第二十二話:記憶回廊
塔からの最初の「問い」に三者三様の答えを返すと、ホールの奥に出現した通路は、まるで彼らを誘うかのように、淡い光を放っていた。躊躇うことなく、三人はその通路へと足を踏み入れた。通路は緩やかな下り坂となっており、しばらく進むと、再び広大な空間へと出た。
そこは、どこまでも続くかのような長い回廊だった。壁面は磨き上げられた黒曜石のように滑らかで、天井は高く、荘厳な雰囲気を漂わせている。しかし、その壁面には、奇妙な現象が起きていた。三人が歩を進めるにつれて、彼らのすぐそばの壁に、まるで水鏡のように、様々な映像が次々と映し出されては消えていくのだ。
「これは…」カイは、壁に映し出された幼い頃の自分の姿――父親に剣の手ほどきを受けている懐かしい光景――に、思わず足を止めた。「俺の…記憶か…? なぜこんなものが…? 塔が、我々の心の中を覗き見ているというのか!?」
リリアンは、自身の観測装置で壁面をスキャンしながら、冷静に、しかしその声には隠せない興奮を滲ませて分析した。「そのようですね、ヴァルデン殿。この回廊の壁面は、我々の魂に記録された記憶情報を高精度で読み取り、視覚的なイメージとして投影するシステムになっているようです。極めて高度なアニマ感応技術…あるいは、塔そのものが我々の意識に直接干渉し、深層心理から情報を引き出しているのかもしれません。興味深い。個人の記憶と魂の同一性、そして記憶の改竄や消去の可能性について、これほど直接的なデータが得られるとは! これは、私の研究を飛躍的に進展させるかもしれませんよ!」
ノアは、壁に映し出される色鮮やかな花畑や、楽しそうに笑う子供たちの姿を、少し羨ましそうに見つめていた。「わぁ…綺麗…。みんな、こんなに素敵な思い出を持ってるんだね…。でも…」
しかし、映し出されるのは、美しい思い出ばかりではなかった。リリアンの壁には、研究に没頭するあまり妹の異変に気づくのが遅れた後悔の瞬間が、まるで昨日のことのように鮮明に映し出された。カイの壁には、戦場で仲間を見捨てざるを得なかった苦渋の決断や、炎上する村を背に撤退する自身の姿が、繰り返し再生される。そして、ノアの壁には、周囲から「化け物の子」と疎まれ、孤独に涙していた幼い日の記憶や、唯一の友だった小鳥が霧に消える瞬間が、容赦なく映し出された。
「なっ…! やめろ…! こんなものを見せるな!」カイは、壁に映し出された自身の最も見たくない過去の光景に、顔を苦痛に歪め、思わず剣の柄に手をかけた。「人の心を弄ぶような真似を…! 塔は我々の弱みを暴き立て、精神的に追い詰めようというのか!? これが試練だというのなら、あまりにも悪趣味で、そして残酷だ! 魔術師殿、貴女は平気なのか!? 自分の最も辛い記憶を、こうして衆目に晒されて!」
「ヴァルデン殿、落ち着きなさい」リリアンは、自身の壁に映る妹の最後の笑顔から目を逸らし、努めて冷静に、しかしその声は微かに震えていた。「確かに、不快な記憶を強制的に見せられるのは気分の良いものではありません。しかし、これは我々の精神的な強度を試すための、一種のストレステストである可能性も考えられます。あるいは、この先に進むために、我々自身が過去のトラウマと向き合い、それを克服することを要求しているのかもしれません。あなたは、自分の過去から目を背け続け、それを乗り越えることを放棄するのですか? それでは、あの英雄の魂が問いかけたことへの答えも、永遠に見つからないでしょう」
「目を背けてなどいない!」カイはリリアンに激しく反論した。「俺は、自分の過去の過ちも、弱さも、全て受け入れているつもりだ! だが、それをこんな形で、他人の前で、そしてこの得体の知れない塔によって強制的に見せつけられる謂れはない! これは、魂への侮辱であり、個人の尊厳を踏みにじる行為だ! それとも、あなたは、これもまた『貴重なデータ収集の機会』とでも言うつもりか!?」
「侮辱、ですか」リリアンは冷ややかに、しかしその瞳の奥には複雑な感情を隠して応じた。「それは、あなたの自尊心が傷つけられたことに対する感情的な反発に過ぎません。客観的に見れば、この現象は我々の魂の構造や記憶のメカニズムを理解する上で、極めて貴重なデータを提供しています。もし、記憶が魂の本質と不可分であるならば、この『記憶の回廊』は、魂そのものを映し出す鏡と言えるでしょう。あなたは、自分の魂の真実の姿を見るのが怖いのですか? それとも、他人にそれを見られるのが耐えられないのですか? その程度の覚悟で、塔の真実に迫れるとお思いで?」
ノアは、壁に映し出される自分の孤独な過去を見つめながら、小さな声で呟いた。「…みんなの心の中が見えちゃうみたい…。嬉しい記憶も、悲しい記憶も…全部、その人の大切な一部なんだよね…。でも、見たくない記憶を無理やり見せられるのは…すごく辛いと思う…。カイさんの気持ち、少し分かる気がする…。でも、リリアンさんの言うみたいに、これを見ないと先に進めないのかな…? 魂たちは…この塔は、私たちに何をさせたいんだろう…? ただ苦しめたいだけなの? それとも…何か、もっと大切なことを伝えようとしてるの…?」彼女の純粋な問いは、二人の間の張り詰めた空気に、新たな波紋を投げかけた。
リリアンは、ノアの言葉に何かを考えるように黙り込み、カイもまた、怒りの表情の奥に、深い葛藤の色を浮かべていた。彼の脳裏には、英雄の魂の「汝の選択は、真に民を救う道だったのか?」という言葉が、壁の映像と重なって繰り返し響いていた。
この「記憶の回廊」は、彼らにとって最初の本格的な試練となるのかもしれない。
それは、単に過去を追体験させられる苦痛だけでなく、自分自身の魂のあり方、そして仲間たちの魂のあり方と、否応なく向き合わされるという、極めて個人的で、そして普遍的な問いを突きつけるものだった。
彼らの「禁忌論戦」は、今、それぞれの魂の最も柔らかな部分を抉り出し、その深層での対話を強いているかのようだった――。そして、この回廊の先に何が待っているのか、それはまだ誰にも予測できなかった。この試練を乗り越えた時、彼らの関係性、そしてそれぞれの信念は、どのような変化を遂げているのだろうか。
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