5 和田勇樹が失恋した時行ったこと
休憩室には誰もいなかった。時間的には昼休みも半分を過ぎたところだ。望月は椅子に座ってお茶の残りを飲んでいた。その間も彼女の脳裏には和田の顔が浮かび上がっていた。
「・・・どうしちゃったんだろ、前までこんなこと無かったのに」
そう思っていると疲れた様子の青山が休憩室に入ってきた。
「あ、青山さんお疲れさまです」
「お疲れ、献血ありがとうね」
青山は自販機でお茶を買うと椅子に座ってそれを飲みだした。そこで望月は青山が和田と同期だということを思い出した。
「・・・あの、青山さん」
「ん?どうしたの?」
望月は意を決して和田について聞き出した。
「青山さんと和田さんって同期ですよね」
同期、その言葉を聞いて青山の表情が少し曇った。
「まあそうだけど、別に仲いいってわけじゃないよ」
「和田さんってどういう人ですか?今月からこっちに来たし、これから何度かお世話になると思うので、どういう人か知っておきたいかなって」
青山は少し考え込んだ。そこまで難しい人物なのだろうか。
「正直言って面倒な奴。特に恋愛ごとになると」
「恋愛事?」
「えっと、望月さんは大正生命保険の木下さんは知ってる?」
「はい知ってます。月一でここにも来ますよね」
「そう。それで和田の奴同い年だからって木下さんにアタックしたのさ」
望月は木下の顔を思い出した。確かにきれいな容姿をしている。仮にここが東京だとしたら間違いなく竹下通りでスカウトを受けるであろう見た目だ。実際望月の同期にも彼女を狙っている男は何人かいる。
「確かにお綺麗な方ですよね。それでどうなったんですか?」
「それがさ、木下さん彼氏いたんだって。しかも遠距離で」
「遠距離・・・」
青山はお茶を一口飲んで一息つかせると続きを話し出した。
「それも最悪のタイミングでさ、あいつ木下さんにプレゼントあげようとしたらしいの。ちょうど健康診断の結果渡しに行くときに。でもその前の日だかに聞いちゃったらしいの」
「彼氏がいるってことですか?」
「うん。それも後輩の但野から」
そのことを聴いて望月は若干表情を曇らせた。
「アタックする前に人づてに聞いちゃったってことですね」
「そういうこと。それであいつどうしたと思う?」
「いや、わかりません」
「その場でカッターナイフ取り出したらしいよ。しかも下田さんがそれ見て本気でビビったらしいよ」
「それは・・・でも相当ショックだったんでしょうね」
「だろうね。それから1カ月くらいしてあいつ鬱になって休んでたから」
望月は何も言い返すことが出来なかった。彼女自身も失恋を経験して精神を病みかけたからだ。もしあの場で和田に話しかけられていなければ今頃自分も同じようになっていたかもしれない。そう思うと望月は見る見るうちに表情が曇っていった。
「・・・どうしたの?」
「・・・あ、いや、何でもないです・・・事務所戻りますね」
望月はそそくさと休憩室を去った。青山はよくわからない様子だったが彼女が同期と破局したことを思い出し、バツの悪そうな表情をした。
「やべ、やっちゃった。あの子同期と別れてたんだった。あとで謝らないと」
その日の午後はどうも浮かない気分だった。決して献血で血を抜かれたからではない。むしろ望月自身そこまで血を抜かれても体調に変化のない体質だ。だが今回はどこか違う。何をしていてもどこか上の空だ。その様子に上田が気づいたのか、彼女に声をかけてきた。
「おい望月、お前体調悪いなら早めに言えよ?」
「え・・・あ、はい、すいません」
「まあいいや、今日は定時で上がりなさい。きっと献血の影響だろ」
「いえ・・・私それで体調悪くするとかは無かったので」
「いや、ここ何日か結構残業して疲れが出たんだろ。倒れられても困るから今日の所は早く帰れ」
「・・・わかりました」
定時で上がれるのはありがたいがどこか申し訳ない感じだ。望月自身所謂Z世代に分類される世代ではあるが、ネットで言われている程残業は嫌ではない。むしろ必要とあらば何時間でも残っても良いと考えている。というよりタイパだのワークライフバランスがどうとか言うなら初めから車屋になんか就職しない。
定時になり望月は駐車場に向かった。自分の車に乗り込むとさっきまで感じていなかった疲れがどっと押し寄せてきた。このまま運転すれば確実に事故を起こすに違いないと考え、少し仮眠をとってから出発することにした。
「・・・鉄分・・・レバー・・・ほうれん草、あと何食べよう」
望月は必死になって鉄分の多い食物を考えていた。すると意図せず和田の顔が浮かんできた。急に出てきたので望月は飛び起きてしまった。
「うわ!和田さん?」
望月はフロントガラス越しに外の様子を見た。辺りには誰もいない。しかし彼のことを幻視するとは相当疲れているのだろうと望月は思った。
「・・・なんで・・・なんであの人のことばっかり考えちゃうんだろう・・・んん」
心臓の鼓動が早くなるのを感じた。気が付くと彼女は自分の乳房に手を当てていた。
「和田さん・・・どうして・・・どうして和田さんのこと・・・はぁ!」
気が付くと和田が近くまで歩いてきた。幸い彼女には気付いていない。望月は急に羞恥心が湧いてきた。
「・・・どうしよう・・・和田さんのこと妄想してたなんて気づかれたら」
すると突然ガラスを叩く音が聞こえた。望月は驚いて横を見ると和田が立っていた。望月はますます気まずい気分になった。だが和田は何か困っている様子だ。望月は恐る恐るドアを開けた。
「お、お疲れさまです。どうかしましたか?」
「ああごめんね急に。俺の車の前にフォレスター停まってるんだけど誰のか分かる?」
フォレスター・・・本社でその車と言えば彼女しかいなかった。
「えっと、人事部の鈴木さんですね」
「マジか・・・これって呼びにいかないと動かせない?」
「そうですね」
こういう場合は動かしてほしい本人が車の持ち主の所まで赴くのが常だ。望月自身頭を冷やしたいので一人になれると思い安堵した。しかし和田はおもむろにスマホを取り出すと誰かに電話をかけた。
「お疲れ・・・ああ、人事部の鈴木さんに動かしてほしいって伝えてくんない?・・・分かったよ次からそうするって・・・はーい」
和田が電話を切ると再び望月に話しかけた。
「青山に頼んだからもう少しで来るかな」
「え・・・」
その言葉は彼女にとって寝耳に水だった。
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