第7話 姉と筋肉

  ◇



 ……とある木曜日。


「あ、ほむちゃんだ!」

「ん?」

 放課後。委員会活動で遅くなった俺は、切らした日用品の買い出しのため、スーパーに寄ろうとしていた。そんな俺に、聞き慣れた声が掛かる。

「あれ? 美紅姉じゃん」

「やほー」

 俺に声を掛けてきたのは美紅姉だった。時間的に、仕事が終わって退社したところだろうか。

「どうしたの? こんな時間に」

「スーパー寄るとこ。委員会でちょっと遅くなったけど」

 話しながら、しれっと俺に体を寄せてくる美紅姉。相変わらず距離が近い……どうしてこうも距離を詰めたがるのか。

「あら美紅ちゃん、その子誰? もしかして彼氏?」

 すると、後ろから女性の声が聞こえてきた。振り返ると、そこにいたのは―――

「あら、いい男じゃない! 凄いイケメン!」

「美紅ちゃんも美人さんだから、二人で並ぶと絵になるわね〜」

 俺たちの後ろにいたのは女性の集団。年齢は二十代後半から四十代半ばくらいだろうか、結構年齢層に幅がある集団だ。まあそれはいいとして、問題は彼女たちの体格だった。

「それに、結構良い体してるじゃない。ちゃんと鍛えたら凄い筋肉になりそう」

 そう言いながら、サイドチェスト(半身を向けて腕や胸を強調するポーズ)を決めるのは二十代後半の女性。腕も胸も筋肉がムッキムキである。

「そうねぇ、かなりのポテンシャルがあると見たわ」

 ダブルバイセップス(両腕を持ち上げて力こぶを見せつけるポーズ)を決めながら俺を凝視してくるのは三十代前半くらいの女性。こちらもかなりの筋肉マッチョである。

「是非、一緒に筋肉を育てたいわね」

 モストマスキュラー(両手の拳を体の前で突き合わせて、腕や肩を強調するポーズ)をしながらそんなことを言うのは四十代半ばの女性。言うまでもなく筋肉が凄い。

 三人共、全身筋肉ムッキムキの筋肉達磨だった。半袖から見える腕だけじゃなくて、シャツを内側から破りそうなくらいの豊満な大胸筋、ズボンをパツパツにするほどに膨れ上がった太ももなど、これでもかってくらい筋肉質な体つき。何だ、この筋肉集団?

「も〜、ほむちゃんは弟だよ〜」

「あらやだ、そうだったのね」

「よく見たら学生服着てるし、高校生じゃない。それなら彼氏はさすがにないわよね」

「筋肉に目が行ってて気づかなかったわ〜」

 美紅姉の言葉に、筋肉集団はポージングを変えながらそう言った。……いや、俺の筋肉なんて大した量じゃないから制服で隠れるし、制服見落とすほうが難しいだろ。

「美紅姉、この人たちって……」

「ん? 職場の人たちだよ〜」

 この筋肉集団は、どうやら美紅姉の同僚らしい。……肉体労働の職場だとは聞いていたが、こんなに筋肉マッチョばかりのところだとは初めて知った。美紅姉もこうなったりしないか、ちょっと不安になる。

「えっと……白神焔です。いつも姉がお世話になってます」

 とにかく、美紅姉の同僚というのなら失礼な態度は取れない。とりあえず、俺は自己紹介と挨拶をすることにした。

「あらあら~。礼儀正しい子ね~」

「さすがは美紅ちゃんの弟さんね」

「お姉ちゃんそっくりの良い筋肉だわ……しっかり育てたらとんでもないことになりそう」

 筋肉集団もとい、美紅姉の同僚の皆さんにウケは上々。……なんか一人、明らかに俺の筋肉に注目してる人がいるけど、気にしないほうがいいのかもしれない。

「それで、これどういう状況?」

「お仕事終わって、みんながジムに行くっていうから、途中まで一緒に行こうと思って」

 どうやら、同僚たちが更なるバルクアップを目指してジムに向かおうとしていたところ、美紅姉の帰路と方向が同じだったので同行していたらしい。

「じゃあ、私はこの辺で」

「ええ、また明日」

「ジムの件、考えておいてね」

「良ければ弟君も一緒にね」

 そうして、美紅姉の同僚たちと別れる。美紅姉はどうやらこのまま俺の買い出しに付き合うつもりらしい。

「ジムの件……って何?」

「ああ、あれね……」

 去り際に同僚たちが言い残した言葉が気になったので美紅姉に尋ねてみるも、彼女にしては珍しく歯切れが悪くなった。

「なんか言いにくいこと?」

「そういうわけじゃないんだけど……一緒にジムでトレーニングしないかって誘われてて」

 美紅姉の言葉に、俺は合点がいった。……さっきの同僚たちは俺の筋肉にやたらと注目していたし、美紅姉の筋肉にも興味があるようだった。となれば、ジムで一緒に鍛えようと誘うのも当然の流れだ。

「でも、あんまり乗り気じゃない?」

「うん……」

 一緒に歩きながら、美紅姉との会話を続ける。……美紅姉はジムに通うことに否定的らしい。一見すると、運動大好きな美紅姉がジム通いに乗り気でないのは意外だが、よく考えると案外そうでもない気がする。

「私、体を動かすのは好きだけど、鍛えるのはあんまり好きじゃないからね……」

「ああ……」

 美紅姉に言われて、俺は納得の声を上げた。確かに美紅姉は体を動かすのが好きだが、それは要するにスポーツの実戦が好きということだ。筋トレや基礎練習みたいな鍛えることを目的とした運動は苦手なのである。……美紅姉は学生時代、様々な部活で助っ人として活躍してきた実績があるが、それは裏を返せば普段の基礎練習を免除されて試合だけ出ているようなものだった。無駄に高い体力と天性の運動センスによってそれでも人並み以上の結果を出せるし、そうしているうちに自然と筋力も身に着いてきたので体力テストで満点を出したりしているが、そのせいで余計に基礎練習に対する苦手意識が消えないのだろう。

「みんな、筋肉を鍛えること自体を目標にして生きてる人たちだからね。肉体労働の仕事をしているのも、筋肉を衰えさせずにお金が稼げるからだって言ってたし」

 美紅姉と同僚たちでは、仕事に、もっと言えば生きることに対する向き合い方が違うのだ。美紅姉は体を動かすこと自体が好きなので、好きなことを仕事にしているタイプ。同僚たちは適性があることを仕事にしているだけで、好きなことは別にあるタイプ。そして、両者の好きなことはニアミスしてはいるが同じではないのだった。

「だからずっと断ってるんだけど、ちょっと申し訳ないかなって思わなくもなくて……」

「なるほど」

 普段は能天気というか、頭空っぽに見える美紅姉だが、職場の人間関係で悩んだりもするんだな。……いや、昔から人間関係には割と気を遣うほうではあったか。学校の友達が不仲になると、仲を取り持とうと必死になっていたと聞いた気がする。自分の友達だけでなく、明日香姉の友人関係まで気にしているくらいだった。それなら、職場の人間関係で悩むのも当然かもしれない。

「ま、いいんじゃないか? 見た感じ、良い人たちみたいだったし、筋トレ断ったくらいでどうにかなったりしないだろ」

「それは分かってるんだけどねぇ……」

 言いながら、さりげなく俺の体に持たれかかってくる美紅姉。そんなことしてるから恋人同士だと間違われるんだぞ。それに歩きにくい。

「美紅姉は考えるの苦手なのに、余計なこと考えすぎてドツボに嵌ってるだけだと思うけどな」

「かな……?」

 美紅姉は昔から勉強があまり得意ではなかったし、論理的思考は特に苦手としていた。そんな彼女が余計なことを考えても、モヤモヤが続くだけで根本的な解決にならないと思う。

「ま、最悪筋トレするってなったら、俺も付き合うからさ。もうちょい肩の力抜いたら?」

「え、ほむちゃん一緒に筋トレしてくれるの!?」

「あ」

 美紅姉を諭そうとしていたら、不用意な発言に食いつかれてしまった。……もし万が一、美紅姉が筋トレをするということになったら、俺も付き合わされることになる。というか、この様子だと「俺が付き合うから」という理由で筋トレを始めかねない。

「でも、美紅姉は筋トレ嫌いなんだろ?」

「そうだけど……ほむちゃんと筋トレできるなら話は別かなって」

 案の定、美紅姉は筋トレに前向きになっていた。……いや、別にいいのだ。美紅姉には散々スポーツに付き合わされてきたし、今更筋トレが増えたところで誤差だ。けれども、あの筋肉集団の同僚たちも一緒に、となったらさすがに遠慮したいところではある。

「……まあ、ほんとにどうしようもなくなったら、な」

 言質を取られている以上、今更反故にするのもあれなので、俺は消極的に同意して問題を先送りにするしかなかった。

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