第3話:軽信と熱狂①

あの飲み会から2週間後の金曜日。


東町のとある居酒屋、その奥の静かな席。

酒のグラスがほどよく空き、二人はリラックスした雰囲気でカウンターに並んでいた。


氷の解けたハイボールをチビチビやりながら、松倉が隣の美橋を横目に見た。


「なんか最近あったか?」


「いやねーな、毎日同じ感じで落ち着いたもんだ」


「言うほど落ち着いた話題ばっかりか?前もなんか、一目惚れしてなかったっけ?」


「おっと。それはそれ、というかもうそれは残念ながら退屈な日常だぜ」


「俺も言えたことじゃねえけど、そろそろお互い、相手を見つけないとな・・・」


美橋がニヤリと笑って、グラスをテーブルに置いた。


「そーいやーよー。俺もあの占い、やったぜ?」


「えっ・・・お前、まさか行ったのか?緒川と萩原がやったやつか?」


「それそれ。あいつ、ハマっちゃって、行けってうるさくてよー」


「そういや緒川が熱く語ってたな。運命感じた、だの支えが必要って言われた後に親父さんが腰やったのが的中した、だのって」


「あっお前もそれ言われた?俺もだよ。しつけーのなんのって」


松倉が呆れたように眉を上げる。


「で・・・お前も行ったんか?」


「まあな。酒奢るからって言われちまったしな」


美橋は苦笑しながら、指でグラスの縁をなぞる。


「で、結局それで・・・やることになったわけよ・・・」


***


今から1週間前の金曜の夜、東町の焼き鳥屋。


煙が漂う賑やかな店内。ビールとハイボールがテーブルの上に並び、沙月のテンションは高めだった。


「マジでね、当たるんだって、あのときの占いの人!」


「またその話かよ」

美橋はハイボールをあおりながら、呆れたように笑う。


「だって聞いてよ!支えが必要になるって言われてすぐに、ウチの父親がぎっくり腰だよ?そんなの偶然で片づけられる?」


「偶然で片づけられるだろ!んなもんは必然的に偶然、偶然」


「なに、あんた?あたしに喧嘩売ってるわけー?」


「へ?別に何も売ってませんけどー?なんならその占い師に聞いてこいよ」


二人はいつものように軽口の応酬を繰り広げる。


「じゃーあんたも占ってもらってはっきりさせようじゃないの!」


沙月は自信満々に美橋の目を見据えて言い放つ。


「おーおー!上等じゃねーか、負けたら目覚ませよな、沙月ぃ!」


「よしっ!じゃ決まりね!飲み終わったら前の場所、見に行くわよ!」


美橋は串を口に運びながら、沙月をちらりと見た。


「いいけどよー、タダで行けって言わねーよな?」


「・・・わかったわ、ここは奢るから」


沙月はふっと笑ってそう言った。


「じゃ、もうちょっと飲んでからな!素面じゃやってらんねーわ」


「えへへっ、いいよ。好きなだけ飲みな」


そこから酒を飲むペースは加速した。


沙月は得意げに過去の占い体験を語り、美橋は適当に相づちを打ちながら杯を重ねていく。


その後に二人で日本酒を一本空けたあたりで、店を出る頃には、もう美橋はいい感じに出来上がっていた。


何となく前に占い師の女がいた場所に向かう。


「ふー、いい塩梅だぜ・・・じゃごっそさん」

美橋がそう呟いた直後、沙月がぴたりと立ち止まる。


「って、あんたなに帰ろうと・・・あっ、いた!」


「ん?」


「見て、ほら!」


彼女が指さす先。路地の暗がりに、例の女がいた。

街灯に照らされながら、折りたたみテーブルの前に静かに座っている。


沙月はすたすたと近づいていき、占い師の女に向かって手を振る。


「こんばんはー!この前はありがとうございました!」


女はゆっくりと顔を上げ、淡く笑う。


「また会えたわね。縁があるのね、きっと」


「さっきもバッチリ当たってたって話、してたんです!で、こいつが試してみたいって!」


「どもども・・・って、そうだったかー?」


沙月は美橋の背を押して、テーブルの前に立たせる。


「まあまあ、座ってみ?マジで損はしないし、約束でしょー?」


沙月が女に親しげに挨拶を済ませたあと、美橋の方をちらりと見て、


「じゃあ先生、この人もお願いします!恋愛運で!」


「えー、恋愛運かよー、恥ずかしーなー」


「同じ占いしてもらわないとフェアじゃないでしょ?あとでまたインチキだとか、お前が勝手に舞い上がってるだけとか言われたら困るし」


「おいおい、言いそうだな、それ」


沙月は 「じゃ後日、話聞かせてよね!じゃあねー」そう言って先に帰っていく。

美橋は観念したように座り直し、酔いの回った頬に手をやる。


占い師の女は静かに微笑み、彼の手元にそっとカードを並べた。


「では、恋愛運を見ていきましょう」


カードが一枚一枚、柔らかな手で裏返されていく。

その動作はやけに丁寧で、美橋もつい、黙って見てしまう。


「あなた・・・すぐそばに、恋の可能性がある。もしくは、過去に未練のある相手がいるようですね。でも、その人との関係はまだ完全には終わっていません」


「へぇ、なんかそれっぽいじゃん」


「心がまだ繋がっているとカードは言っています。ここ最近、再び気になっている相手、いませんか?」


「・・・ん?・・・ふーむ・・・」


占い師は言葉を続けた。


「もし今、あなたのそばに過去に好意を抱いた女性がいるなら・・・その関係は、新しく始め直せる可能性があります。相手の状況は複雑かもしれませんが、相手もあなたを思っており、あなたが本音を見せれば、少しずつ距離は縮まるはずです」


「・・・えっ、えーと」


美橋はぽりぽりと頭をかき、思い当たる誰かの顔が脳裏をよぎったような、表情を浮かべた。


「心当たりが・・・ありますよね?」


「心当たりって言うか、俺が好きになる人、だいたい毎回人妻なんだけど?それでもそう?」


「は・・・はい?」


「だからよー、これまで好きになった人って基本人妻でさ。毎回のように例にもれず。いくら関係が再燃しても、無理じゃねー?」


「・・・ええと・・・」


占い師は完全に言葉を失った。

カードを見直すでもなく、美橋を見つめて固まる。


「いや、はじめから人妻って言ってくれれば、こっちもそういうの避けて占い・・・話せたんですけど・・・」


「・・・なんなんだろなあ。ちょっといいなって思うと、結婚指輪してたり、あとで既婚者だって。しかも、みんな普通に優しくしてくるからさ。何か呪い?」


「え・・・それはどうでしょうね・・・?」


「そんでこっちが本気になっても、その瞬間に負けで終わりだよ。ただモヤモヤした気持ちが残るだけで、どーしよーもねーの」


酔いもあり美橋の口が止まらなくなった。


「てかさ、俺の立場だったらどうする?全敗だよ、全敗。俺が悪いんか?気にせず手出した方がいいのか?でも初手からそんなリスクは面倒だろー?」


「・・・」


「運命とかねーわ。みんなその前に結婚してやがるんだぜー。いや、あんた美人だし、そういうのわかんねーかー。きっと好きになった男も独身で、すんなり幸せになれちゃうタイプだろ?」


その一言で、占い師の女の眉がピクリと動く。


「あ、あの・・・わたしだってねえ・・・」


抑えていた何かが、一瞬漏れた。


「そういうの、分からないわけじゃないです。占い師ってだけで、みんな距離置くし。こっちが好意を持ったって、真剣に取り合ってもらえたこと、ありませんよ」


「へー・・・ってあれ?」


「お前ならなんでも見えるんだろ?とか、本気にされるの困るとか。だから、そういうの、やめようって決めたんです。なのにまた、気づいたら・・・」


ふと、占い師の女の目が美橋と交わる。

そこには、占い師ではなく「ただの人間」の顔があった。


「わたしだって、ちゃんと真剣に人を好きになったことぐらいあります。けど、占い師だから感情ないとか、なんでも見透かされそうで怖いとか・・・結局、向こうが勝手に線を引いてくるんです!」


「おっ、おう・・・」


「本音を見せたって、プロにそんなことされても困るとか。じゃあどうすりゃいいのよって思いますよ。こっちだって人間なのに!」


自分の声の大きさに、そして言葉の内容に気づいた瞬間。

女の頬がふわっと赤く染まった。咄嗟に口元を手で押さえ、目を伏せる。


「ご、ごめんなさい、つい・・・!」


美橋は、くつろいだ様子で立ち上がり、背伸びをした。


「いやいや、いいって。ってか、もう占いより飲み行くかー?そっちのが早い気がしてきたわ」


占い師の女はそれに思わず吹き出した。


「あはは・・・お誘いありがとうございます」


「まっ、でも・・・占い、ありがとな。俺の恋愛は、まあ、終わってる気がするけどよ」


「・・・こちらこそ。少し気が楽になりました」


そう言いながら、美橋は軽く手を振る。


「おう、またなー」


美橋がふらふらと路地へと消えていく。


店先に立ったまま、女はその背中をしばらく見つめていた。

口をすぼめたまま、「なんなんだろう、あの人・・・予定が狂ったわ」とぽつり。


でも、その口元はほんの少し、笑っていた。

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