その翡翠き彷徨い【第16話 秘密】

七海ポルカ

第1話




 サンゴール王宮魔術儀式場【斜陽殿しゃようでん】にはその日、神儀を司る神官と封印魔法を習得した高位魔術師達の姿があった。


【契約の儀】が行われるのである。


 火・水・雷・地四種の魔法を会得し、正式に魔術師の称号を与えられるものであった。

 魔術大国サンゴールにおいてはさして珍しい儀式ではない。

 しかし儀式場を階下に見下ろす観覧席には、非常に珍しい人々の顔があった。


 まずは女王アミアカルバだが、養い子の教育に熱心な彼女が、忙しい公務の合間を縫ってもこの『契約の儀』に姿を見せる、これは有り得ることだった。

 特に珍しいのが向かい側の一番奥の個室、深緋しんひの正装をした宮廷魔術師三人を傍らにじっと階下を見下ろす白髪の老人がいた。


 宮廷魔術師団の総団長である。

 彼が人前にこうして姿を現すのは非常に珍しいことだった。

 とにかく宮廷魔術師の本拠である【知恵の塔】から、動かないことで知られる人物なのだ。


 眼下ではすでに儀式が始まっている。


 祭壇の中央ではメリクが初めて、サンゴールの白い法衣に袖を通して、魔法陣の開陣に入っていた。


 弱冠十歳にして、十歳らしい容姿を持ったメリクには目安として十五歳前後が通常の【契約の儀】を受ける年齢とされることを考えると、丁度いい法衣がなく、今回彼用に特別に一回り小さいものが作られたのである。

 上から見ると石灰板に細い棒で魔法陣を描くメリクの姿は、まるで子供が落書きをして遊んでいるように見えた。


 しかしその刻み出す魔術の線は迷いがなく、正確そのものだった。


 女王の観覧席の端に第二王子の姿もあった。

 黒の術衣を身に纏い、さすがにこの場では顔を露にしている。

 しかしその表情はとても教え子の魔術師としての一歩を飾る意味を持つ、儀式を喜んでいるようなものではなく、足と腕を固く組んだまま非常に厳しい顔をしていた。

 笑み一つ浮かべたことのない人物という噂は本当だったらしいと、その顔を見た者たちは揃って思っただろう。 



「いや、素晴らしいですな、オーシェ卿」



 側に内務官の一人が寄って来て囁く。

「十歳で【契約の儀】とは。あの第二王子殿下に劣らぬ魔術の才ではありませんか。実に素晴らしい。おめでとうございます」

 今日は朝から休む間もなくオズワルト・オーシェはこういった声を掛けられている。

「全く同意いたしますが……私自身にそのような言葉をかけていただくような心当たりはありませんな」

「いやいや、貴方という立派な後見人が立たれたからこそ、メリク殿も勉学に集中し励むことが出来たのでしょうから」

 真意をとっくに見測ったオズワルトは、特に座る姿勢を変えることもなくどこか鼻先で笑った。

「それはどうも」

「……して、この先はいかになるのでしょうなあ?」

「ジュエル卿、この神聖な儀でそのような話題はいかがなものか。また日を改めていただきたいのだが」

 軍部大臣オズワルト・オーシェが未だ衰えぬ眼光で見据えると、相手はそれ以上踏み込んでは来なかった。

「そうですな、無粋でした。……では日を改めて……、しかしこのまま行けば必ずこの先のことを考えなくてはならなくなるでしょうからな……」

 男は深々と礼をして観覧席の外へ出て行った。


「ふん……、ごとを」


 オズワルトは肩越しに振り返った。

 すぐに側付きの従者が寄って来る。

「少しうるさい。扉を閉めてしまえ」

「はっ。」

 従者が出て行き扉が閉まると、ようやく人の気配が遠ざかり静かになった。


 階下ではメリクが部屋の四隅に設けられた【魔珠まじゅ】という特殊な魔石で造られた祭壇に、一つずつ四種の魔法を放っている所だった。

 属性魔法石は自然界に存在する魔石を更に錬成したものだ。

 魔法を吸収し保存する特性がある。

 魔力を宿すと輝きを増すので、そこに魔法を放つと炎のように光を放つ。

 これが四種用意されているため、四つの炎を灯すことが出来れば、その魔術師は四種の魔法取得を承認され、儀式は無事に成功ということになる。


 すでに火の赤、水の青の光が灯っていた。

 メリクの様子も落ち着いたものである。


 当初メリクのサンゴール王国入城に、最も難色を示したのは国教大神殿だった。

 しかし向かい側の観覧席を見遣れば、オズワルトでさえ見知った大神殿の顔がちらほらと見える。

 今でもメリクの存在に明言を避けながらも、その動向は何だかんだ言って注目はしているようだ。


(まあ無理もあるまいが)


 庶民の出であるメリクだが、幸か不幸か魔法の才には恵まれているようだということが、この儀式で証明されているのだから。

 女王の寵愛一つではまだ薄い。

 本人の才が示されてようやく一つ……そして最後の大問題があの第二王子の存在だった。


 今だにパルティア王宮には第二王子リュティスの真意を推し量れる者は一人もいない。

 誰にも心の内を見せず心を開く様子も無い彼は、全ての人間に分け隔てなく冷徹であった。


 しかしメリクはその第二王子が初めて側に寄ることを許した弟子なのだ。

 女王アミアカルバの勅命があったとしてもである。


 あの顔からは受け取るものは何もないのだが、真意は分からない。

 だからこそ、もしメリクが第二王子の信頼を得ることになれば、これは非常に大きな意味を持つことだった。

 メリクはサンゴール王国において、今まで誰も立ち入ることを許されなかった第二王子リュティスの領域にさえ、ただ一人入ることが出来る者になるかもしれないのだ。


 そしてそれは――第二王子の信頼を得るということは、玉座を得るにも等しいことなのではないか。


【契約の儀】を弱冠十歳で果たすメリクの周りが、俄に騒がしくなってきた理由もそこにある。


【鋼の女王】アミアカルバは人望はあるが、サンゴールの伝統に対して力を持たない。

 対する第二王子リュティスは人望は無いが、メルドラン王、グインエル王亡き後王家の中では唯一王家の神儀と血筋を正しく受け継ぐ者なのである。


 オズワルトは氷のような表情で眼下の儀式を見下ろす、第二王子を密かにもう一度見遣った。


 ……この王子がメリクに対して、どういう感情を持っているのかは分からない。

 だが辺境に生まれ育ったメリクに、一から魔術というものを教えここまで開眼させたのは間違いなくリュティスなのである。

 それは多少なりともリュティスに対して、弟子としての愛着が無ければ出来ないことではないのか。


 第二王子が自分で強く覇権を望んでいるならば、どんなに女王が命じたとしてもメリクを教えるようなことはしないはずだ。

 オズワルトの現段階の読みとしては、やはり第二王子リュティスは覇権を望んでいないのではないのか、というものだった。


 

 四色の炎が立ち上る。



『ここに新たなる知恵の使徒の誕生を祝福する。

 精霊が謳う名はサダルメリク・オーシェ……。

 汝は白きかいなと琥珀――唯眼ひとつめの神をる者なり』



 司祭の祝文が高らかに読み上げられ、大きな鐘の音が頭上で響いた。

 円天井を伝い幾重にも建物中に反響している。

 この【斜陽殿しゃようでん】に渦巻く、国権に関わる者達の様々な思惑を思えば、穏やかすぎるほどに儀式は無事終了した。


 メリクは庶出でありながら王家の系譜に名を連ねる余白を持ち、魔術大国サンゴールにおいて、とりあえず魔術師の系譜にも名を刻むことになったわけである。

 リングレー辺境出のただの子供がよくもまあ、ここまで見事な手札を手中に揃えるものだとオズワルトは眼下を見下ろしながら思った。


 ふと……人の立つ気配がしてもう一度視線を上げると、女王の観覧席にいた第二王子リュティスが、教え子の晴れ姿に手を叩くことも無く、黒衣の裾を翻し退出していく後ろ姿が見えた。



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