1-14 破滅の産声

 「アスタロト、少し休ませなさい…て、あら、いないじゃない」

 「そのようですね…。…では…休みながら待つとしましょう」


 二人はアスタロトの寝泊まりしている簡素な作りの建物の下に行き、壁にもたれかかる。するとすぐに疲れからか睡魔が襲い、ふたりは深い眠りへと入るのだった。

 どれくらい寝ただろうか。頬を叩く感覚がして飛び起きると額がなにかに勢いよくぶつかりカイムは額を両手で抑えた。うえぇーんと可愛い泣き声が聞こえて見ると同じく両手で額を抑えたアスタロトが尻をついており、だらしなく鼻水を垂らして泣いていた。


 「ちょ…ご、ごめんなさいって…え、いや…あんたはこれくらい別に痛くないでしょ…」


 前回よりさらに崩れていく魔王のイメージ。最後に魔王が魔王らしく見えたのはエナが地下室にて契約する際見せたあの邪悪な笑顔までである。少なくとも今目の前で泣いている可愛らしい少女には魔王なんて言葉は似合わなかった。

 しばらくして、泣き止んだアスタロトは薪を焚べその焚き火で狩ってきたのであろう小動物を捌き枝に刺し焼き始めた。その間に近くの綺麗な池から水を汲み鍋に入れ湯を沸かし山菜を入れ、そうして作った簡単なスープを粗削りの容器に入れてカイムに渡した。


 「相当疲れてるようでしたから…。…なにやら浮かない顔ですわね。あ、言わなくていいですわよ。ゆっくり飲んで、身体を休めてくださいまし」

 「…あのあと、あいつらは来たの?」

 「オセとアミーのことですの?それなら最近は来ていませんわね。まあわたくしの本気を喰らわせましたし、回復に時間がかかっているのでしょう。…まあ、それはわたくしもなのですけど」

 「…そう」

 「どうしましたの?」

 「いや…あんたは大丈夫なのかなって。あいつらはあんたの部下だったんでしょ。なら──」

 「─別に、殺すのはなんとも思っていないですわよ」

 「ああ…そう。ところでその墓…誰のなの」

 「わたくしの部下、ブネの墓ですの。生前は彼女とよく月の揺籠の群生地で舞を踊ったものですわ。ふふん、わたくし、舞だけは誰にも負けませんでしたのよ」

 「似合わないわね」

 「どういう意味ですの?あなたも姫君、舞くらい踊ったことあると思うのですけど」

 「舞とは言えないなにかなら踊ったことがあるわ」

 「やっぱりあなた、ミロナークの王女様らしくないですわね。─そうですわ、あなたたちはどうしてこの国に?エナは今、どちらにいるんですの?」

 「ああ…それは。国が滅んだの。たぶん、創造神様の裁きで」

 「えっ…創造神が…ですの?」


 創造神という言葉に畏怖の念を瞳に浮かばせるアスタロト。どこか怯えているようにも思えた。


 「お父様はそう言っていたわ。…王城の封印されてた地下室にエナが封印されていてさ。それがバレたんだろうって。創造神様は平等なお方。だからきっと、国を滅ぼして国民を異形の影に変えたのだと思う」

 「………っ」

 「でもなぜか私だけが生き残って、妹たちは攫われてしまった。創造神様はきっと、私に贖罪の機会を与えてくれたのよ。だからこうして国を出て創造神様に罪のない妹たちと国民だけでもと願うために旅をしているの。エナとはチステールに来る道中船が難破しちゃってさ。それからもう二週間…会えてないの」

 「………その、なんて言ったら」

 「別に、同情なんか求めてないから。もうお仲間とはいえ、私は魔族を信用してないの」

 「素直じゃないですわね…あら?」

 「なに…地震…?」


 汁に波紋が現れ小刻みに地が揺れる。それと同時に周囲が霧で覆われ、またあの唸り声が響き渡った。同時に、空が暗雲で覆われ嵐が吹き荒れる。


 「オセ、アミー…!」


 霧の中から覗く四つの赤い閃光。それらは不規則に動き回りこちらを窺っている。襲いかかってくる気配は無いが、花畑のなかを闊歩していた。


 「くそっ…ノエルが気失ってるってのに…!」

 「…待って、前回と様子が違いますわ。いったいなにを…。─⁈」


 突如ブネの墓の側に現れた文字で形作られた暗い影の少女…ヒトガタ。そのヒトガタの頭は異形化してないようで、ただ全身が黒い文字と黄金色の魔法陣の帯で覆われている。


 「…あれはなん、ですの…?生体反応は人間のよう…ですけれど…」

 「嘘…⁈なんで…また、こいつが…」

 「なにか知っているんですの?」

 「あれは…っ」


 少女が墓に触れた瞬間、眩い光とともに少女は消えた。

 直後二頭は共に遠吠えをあげ、霧をブネの墓の上へと集めて大きな塊を作る。その塊は徐々に大きくなっていき、加速していくどんどんという鼓動音にも似た衝撃と、塊の周囲を螺旋状に覆う魔法陣が展開され、回っていた。それを見て、あの日の光景を思い出し細剣を構える手は震え冷や汗が頬をつたう。

 やがてそれは花畑の空間を覆い尽くし視界を白く染め上げる。そしてピキ…という音とともに視界に亀裂が連鎖的に広がったと思うと、次の瞬間視界が砕け散るガラスのように晴れ、蒼い焔を纏い柔らかな毛を全身で覆った白銀の竜が誕生の産声をあげた。


 「ぐうっ…⁈な、なんなの…⁉︎これ、ブネってやつの能力なの…⁉︎」

 「いえ…墓に眠るブネの魂を異形化し目覚めさせたみたいですわ。…そんな荒技ができるのは創造神だけのはず…創造神め…人間の、妾の部下の命を愚弄しおって…ッ‼︎」

 「じゃ、じゃああの女の子は創造神様の…ってそれより、あいつ一体でソロモン三柱ぶんの力持ってるってこと…⁈そんな…二柱でさえキツかったのに…‼︎」


 視界が霧に覆われると同時に姿が消え、右から微かな空気の流れが来たと感じた瞬間瞬時にカイムたちは身体を大きく逸らした。すると頭のあった位置には極太の炎の刃があり、アスタロトの小屋は跡形もなく大破した。


 「うっそでしょ…」

 「ノエルを抱えて村へ逃げよ!妾が迎撃する!」

 「でも一人じゃ…!」

 「動けぬ者がいると前回のようにしくじってしまう!堕ちても元部隊長よそう簡単には負けぬわ!お前らは戦力外ださっさと行けェ‼︎」


 その指示にカイムはノエルを抱き抱えて村のほうへと全速力で走った。その竜は目に見えないほどの速度でこちらに迫ってくるも即座にアスタロトが腕を龍の顎に変え尾に喰らい付き引っ張る。竜はその場に転ぶもすぐに噛み付かれたまま宙に浮かび回転して尾に喰らいついているアスタロトを地面へと叩きつけた。


 「がぁっ…⁉︎──この…っ‼︎」


 全身の傷口から血が溢れるも瞬時に傷口と血が燃え上がり再生して再び立ち上がり弾幕を展開させながら突撃する。猛攻を掻い潜り甲殻の隙間に腕を突っ込み爆発を起こし剥がす。怯むも竜は身体を引いて戻すことでアスタロトを弾き、アスタロトは壁に叩きつけられ、竜は口を開きそこへ周囲が赤く染まり沸るほどの熱線を放った。

 一方カイムは洞窟を抜け、村へと逃げ込みノエルを入り口近くの岩の裏に寝かせ、ノエルにマントをかけ優しい寝顔を眺めていた。


 「早く加勢しないと…でも…私が行ってなんになるんだ…。私には…魔術は…っ」


 エナと─眠りの魔王と同等の身体能力を持つ契約者である私は、その力を使いこなせてはいない。ただ身体能力が魔王レベルに上がっただけで、今までもノエルのおかげでなんとかしてきた。今応援にいったところで、なにが変わるのだろう。曰く、契約した魔王は破滅の魔王をも上回る実力らしい。曰く、おそらく一番隊隊長である眠りの魔王に破滅の魔王は己の力を封じられたらしい。さて、そんな事実を知ったうえで私を見れば。

 ないのだ。そんな力は。

 途端に魔王にまたねと言い、会いに来た自分が信じられなくなる。二週間ほどの間に、なにが私を変えたのだろう。


 ─信じてくれた者を、裏切っちゃだめですよ。


 今でも、魔族のことをよくは思っていない。エナを探すのも、それは私の命だから。…あの声を、もう一度聞きたいと思ってしまう私は破滅の魔王曰く不幸らしい。あの無邪気な笑顔は嘘なのだろうか。記憶喪失というのも、魔族が死に際に遺す笑顔のように欺くためにあるのだろうか。アスタロトのまたねというのも、全て。彼女たちは残酷な魔王なのだろうか。

 では、なぜ?

 なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜなんだ?

 …?

 魔族を忌み嫌うはずの自分が、なぜ?エナの人間の部分は信じると言った。確かに言った。だがアスタロトは、なぜ?なぜなんだろう…。

 ノエルの頬を撫で、思考を巡らせる。


 ─私は魔族に対する偏見は無いので。


 従者である彼女はそう言った。偏見がない。では私は?大義の名のもと魔族を殺戮した。偏見がある。それはわかっている。しかしこれはそれ以前の問題だ。私は自身の彼女たちに対する心境の変化を


 「────‼︎」


 突如破裂音が響き渡り、カイムは村上空へと視線を飛ばす。そこには竜と絡みあいながら攻防を繰り広げ村まで落ちてきた炎龍の姿のアスタロトがいた。村全域に張ってあったアスタロトの強力な結界は衝撃で破れ、二頭はそのまま中央の広場へと落下し間合いを取って睨み合う。アスタロトの身体は傷だらけで、大量に流れる血が地面に落ちるたびに蒼い炎として燃え上がる。一方竜は口元に炎を激らせ翼を大きく羽ばたかせている。

 このままだとアスタロトはやられてしまう、それは明白だった。


 「魔王…なんでしょ…?なんでも壊せて、なんでも元通りにできるって…言ってたじゃない…。なんで、破滅の力を使わないのよ…‼︎」


 アスタロトは言っていた。自分には破滅の力があると。なんでも壊せると。では、なぜ使わない…?


 ─せめて、後ろの雑魚どもを守ると誓え‼︎


 あのときも、使っていなかった。アスタロトの攻撃は実のところ有効ではない?いや、それよりも。まさか彼女は─否、魔王だ。そんなこと考えるわけが………


 「───‼︎」

 「っああ!もう!知ったことかっ‼︎」


 脳内を埋め尽くす仮説を振り払い、カイムは細剣を顕現させ走り出した。


 「…………」


 苦しむ声が聞こえる。攻撃するたびに、攻撃されるたびに。身体がぶつかり合うたび、感情の濁流が流れ込んでくる。

 助けて、助けて助けて助けて。隊長、隊長隊長隊長。

 三人の声が、耳を劈く。

 痛いよお、苦しいよお、なんでこんなことするのぉ。

 もう身体が動かない。動かせない。…動かさなきゃ、いけないですわ。でなきゃ、この村の民は誰が守るというんですの…?誰が、彼女たちを解放するというんですの。わたくし以外、あり得ませんわ…。


 「───‼︎」


 一歩。一歩とふらふらと竜へと近付く。その腕を伸ばす。空虚な瞳のない穴はなにを考えているのかわからない。ただ憎悪と慟哭の混じった混沌としたものが唸り声とともに流れ込んでくるだけ。

 そして、わたくしは。目にも止まらぬ速さで迫る竜の尾に、胸を貫かれた。


 「かっ…は…」


 目の前で胸を貫かれ、炎龍は力無く倒れ崩れていく。その貫いた尾の先には胸部を串刺しにされ力無くぶら下がるアスタロトがいた。


 「アスタロト…っ‼︎」

 「…ああ…。カイ、ム…」


 直後竜は尾先を地面に叩きつけ、そのまま円を描くように地面をえぐりアスタロトを投げ飛ばし、アスタロトはカイムの足もとへと転がった。竜は尾についた血を払い、雌雄は決したと言わんばかりに退屈そうに欠伸をしながら座しこちらを見つめている。


 「………っ‼︎」


 胸から上。そのうえで三分の一は地面を引きずられたからか無く。光のない瞳に頬を濡らす涙、ぱくぱくとなにかを訴えるように動く口。

 アスタロトが、負けた。しかし…まだ生きている。否、死にきれていないの間違いかもしれない。


 「ねえ…あんた。破滅の力が使えるんでしょ?ねえ、なんで使わないのよ…使っていたら勝てたんじゃないの?」


 アスタロトを抱き抱え、カイムはこちらへと歩み寄る竜へと視線を飛ばす。


 「私にはあんたの考えなんかわからない。あんたがなんでこの村を守ろうとしているのかなんて理解できない。贖いのつもり?欺くため?ねえ、なんで動かないの?この程度の傷、魔王ならなんてことないでしょ?」


 服に血がべっとりとつき、赤く染まっていく。アスタロトからの返事は無いが、彼女が生きている証の燃ゆる血の炎に包まれるも、不思議と熱くはない。それどころか、

 ─ああ…なんだ。そうだったんだ。

 カイムはその瞬間、全てを理解した。


 「あんたがエナに無意味な努力をやめたらって言われたの…わかった気がする。あんたの炎で花畑が焼かれなかった理由も、破滅の力を使わない、いや…使えない理由も」


 すぐ側まで近付きその空虚な視線をこちらへと向ける竜。なにをするわけでもなく、ただこちらを見つめるだけだった。


 「誰がなんと言わずとも…あんたは、破滅の化身だったのよ」


 エナは言った。無意味な努力をやめろと。エナはした。破滅の力を封じることを。エナは蔑んだ。彼女の夢想を。眠りの魔王、なるほど。それは確かに言えている。

 だが、これで気付いたはずだ。もうアスタロトは、なにも気にしなくていいと。封じられたわけではなく、そもそも彼女の力は破滅ですらないことに。同時にカイム自身も、なぜ助けようとしたのか理解した。

 ─これは決して同情ではない。憐みでもない。ただの、自己満足だ。

 アスタロトの瞳に光が宿り、左腕が動き、血で穢れた手をカイムの頬へと触れる。


 「…なるほど。そう…だったんですのね。…良いんですの?魔族は嫌いなはずではなくて?」

 「嫌いよ。今は嫌いとかよりも優先すべきことがあるだけ。どうせ、裏切った理由を聞いたって言わないんでしょう?」

 「よくわかっていますのね」

 「全ての真実は創造神様に聞くとするわよ。それまで一緒に罪を、背負ってくれるわよね?」

 「ええ。…もちろんですわ」


 そうしてアスタロトはカイムの唇に、己の唇を重ねた。

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