第二王子の死


 誕生日の翌日、ギルバードはかねてより予定していた地方への視察に出向いていた。

 目的地は、大雨による洪水と不作で食糧難に陥った小さな領地。そこに王族からの支援を届けることが目的だ。

 王族とはいえ、まだ子供でしかないギルバードにできることはないが、『王族は地方の国民にまで心を砕いている』というパフォーマンスにはなる。

 ……ただし、それは保身と打算が透けて見えていなければの話だが。


「これはこれは……第二王子殿下。この度は支援を届けてくださり、王家の方々への慈悲と慈愛には言葉もありません。この地の代表として、お礼申し上げまする」


 支援物資を届けに行った際に領主と挨拶を交わした時、領主は口でこそ丁寧な受け答えをしていたが、ギルバードに向けられたその視線には、目に見えて明らかな侮蔑が宿っていた。

 とても支援に訪れた王族に対して向けるような視線ではないが、それがギルバードに対してのものならば、この国ではこれが普通。悲しいことにそれに慣れてしまったギルバードは、そつなく挨拶を終え、護衛を連れて町を視察することにした。

 不作の影響からか、活気が乏しいがそれ以外は至って普通の町。特に大きな発見も何もないだろうと高を括っていたギルバードだったが、ふと彼の足元に麦わら帽子が風に乗って滑り込んできて、ギルバードの靴に当たって止まった。


「あ……」


 掠れるようなその声がした方向に顔を向けると、そこにはギルバードよりも二~三歳ほど年下らしき少女が立ち竦んでいて、ギルバードの足元にある麦わらを見つめている。

 どうやらあの少女が麦わら帽子の持ち主らしい。ギルバードは咄嗟に麦わら帽子を拾い、少女の元まで歩み寄って手渡すと、少女は麦わら帽子とギルバードを交互に見てから口を開いた。


「え、あ……その、ありが――――」

「ミシェナっ!」


 ありがとう……その一言を遮るように、あるいは少女をギルバードから庇うように飛び出してきたのは、二十~三十歳くらいの女性だった。

 ミシェナと呼ばれた少女の母親だろう。女性は一瞬だけギルバードを睨むような視線を向けた後、すぐに『わざわざすみませんっ』と頭を下げてから、そそくさとミシェナの手を引いて立ち去っていく。


「言ったでしょっ!? 呪われ王子に近づいたらダメって!」


 その去り際に、興奮していて無自覚なのか、女性はギルバードの耳にも届くくらいの大きな声でミシェナを怒鳴る。


「魔神教の司祭様も仰ってたでしょ!? あの王子様は魔力の祝福を与えられなかった呪われた子だって! そんなのに近づいて、ミシェナまで魔力を無くしちゃったらどうするの!?」

「ご、ごめんお母さん……っ。で、でもあの王子様、帽子を拾ってくれて……」

「いいからっ!」


 そんな会話が聞こえていたのだろう……護衛に付いてきていた兵士たちが愕然とした表情を浮かべた後、怒りの形相で母娘の後を追おうとする。


「待て貴様らっ! 王子殿下に対してなんと無礼な……!」

「追わなくていい」


 その兵士を制止したのは、他の誰でもないギルバードだった。


「いいんだ、追わなくて」

「し、しかし殿下っ。今のはさすがに聞き捨てが……!」

「多分、あの母親は魔神教の敬虔な信者だ。面と向かって言われたわけじゃない以上、下手に罰すれば大問題に発展しかねない」


 魔神教とは、人類滅亡を図ったドラゴンたちをこの世界から駆逐した魔法の神、アブロジクスを信仰する一大宗教のことだ。

 その信者数は世界中の人間の七割以上に達していると言われており、信仰の力によって民意という強大な力を操りうる影響力から、王族でもおいそれと対立できない組織となっている。

 ギルバードが護衛を止めたのは、まさにそれが理由だ。歴史を振り返れば、たった一人の人間から国を巻き込む大騒動が起こるなど珍しくない。下手に信者を罰し、魔神教につけ込む隙を与えるのは得策ではないという、王子としての判断だ。


「……それに、ああいうのを一々罰していたらキリがないじゃないか」


 その諦めに満ちた一言に、護衛の兵士たちは痛々しそうに顔を歪める。

 魔神教が広めた、『魔力を持たない人間は偉大な神の恩寵を与えられなかった存在』という教え。これが王族であるはずのギルバードが家族や臣民からも白眼視され、国内での居場所を失っている最大の原因だ。

 傾向的に、信者というのは宗教の教えを信じるもの。世界中に信者を持つ一大宗教が、魔力を持たないことは悪であると教え広めるなら、数え切れないほどの人間がそれに倣う。

 たとえ王子という身分ゆえに面と向かって言ってこなくても、魔神教とその教えが無くならない限り、ギルバードを陰で悪し様に罵る人間は後を絶たないのだ。


(この町の領主だけじゃない……あの母親や町人たちが僕に向ける視線だって、そういうことだ)


 飢饉に苦しむ国民に向けた王族のパフォーマンス……それだって、宗教的に忌み子とされている魔力無しに王子が向かわされれば、『お前ら程度には出来損ないで十分』であると、王族が彼ら田舎の人間を軽んじていると思われて当然のこと。

 今回は他の王族の予定が合わず、ギルバードが出向くことになったが、おかげで領主からも町人からも冷たい視線を向けられて針の筵。これが他の王族……特にアレスなら、真逆の反応だったのだろう。

 

「視察の途中だ。行こう」


 騒ぎを事前に収めたギルバードは、護衛の兵士たちを促して歩き始める。

 十三歳という子供とは到底思えない、疲れと諦めに満ちたその後ろ姿を、兵士たちは黙って眺めながら付いて行くしかできなかった。


   =====


 こうして、冷たい視線を領民から浴びせられる中での数日間に及ぶ支援活動が終わり、ギルバードが帰りの馬車に乗って王都に向かうことになった。

 ガタゴトと馬車に揺らされながら、ガラス越しに外を眺めるギルバード。その表情には恙なく視察が終わった安心感はなく、まるで両肩に見えない重荷が乗っているかのように気分が重かった。


「……貴族や神官だけじゃなく、国民からもこんな扱いか……」


 頭では分かっていた。魔力が無ければ王族であっても関係ない、忌むべき存在であると国民の大多数が思っていることを。

 しかし今日、まるで汚い物から遠ざかるようなあの母親の反応を見て、改めて分からされた。この国にギルバードの居場所など存在しないということと、この国で王族として生きていく限り、これから先の人生も同じようなことが続くという事に。


(そしてアレスと比べられ続けるんだろうな)


 視察の道中、町民たちは遠巻きにギルバードを眺めながら陰口を叩いていることを知っていた。

 不作によるストレスも相まって、内心に抱える不満を抑えきれなかったのだろう。数多くの人々がギルバードを見て何を呟いているのか、その内容はギルバードの耳に届いていた。


『なんで魔力無しの出来損ないが……俺たちまで呪われたどうすんだよ』

『これがアレス王子ならなぁ……不作も何とかしてくれたかもしれないのに』

『本当にな。どうせ来るならアレス殿下がよかったよ。そっちの方が有難みもあったっていうか』

『魔力無しの呪われた王子に、魔神からの恩寵を受けた縁起の良い王子……比べ物になんないもんな』


『アレスがよかった』『これがアレスなら』『アレスに来てほしかった』……誰もが口々に呟く度にギルバードの胸に痛みが走った。

 肉親、貴族、民衆……シュトラル王国を含めた魔神教の宗教圏全域から、常に魔法というギルバードではどうしようもない分野でアレスと否応がなく比べられ続け、大切に思っていたものが手から零れ落ちていく。そんな人生に早くも疲れたギルバードは、頭を窓ガラスに当てるようにして馬車の壁にもたれ掛かる。

 別にアレスは悪いことをしているわけではない。ただ魔法の才能に溢れ、人一倍発想力があって色んな功績を出しているだけ。そのことを責める理由など何もないという事くらい、ギルバードにだって分かっている。

 

(……それでも)


 胸の内に広がるドス黒い感情を我慢して抑える。

 これで喚き散らせればどれだけ楽だったか。しかしそんなみっともない真似は、曲がりなりにも王子として教育されてきたギルバードにはできなかった。

  

(もし、僕が王族じゃなかったら……)

 

 そう考え、すぐに『それはそれで今とは違う苦労をすることになる』と思い立ったギルバードだったが、それと同時に魅力的なものに思えた。

 魔力が無ければどこに行っても差別される。しかし、それでも平民とかに生まれれば、大抵の人間がギルバードに無関心だっただろう。同じ魔力無しでも、王族という嫌でも注目される身分の生まれに比べれば。

 そうすれば、何時まで経っても天才の弟と比べられ続けることもなかった……そんな意味のない妄想で現実逃避をしていたその時、凄まじい爆音と共にギルバードが乗っていた馬車が大破した。


「が……!? な、何が……!?」


 横転し、半分が消し飛んだ馬車の中でヨロヨロと起き上がるギルバード。

 威力から察するに、魔法による攻撃を受けたのだろう。幸いというべきか、馬車そのものが盾になってギルバードには直撃しなかったが、そもそも王族が乗っている馬車が攻撃されること自体が異常事態だ。

 一体何が起こったのか、それを確かめるべく立ち上がって半壊した馬車から顔を出すと、そこには口元や頭に布を巻いて顔を隠した一団が、殺気の宿った視線でギルバードを見据えていた。


「第二王子、ギルバードだな」

「な、何だ……君たちは……!?」

「我らは王国の未来を憂う者の集まり。王家に生まれ落ちた忌み子、ギルバードを粛正し、王国に平穏を取り戻すために、その命を頂戴する」

「っ!? で、殿下! お下がりくださいっ!」


 魔神教の狂信的な信者によくいる魔力至上主義者……その過激派であるというのがその言葉で理解した瞬間、護衛騎士たちと襲撃者たちによる激闘が幕を開けた。

 一撃で人を殺める威力を秘めた魔法が飛び交う中、ギルバードは損壊した馬車の陰に隠れて、何とか周りの状況を伺う。

 襲撃場所はよりにもよって、交通の要所である橋の上。それも地域住民たちが大勢移動している中での襲撃で、多くの人が逃げ惑っている。


(まさか、あえてこのタイミングで襲撃をしてきたのか……!?)


 いくら王族の命を守るのが使命である護衛騎士とはいえ、だからと言って国民の命も蔑ろにするわけにはいかない。国民が戦闘に巻き込まれれば、当然そちらにも意識を割かねばならず、襲撃者に対して不利になってしまう。

 魔力至上主義の過激派は、時として人命すら度外視して活動すると聞いたことがあるが、まさかそれを目の当たりにする日が来るなんて……そうギルバードが怒りすら感じていると、ふとある者が目に映る。


(あれは、昼間の……!?)


 ミシェナ……そう呼ばれた、麦わら帽子を被った少女だ。逃亡の最中で足を怪我して立てないのか、目に涙を浮かべながら血が流れる足を押さえて座り込んでしまっている。

 早く逃げろと、ギルバードが叫ぼうとした……そんな時だった。ミシェナに向かって、襲撃者が放った魔法の流れ弾が飛んで行ったのは。


「……っ!」


 ……その判断を下したのは、考えてのことではなく、咄嗟のこと。

 気が付けば、ギルバードは物陰から飛び出し、ミシェナの方に向かって走り出していた。

 この時のギルバードの頭に浮かんでいたのは、巻き込んでしまったことへの罪悪感、これまで王族として受けていた「国と民のためにあれ」という教育、満足にアリシアを守れなかった結果への後悔、騎士として多くの人を守ってきたハウザーへの憧れ……そしてアレスに対する羨望と嫉妬、周囲からの憐憫と嘲りに満ちた視線。

 とにかく、色んな理由はあった。

 ただ、この時のギルバードには……目の前で死に行く誰かを見捨てることができなかった。


(間に合え……間に合え……っ! 間に合えっ!)


 これまでの人生で一度もないくらいに必死に足を動かし、幼い少女の元へと駆け寄るギルバード。

 向かって魔法にすら意識を向ける余裕もないまま、ミシェナの元へ辿り着き、かつて婚約者にしたようにその小さな体を突き飛ばした、その瞬間。


「がぁ、は……っ!?」


 灼熱の火球がギルバードに直撃すると同時に爆発。その衝撃によって転落防止の柵は壊れ、ギルバードは橋の上から落ちてしまった。

 重力に任せて、荒れ狂う河に向かって一直線に落下するギルバード。そんな王子の視線の先には、難を逃れたミシェナが何かを叫びながら、こちらに向かって必死に手を伸ばしているのが見える。


(あぁ……無事だったのか……)


 その姿を見たギルバードは、思わず安堵した。

 正直な話、これまでギルバードは「なぜ自分は生まれてきてしまったのか」と、自身に問いかけたことが何度もある。

 魔力もなく、どれだけ努力しても報われず、双子の弟と比べられながら、欲しいものは何も手に入らない。その上、こうして自分のせいで誰かが危険に巻き込まれてしまった……こんな苦しいだけの人生なのに、どうして生まれてきてしまったのかと。


(でも……最後くらい誰かを助けられたなら、よかったよ……)


 何一つ為せなかった人生だったが、巻き込まれてしまった幼子を自分の手で守れたなら、最後の最後で自分にも出来ることをやれたはずだ。

 そんな諦めにも似た安心感を胸に抱きながら瞳を閉じたギルバードは、そのまま激流に飲み込まれる。

 その後、襲撃者を撃退した護衛騎士を始めとした多くの人間が第二王子ギルバードの捜索に乗り出したが、結局見つけ出すことは叶わず、ギルバードは公的な死を迎えることとなった。


 ――――――――――

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