれと向き合い、克服しなければ、この塔の試練は乗り越えられないでしょう。あなたの言う『正義』とは、具体的に何を指すのですか? 感情ですか? それとも、何らかの普遍的な法則に基づいているのですか? あの状況で、全ての民を救うことが本当に可能だったと? 感傷的な理想論は、時に現実逃避と同義ですよ。そして、その『理想』に殉じることが、本当に最善の選択だったと、今でも本気で考えているのですか?」
「黙れ、魔術師殿!」カイはリリアンを睨みつけた。「貴様には分かるまい! 民を見殺しにし、主君の期待を裏切ったこの俺の苦しみが! 貴様のように、全てを『データ』や『現象』としてしか捉えられない人間には、この魂の痛みなど理解できるはずがない! 俺の選択が間違っていたかどうかなど、貴様に判断される筋合いはない!」
「判断しているのではありません、分析しているのです」リリアンは冷静に切り返した。「そして、問いかけているのです。あなたのその『痛み』は、本当に民や主君のためなのか、それともあなた自身の『騎士としての理想』が傷つけられたことへの自己憐憫なのか。もし、あなたの選択が、結果としてより多くの命を未来で救うための布石だったとしたら? それでもあなたは、過去の『見捨てた』という事実に囚われ続けるのですか? それは、あまりにも非合理的で、そして…ある意味では傲慢な態度ではありませんか?」
ノアは、カイを取り囲むようにして非難の声を上げる幻影たちと、苦しむカイの姿を交互に見つめ、悲しそうな表情を浮かべていた。「カイさん…すごく苦しそう…。でも、みんなカイさんを責めてるだけじゃないみたい…。何かを…分かってほしいって…そう言ってる気もする…。カイさんが、本当はどうしたかったのか…それを、聞いてほしいのかもしれない…。リリアンさんの言うことも、すごく冷たいけど…でも、もしかしたら、カイさんが気づいてない何かを言おうとしてるのかも…」
「俺がどうしたかっただと…?」カイはノアの言葉に、ハッとしたように顔を上げた。「俺は…俺は、民も主君も、全てを守りたかった! だが、できなかった…! だから、俺は…より多くの者を救うために、一時的に撤退するという苦渋の決断を下したのだ! それが、最善だと信じて…!」
「その『信じる』という行為の根拠は何ですか、ヴァルデン殿?」リリアンが再び問いかける。「それは、あなたの希望的観測ではなかったのですか? あるいは、その『再起』という目標が、あまりにも漠然としていて、具体的な計画性や実現可能性に欠けていたとは考えられませんか? 感情的な決意だけでは、現実は変えられません。必要なのは、冷徹な状況分析と、それに基づいた合理的な戦略です。あなたは、それを怠ったのではないですか?」
リリアンの言葉は、容赦なくカイの心の傷を抉り、彼の信念の土台を揺るがした。カイは、怒りとも悔しさともつかない表情で、言葉を失う。
主君の幻影が、再びカイに語りかける。「カイよ、お前の選択が正しかったかどうかは、歴史が判断するだろう。だが、問いたい。お前は、その選択の責任を、真に負う覚悟があるのか? そして、その『再起』の先に、お前は何を成そうとしているのだ? ただ過去の罪滅ぼしのために剣を振るうのか、それとも、新たな未来を切り開くために戦うのか? その答えを、お前はまだ見つけ出せていないのではないか?」
その問いは、カイの魂の最も深い部分に突き刺さった。
彼は、何のために戦い続けてきたのか。
彼の「騎士道」とは、一体何なのか。
この「騎士誓罪」の試練は、カイに自身の存在意義そのものを問い直すことを迫っていた。
リリアンは、その様子を冷静に観察しながらも、かつて妹を救えなかった自分自身の無力感と、カイの苦悩を重ね合わせているのかもしれない。彼女の「合理性」もまた、過去のトラウマから生まれた防衛機制である可能性を、カイはまだ知らない。
そしてノアは、ただ純粋に、カイの魂が安らぎを得られることを願っていた。彼女の共感力は、この複雑な議論の中で、唯一の救いとなるのだろうか。
三者三様の思いが交錯する中、カイは、この魂の試練に、どのような答えを出すのだろうか――そして、その答えは、彼らの「禁忌論戦」の行方に、どのような影響を与えるのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます